まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

籠池・加計騒動  私人だとか公人だとか騒がしいが

2017-06-15 14:37:56 | Weblog

 

                                         

 

まさに議員たる公人が騒がしくも争っているが、どちらでも張り付け膏薬のごとく、どこにでも姿を変える論争だ。与野党問わず役人や弁護士あがりが多くなったせいか、まさに「智は大偽を生ず」ごとく、狡知を駆使して権力なり大向こうの大衆を屏風にして、しかも手前勝手な便法を使い言い争っている。「智は大偽を生ず」とは、「智」でなく単なる知った、覚えた、暗記した類の「知」であるが、使いようによっては「痴」になるものだ。

 

「忖度」が流行りだが阿諛迎合や曲学阿世を絵に書いたような議員だが、官僚の腹話術に陥っては、人物を得ないゆえの亡国は遠いことではない。

とくに、数字と法が踊る弁舌は、国民から揶揄された「代議士は人を騙して雄弁家」という野暮で古臭く人情のかけらもない様相を現わしている。これでは幾ら善い政策でも発する人物が愚かでは、国民は信用しない。崩壊学級に似て、互いに言葉尻をあげつらい罵声と居眠りを見せつけられる国民は面白がるが、後は徒労感とやるせなさしか残らない。

 

しかもその知の目的は正邪の分別ではなく、己を飾り、自らさえ欺いて権力に阿諛迎合する詭弁でしかなくなっている。とくに為政者ならずとも監督すべき官僚の顔色を窺い、見え透いた嘘で、真に国家に憑依しつつ暗雲となっている官僚社会主義と揶揄される彼らを隠し守っている。

一度は政権についた野党もしかり「お前たちだって」と、あげつらわれれば話題をすり替える。彼らは「論点を変えて・・」と、うそぶくように心根が定まらないのは選挙を我が身の失業対策運動と成り下がっている津々浦々の地方議員と何ら変わることはない。ゆえに狡知を搾りだす官僚の手のひらで踊るのは与野党問わず議員の実態であり、大多数の国民も承知している。

 

筆者はどちらでもよいことで対象が有効とするなら公私の分別もなく利用するものだ。要は使われることが不特定多数の利福を前提とするなら公人の行為、己や特定のことにその優位さを用いるのなら私人と考えればよいことだ。 

大切なことは、学びは行動に直観化し、しかも利他に用となって、真の学びとなるとの思いがある。

 

どちらについても後の言い訳はつくことだが、私人とて公的任務を帯びた行為をすることがある。ただ行政の便宜を図る場合でも運用者は人物を観る。高学歴無教養といわれる彼らだが、気になるのは人事昇給と生涯賃金のようだ。それは、このブログでも再三取り上げる「昇官発財」にある隣国の宦官のようになっている。どこでも似た者同士だが、隣国の明け透けでリアルな欲望追及とは異なり、煩雑で重層された便法によって、間違いさえなければ墓に入るまでの生活保証は担保している。亡国の使徒となっているような世の多くの母親は我が子に「公務員になりなさい」と、単なる俸給安定目的で盲従を勧めている。

 

つまり似て非なる「公人」になることを勧めているのだが、競争好きな母親の嫉妬は家庭の充実といわれる幸せ価値まで変容させ、国家なり社会の基礎的要素である家庭までうつろな状態においている。それは私的要件で「ニセ公人」を作り出す一方の教育システムではないだろうか。とりもなおさず国家が生活保障をしてくれる状態だが、前記した官僚社会主義が極まった姿として戦前の軍官吏の跋扈した暗雲の再考を促すだろう。

これらの情況に対して、あまりにも政治は無力だ。それは時の権力の風向きを眺めつつも、もともとその無知を侮られ、かつ操られる政官複合体ゆえの醜態なのだろう。

 

                                                  

                                  

 

筆者のことだが森友問題とは似て非なる国有地の払い下げをおこなったことがある。

こちらは私的要件ではなく、まして関係者以外は知らない逸話でもある。

板橋区内に筑波大学が使用していた広大な跡地があった。よく破損した鉄条網をくぐって高齢者がゲートボールをしていた。もちろん子供も遊んでいた。委託管理者である大学は禁止処置をとっていたが、それは立場のあるゆえのことだ。

お決まりのごとく住民は、近在の区議や代議士を通じて地域に跡地の有効活用を陳情した。

夫々がいずれ選挙名簿となる署名を集め、親分たる都議や代議士に渡し、代議士は大蔵省に出向いて平身低頭、ときに宴席で酒を注ぐこともあった。当時の力関係はそうだった。

しかし何年経過しても成就しなかった。

 

区の職員も動いていた。何度か国有財産統括課に訪れ、交渉ならずお伺いをたてたが2時間も机のわきで立ったままお茶もなく、まるで職員室の生徒と先生のような状態だった。

筆者からしてみれば身近な自治体の官吏だが、たとえ大蔵省といっても官吏には変わらない感覚はあった。交渉の可否はともかく、偉丈高な態度で対応することが気になった。

 

大蔵省には縁がなかったが、師と関係のあった愛知喜一元蔵相の秘書だった官僚が銀行局長をしていることを想い出した。師に相談したことではないが翌日には饅頭の土産を持参して霞が関の本省を訪ねた。当時はセキュリティが厳しくはなかったようで衛士に銀行局を尋ねた。何の問題もなく銀行局総務課長の扉を叩いた。C課長だったが不思議がらず要件と紹介者云々を聴かれた。紹介者もないが事情を話したら担当部署について説明を受け、隣室の女性に案内を指示してくれた。

 

課長と懇談中、多くの来客があった。みな慇懃に挨拶をして下がったが、聞いてみたが大手都銀の頭取や役員だった。護送船団と揶揄されていたが、職掌の威力を目のあたりにして見た。これでは陣笠代議士では近くに寄れない雰囲気だった。まさに大蔵は国家なりだ。

歩きながら女性の職掌を聴いたら銀行局の地銀担当の責任者だった。この若き女性官僚にも地銀の役員が頓首して挨拶に来るのかと想像したが、街中で会えば美麗な女性にしか見えない。

 

案内されたのは国有財産統括課長だった。話は伝わっていたのか、いちいち人定質問はしない。区の職員との対応は細事ゆえ後回しにして国有地払下げの現状と仕組みを伺い、板橋の跡地についての本題に入った。

現在の経過と今後の可能性についてだが、驚くことに代議士の運動や署名については多くの案件の一部としても上がっていなかった。ものごとは法に基づいた案件処理計画と事務処理だが、こちらとしてはその糸口とシステムが解からないと土俵にものらない。しかも闇雲に議員に頼むことで、かえって保留案件として滞留することがあるということだった。

それは大物議員の意向だとしても、当時の大蔵キャリアは、゛我こそ国家゛の意識があったのか、反応にも絶妙な時間差があるようだ。

 

つまり、゛やりずらく゛なる案件なのだ。当時は各省幹部の人事権は官邸にはなかった。ゆえに一歩間違えれば人物如何でノーパンシャブシャブ接待にキャリアも誘引されてしまう。もともと東大出の一種合格組は政治家とて面従腹背の上から目線が多いようだが、侮られる議員も選ぶ有権者も劣化の謗(そし)りは免れない。まさに、デモ・クラシー変じてデモ・クレージーだ。

 

                       

                            

 

あるとき安岡氏から「君は代議士になりたい思うかね」と唐突に聴かれた。世人がいない書斎なので「いや、考えたこともありません」と応えると、「議員は人物二流しかなれない」という。それでも当選の見込みがなくても、言いたいことではなく言うべきことは言う」といえば、あの岡本老のように「安岡が入れる(票)からおやりなさい」と意気に応えかねない妙な義侠がある師だ。それは師の訓導した「無名は有力です」に沿いつつも、利他(他への貢献)への侠気に動かざるは学びの自滅であると考えるからである。

総てではないにしても氏の周囲には多くの高位高官が集うなかで、これはといった人物がなかなか見当たらないという。まだ官僚の方に見るべき人材は散見する。

 

人間学的歴史観での見方だが、このまま進捗すると、法や制度は整っても人物が枯渇しては紙に書いた条文でしかなくなる。しかも問題が出ると新法を積層して煩雑になり法治の整理がつかなくなる。そこで現われるのが三百代言といわれるような法匪の群れだ。官僚は詭弁を使い、政治家は詐術を謀として国民を騙す。むかしは「政治家は人を騙して雄弁家という」世俗の戯言が流行った。

 

板橋の案件に戻るが、国有財産統括課長は見識があった。たかが饅頭を持参してアポイントのなく押し掛けた人間の青臭い話に耳を傾けた。共通するのは「国家として」だ。

それは個別問題に拘泥するものではない、不特定多数の安寧を求める意志と彼の専権する分野での効果的施策についての応答ゆえの姿だった。

 

当時、津々浦々の自治体では役所の景気?が良かったせいか箱物といわれる公共建築物がいたるところに計画されていた。いずれは管理費などで経常経費があがり、税収が乏しくなれば住民の借金である起債が起きる懸念があった。また、お決まりの利権が発生し腐敗汚職が頻発して自治体への住民怨嗟が起きて政策すら停滞する懸念があった。

 

板橋とて百億円庁舎といわれる建築に際して業者・政治家・職員を巻き込んだ問題が起きて、中心となった区議は病院に逃げ込んだはいいが新聞記者から追いかけられ頓死している。また、まじめな幹部職員も心労で亡くなっている。

しかも区議の支配する建築会社が談合に加わったが、大手建設会社とは規模が違いすぎるために、B談合といわれる工事はせず、分け前だけ頂戴して仲間の区議や関係機関の職員に渡している。気前がいいのか、区役所にちかい公園のトイレで連れションした近隣の治安機関の職員にも小遣いを渡していたが、この職員は退職すると区議の支配する建設会社の名刺をもって筆者のところにも挨拶にきていた。

 

                            

 

 

それゆえ、広大な土地の払下げには一定の縛りを掛ける必要があった

統括課長には全国的に憂慮される問題として、事情を説明し「憩いと防災」として一定期間箱物は建てない条件を申し入れた。今年29年に建築計画が発表されたとき幹部職員に「たしか縛りがあったようだが、期限は承知していないが調べた方がいい」と伝えると、早速調べなおした結果、10年の縛りがあったという。それも判らず設計までした後だったが、職員も安堵したようだ。大蔵省の面談では課長の約束言質はなかったが、金満自治体行政の緩みが住民の人心に及ぼす不信や怨嗟の広がりを恐れたのだろう。その点は政治家より世の中をよく見ている

 

前記した、゛お茶も出さずに立たせた゛件だが、課長は担当係長を呼んで当方の話を聴かせた。それ以来、板橋の職員に聞くと対応が変化したという。係長はその都度連絡をくれた。

直近の審議会を経て払下げが決定したが、政治家も絡まず、私的要件もなく、饅頭の箱を下げた無名な国民でも、人物に遭遇すれば胸襟を開いて意をくんでくれる。さすがエリート揃いの大蔵省だと感心もした。経費は饅頭ひと箱と電車賃、労務は半日だが佳い人物と応談できたことは何物にも代えられない。「何事も人物を得ることだ」と諭す師の言は実証された。学びの行脚は独悦に限る。

 

余談だが、その立たせて対応した係長から電話があり、「OBをどこか採用可能ですか」と。天下りではないらしい。

板橋に繋いでくれとのことではなかったが、こちらはそんな権限もないので、こんどは立たされた職員に伝えた。「私的依頼でしょう、便宜はないが、少しは庁内もビリっと緊張するので悪いことではない。上司に伝えてください」

しばらくして慇懃に「難しい」と返事が来た。たしかに大蔵OBでは不埒な議員や談合業者に歪められるような卑屈な自治体では採用しずらい難問でもあった。なによりもキャリアへの引け目があったのだろう。

 

                      

 

払下げだが、この場合の筆者は私人ではあるが、なによりも日本国民の共有財産である土地の活用の話だ。

たとえ板橋の公園でも北海道から沖縄の人まで訪れて憩いに活用してくれる。板橋だけのものではないのだ。まして誰から頼まれたことではない。だだ、気が付いたお節介なのだ。

彼等とて行政府の職掌事務係ゆえ、権限はあるが権利はない。筆者と同じ国民であり、理に沿った提案なら動くのは必然だ。よく恣意的運用などといわれる執行があるが、これは不埒(埒(柵」から外れた)な不良役人の行為だ。

 

区役所でさえ、どこかと違って関係書類の破棄はなかったので助かったが、何よりも籠池問題がそれを気付かせてくれた、まさに一助でもあった。きっと当時の大蔵省の気風なら佐川君とて威風堂々とそうしただろう。その意味では政権の三百代言に成り下がった佐川君がかわいそうだ。官吏としては及第ではあるが、官僚として、まして純情なる良心を汚した為政者は嘆かわしい。

 

まさに「上下こもごも利をとれば国、危うし」

それより、これからは「小人、利に集い、利、薄ければ散ず」と、解体現場から逃げ出すネズミが増えてくるだろう。

国民はネズミ捕りを用意しなくてはならない。

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