まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

平成の終わりに・・・「下々の責は我に還る」 08  12/23 改

2017-05-17 10:51:42 | Weblog

今は一世一元となっている元号も以前は一人の天皇で幾度も改元されていた。
それは飢饉や天変地異に際して国家の気風を転換するといった目的でもあるが、「祷り」の問題でもあった。

それは景気回復の祷りではない。




             
             吉田茂


つまり、゛所有せず゛を旨とする天皇の威の在り様として国の盛衰を「祷り」に託す神託があった。麻生総理の、゛下々゛発言も麻生氏からみたシモジモではなく、茂(吉田)祖父さんの天皇に対する畏敬の念に表れる書簡の末尾に記した「臣茂」からすれば、国民はシモジモであるというとらえ方である。

その下々だが、今は釜中の民の様相である。
大釜に入れられ、火が焚かれ、水浴びからぬるま湯になって幸福感を感じていたら、熱湯になったということだが、゛始めチョロチョロ、中パッパ゛飯炊きの按配よろしくコントロールの効かない欲望と同様に、自身の融解の淵に立っているようだ。

仁徳天皇の逸話に「民のカマドの煙」がある。カマドに煙が出ていれば人々は食べている、それが当時の生活感だった。
さしずめ今の釜焚きの按配は、株、為替、金融といった数字が支配している。その火加減の按配と釜の形である自由の釜、民主の釜、平等の釜、人権の釜に、さしたる意思も無く、もちろん選択権も無く押し込まれ、融解して平準化されてきた。




              

              平成発表 小渕官房長官



「祷り」にもどるが、現在の元号は平成である。
コンピューターの2000年問題から経済の暦は西暦になった。西洋暦つまり彼等のいう聖なる書(聖書)に随った時間を過ごしている。

支配するものは言語を変え、度量衡を変え、法を変えるが、先ずは暦を変える。
暦には節やメモリーデイがある。クリスマス、感謝祭、建国際など様々だが、平準した後に力の強いものの基準や時間が作る歴史の掟や習慣に同化するのは至極当然なことでもある。

趣は異なるが、インドネシアは永くオランダの植民地であった。彼等は他の白人国家同様に自国の国家予算の数十パーセントをインドネシアから吸収している。そのオランダを追い払い、日本の敗戦によって再び植民地にすると舞い戻ってきたときに残置日本兵はインドネシアと共に戦い独立を勝ち取った。2000人余の日本人兵士は帰国を待つ母や妻子の思いを断ち切って独立のため先陣で戦っている。



            
           映画「ムルデカ」よりインドネシア独立


そのインドネシアの独立記念日は「17805」と刻まれている。
独立運動の闘士だったスカルノは共に戦った日本人兵士に民族を代表して感謝と哀悼と、意志の継承を誓って独立宣言文に皇紀2605・8月・17日を書き入れて署名している。日、月、年の記憶である。

その数字には祈りがある。かの国の獣を表す666や人間のラッキー7もそうかもしれないが、決して鎮まりのあるモノではない。

はたして平成は「内平らかに天成る」「地平らかに天成る」の双意のもとに国の風向きを移すことではあるが、唐風、西風の異なる風は我国の遺風を忌諱して妙な患いに陥っている。

風には整風、清風、正風、あるいは薫風というものがある。
あるテレビ番組では「風を観る」といコーナーもあるが、このところ、とんと気にかからなかった風だが、肌を刺すような異風は息苦しささえ実感するようになった。

だが、おおよそそれらの風は下々が吹かしている。人間界の欲望への熱狂と偏見、嫉妬、怨嗟などの差異、つまり風が起こる要因である温度差はあらゆる所で風を巻き起こしその差は広がっている。俯瞰すれば忌まわしい風である。

なぜ「平成」を撰したのか。

深遠とも思われる学風は時として浅薄とも思える浮俗の様相を鏡として考察することがある。いやそれが自然である。

安岡氏は敗色濃くなったころ鎮まりを以て漢詩を詠んでいる。
その末章だが「・・・劫火洞然、君歎ずる無かれ、塵を祓って、シンフンの絶するを見る」(猛烈な炎に焼きつくされるが、悲しむことは無い、塵をはらって忌まわしくも不吉なものが無くなる)

つまり武威、当時は軍閥、軍官吏、いまは金融資本家、不作為官吏、私利私欲な政治家は他国の圧力や民の反乱を受け機能不全に陥るが、歎くことは無い彼等は自壊し清々しい新風が吹いてくる。天が落ちれば一番高いところにある者に当たるという隣国の故事にもあることだが、戦後を見通した先見である。

ただ、下々の悲哀は他人の所為(せい)や国際情勢の所為にはならない。
先ずは五内(内臓)を裂く位の気持ちで自らの責の在り処を尋ねることが必要になるだろう。鎮考して元号を選し祷った意味はそのようなところにある。


梅里(徳川光圀)先生はその碑文に記している。
「第宅器物その奇を用せず、有れば有るに随って愉しみ、無ければ無きに任せて、また安ジョたり」(よき友であろうが位のある者であろうが家や珍しい財物で迎えることをしないで、自分の力量を理解して無ければ無いでそのままの姿で迎えることが双方安らかな気持ちになるものだ)つまり無理して飾ることはないということだ。

我国には、゛下々゛もあるが、安寧の祷りを専心としている「上」もいることを想起したい。「上」は所有せず、もっとも倹約が行き届いている立場でもある。

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