姉の三年祭が日曜に行われました。仏教で言うところの三回忌。姉が亡くなってもうすぐ二年になります。
この日は埼玉の義兄の、つまり姉の家へ。
実家に寄って、父母と妹も同乗。今回は彼と末っ子も参加。私の車に6人乗って行ってきました。
行きは渋滞もなく快適で、あっという間に着きました。
久しぶりに見る、姉の遺影。
「いらっしゃい」
と言われたような気がしました。
きれいに飾られた祭壇に手を合わせながら、その和室で、2年前の秋に姉妹3人で一緒に寝たことを思い出しました。
ほんの少し前のことのように感じましたが、祭祀の間、静かに参列している末っ子の成長ぶりを見て、年月が確実に過ぎていることを認識しました。
もう、会えないのだなぁと今さらながらにまた思ったり。
その後は50日祭のときに訪れたお店で懐石料理をいただきました。
前回は雪が日陰にある、冬の晴れた日で寒かったことを思い出しました。あのときは、美味しい料理を食べて満たされるはずの気持ちと、姉とは会えないという虚無感が同時に存在する、なんとも言えない感覚でした。
今回は、姉のおかげで皆と楽しい時間を過ごさせてもらっている、ありがとう、と感謝の気持ちで一杯でした。
もちろん、いろいろな準備、手配をしてくれた義兄にも、感謝しかありません。
夕方には帰路に。ところが最寄りの東北道に乗った瞬間、予定の方向が通行止めになっていることに気づきました( ̄▽ ̄;)
仕方なく、都心を抜けて東名に乗る経路で実家を目指しました。
途中でライトアップされたスカイツリーを見ることができました。姉の手術の日、病院の窓から見たスカイツリーとは同じものとは思えない、華やかさでした。
渋滞もありましたが、ほぼ予定通りに実家につき、次に新幹線駅に妹を送り、私たちも自宅を目指しました。
次は五年祭。
その頃にはどうなっているのか。子供たちも大きく変化していく年頃なので、想像がつきません。
そして、病気と闘う母や高齢になってきている父や、義兄のお父様。
ぜひまた次回、みんなが元気に揃って会えるようにと祈るばかりです。
この日は埼玉の義兄の、つまり姉の家へ。
実家に寄って、父母と妹も同乗。今回は彼と末っ子も参加。私の車に6人乗って行ってきました。
行きは渋滞もなく快適で、あっという間に着きました。
久しぶりに見る、姉の遺影。
「いらっしゃい」
と言われたような気がしました。
きれいに飾られた祭壇に手を合わせながら、その和室で、2年前の秋に姉妹3人で一緒に寝たことを思い出しました。
ほんの少し前のことのように感じましたが、祭祀の間、静かに参列している末っ子の成長ぶりを見て、年月が確実に過ぎていることを認識しました。
もう、会えないのだなぁと今さらながらにまた思ったり。
その後は50日祭のときに訪れたお店で懐石料理をいただきました。
前回は雪が日陰にある、冬の晴れた日で寒かったことを思い出しました。あのときは、美味しい料理を食べて満たされるはずの気持ちと、姉とは会えないという虚無感が同時に存在する、なんとも言えない感覚でした。
今回は、姉のおかげで皆と楽しい時間を過ごさせてもらっている、ありがとう、と感謝の気持ちで一杯でした。
もちろん、いろいろな準備、手配をしてくれた義兄にも、感謝しかありません。
夕方には帰路に。ところが最寄りの東北道に乗った瞬間、予定の方向が通行止めになっていることに気づきました( ̄▽ ̄;)
仕方なく、都心を抜けて東名に乗る経路で実家を目指しました。
途中でライトアップされたスカイツリーを見ることができました。姉の手術の日、病院の窓から見たスカイツリーとは同じものとは思えない、華やかさでした。
渋滞もありましたが、ほぼ予定通りに実家につき、次に新幹線駅に妹を送り、私たちも自宅を目指しました。
次は五年祭。
その頃にはどうなっているのか。子供たちも大きく変化していく年頃なので、想像がつきません。
そして、病気と闘う母や高齢になってきている父や、義兄のお父様。
ぜひまた次回、みんなが元気に揃って会えるようにと祈るばかりです。
帰りにそんなことがあったんですね。でも、華やいだスカイツリーを見られたのも、何かの導きかもしれませんね。
今回は、今までで一番、親族で集まれることを楽しめた気がします。息子も楽しかったと言っていました。
それだけ、時が流れたのですね。
ちなみに次回の五年祭ですが、今度はギックリ腰防止のために、神社で開催するかも?しれません。
汚い家をきれいにするのは、なかなかの重労働でして(笑)。
次回も、みんなで柏手の音の大きさに悩みながら(笑)、玉串を捧げたいですね。
ひとつひとつ、イベントがあるごとに思い出してはさみしくなり、の繰り返しですが、みんながいるから乗り越えられている気がします。
次回は神社で、だとしたらそれはまた楽しみです。腰、お大事に。