まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

あの日、憲法前文を撰す     2007年12 稿 再掲載

2017-06-09 12:00:55 | Weblog


世情が騒がしい

昔は鎮護の国といった。鎮は「しずまり」あるいは、人の逝去を「鎮す」といった。

騒ぐことと,鎮まることは、考えることでも結論が逆になることがある。

そんなことを沈考すると、大船の行き先が見えてきた。

畏まって記した。



              



四方蒼海の鎮まりに在る我国の美風は、国家創立の礎として顕示されている古

代律令にある矩を範として、人間の尊厳を祈護する心を継承したものである。

その意思は万物隣邦の共存と安寧を謳う皇道の祈念を国維として、国民におい

て等しくその目標のために勤めるべく、志操の涵養と互いに慈みあう姿を願う

ものである。

それは人々の連帯と調和を司るために古人が宗とした我国の徳目である、勤勉、

正直、礼儀、忍耐を基礎とした人格による徳威の修練を求め、歴史の栄

枯盛衰に標された内省を鑑として、地球史に普遍な恒心の自得に他ならない

この憲法は人間の尊厳と、それを扶ける綱目を表し、我国の清新な国民意思を

次代に継承祈念すべく公布するものであるとともに、諸外国との善隣好誼にお

いて有効な日本国民の意思として掲げるものである




平成17年2月9日 撰




注 「国維」(こくい)国の大幹



【撰 憲法前文考で想起する
        民情を下座視 歴史を俯瞰した憲法観とは】

普段の生活では思いもよらぬ観点であり、国民にとっても通常の生活では考えることすら及ばない憲法の、しかも前文などを起草しようとした心の節を記してみたい。

過日、新聞紙上に各氏、諸団体の憲法前文試案が掲載されていた。
内容は程よい説明文の形式だが、その起草代表者は権力者もしくは、威を装った知的集団の集いである。
とくに目に付くことは、「我々は・・・」「私たちは・・・」の繰り返しが多用され、一昔前のアジ演説かと見間違うほどの書き出しであった。

この前文だが、憲法の記されている内容を国家の遵守事項を国民の生活マニュアルとするか、自意識に存在する自制と内外に示す国家標題と考えるかによってその趣はおのずと異なるものになってしまう。

そのことは明治という集権国家創成にともなう国民という文言を、単に新しい意識でとらえるか、それとも国家運営形式の変化にとらわれない、国家という成り立ちに沿った日本人としての有り様を基本とした人間の尊厳を守護する為政者の施政方針の類なのか、あるいは王政復古にともなう国家概念の変化を標榜したものなのか、未だ意識のなかに定着していないようだ。

 憲法といえば、政治論議の対象になる9条の解釈や、最高裁の憲法判断といわれるものなどが国民の耳目に触れる憲法の一端である。またそれが総べてであろう。
国民にとっての憲法は、いや憲法観はそのようなものであろう。
 封建社会もそうだったが、庶民は法やそれ以前にある掟、慣習にある規範もしくは道徳については教えられたり強制されたりするものではなく、「習う」あるいは「慣れる」ものであった。

 法は、分別層にあった武士の権力乱用や、商人の矩(のり)というべき商業道徳を侵した場合に適用されるものが多かった。また幕府と藩主にある法度や、武士が自らの道徳律とした武士道は他に制裁を委ねることを潔しとしない自裁、靖献であり、武士という分別階層にのみ与えられた慣習規範だった。もちろん、人別帳によって住居替えなどは農民の制約としてあったが、これとて地主、庄屋に代表される地域社会の長(おさ)の裁制に委ねられていた。

 聖徳太子の制定した憲法はそれらを対象にしたものではなく、それらを強権力によって侵害しようとする支配権力に向けられていた。また冠位によって存在をコントロールする術も憲法との抱き合わせ効果としてあった。

 その意味からすれば、高位高官、経済人、篤志家と称される者たちが権力者に褒章、勲位を強請(ねだ)る醜態は憲法意思の融解を推し進めていることでもある。

 褒章、勲位はその置かれた位置と矜持によって、何を為すかを求めたものであり、単に権力者を通じた天皇の威を人品の代表物にするものではなく、またそれが醜悪なる人品骨柄を覆い隠すものでない。

 太子の制定も制度として成立してはいるが、人の欲望が織り成す「昇官発財」の道具立てになることは予想していても、現在のような統治方法としての民主を騙取仮借した権力者による改憲は思いもよらぬことだったろう。

太子は制定当初から憲法の意思が権力者によって融解してしまうだろうという危惧があった。それほど権力を持つものの欲望のコントロールの難しさを知っていた

 つまり、憲法の意思は権力者によって人間の尊厳を侵されないために制定祈護したものであり、たとえ民意に負託された間接権力を行使するものだとしても、官吏や政治家の一過性の意図に制定を委ねるものではないはずだ。


現在のように公権力に携わるもの達が、装いはあっても公意をなくしたときこそ権力に対する憲法の効用が活かされるべきであろう

 しかも、戦中に「軍は竜眼の袖に隠れて・・」とあったように、たとえ民から選ばれた政府為政者および議員、官吏が争論をもって按配される憲法が、天皇の認証によって公布される憲法とするならば、なおさらのこと鎮まりの機を待つべきだろう。

 ならば、なぜ憲法前文をこの期に起草しようと思ったか。
じつは、怒りにも似た感情、甚だしい憤怒の念、そうでもない、只、気がついたら起草していた。ものの二十分、いや三十分だろうか、拙い残像にある留魂を文字化していた。恥ずかしながら紹介文を書いていだいた大塚寿昭氏、背景を具体的に記していただいた村岡聡史氏の論文によって始めて事の提起を覚ったものである。

 どのような評価を期したものでなければ、功ある定着を描いたものではない。
染み付いた残像がそうさせたのだと思っている。












〈無国籍な憲法争論〉

元総理をはじめとする様々な憲法研究団体には、多くの若手議員が列をなしている。
各々の前文試案には、天皇、国民主権、平和、が明記されているが、どれも国民を錯覚した支配観、いや管理意識というような錯覚した選良意識があり、伏して下座視しているようには思えない。それは民主という便宜統治の耳障りの良いスローガンに酔っているかのような文字が羅列している


 それは江戸開国の不平等条約改正のために西洋の近代国家に近似するかのような体裁を取り繕ったものではあったが、当時の一部指導者の阿諛迎合性と拙速な行為は今もって掃うことの出来ない特有の性癖でもあるようだ。

現代のパソコン文化は世界の擬似平準化に欠くことができない道具文化を創生した。そこにはコンテンツ(空虚な内容)を、まるで実証とするかのようにソフトという代物によって起動提供され、あたかも科学的根拠があるがごとく眼前に現している。

憲法論議もそれに似て、まるでそれが大義のごとくにスローガンを包装して国民を惑わしている。
たとえば、あえて必要不可欠のように取り繕われている「天皇」という言葉も、その専権である国事行為も意味は分かっても、どのように向き合ったらいいか見当もつかない人が多いようだ。

宮中参殿における天皇の秘事と同様に、国民に分かりやすい国事は元号の制定がある。
あるいは維新前におこなわれていた三種の紳器の親授や、一世に幾たびかおこなわれた改元は明治以降、一世一元になり現在の平成で四世四元となっている。
元号は単なる年記号ではなく、その御世における国家安寧に祈りを込めて元号に託すものである。

それは現世利益のみを追う、政治、宗教、経済、あるいは役人の解釈では届かぬ、歴史を俯瞰した継承精神の蘇りと覚醒を託したものでもある。
明治、大正、昭和、平成には国家の歴史とともに、人や生活環境、人心の流れを表わす節目があった。

 もし、その期とするならば敢えて案として世に問おうとゴマメの歯軋りを撰したものである。

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