まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

時節に踊る 腹話術会議

2024-03-10 03:56:33 | Weblog

 

国会から町内会・PTAまで様々な会議と称する集いがあるが、散見るのは親分のコントロールによる正式委員の腹話術のような意見だ。とくに、゛村社会゛と揶揄されるような共同体では親分、ここでは、゛主だった人゛といわれる有力者や組織の先輩の意向が委員をコントロールしてロボットのように使役するようだ。

 

一人前の意見を述べているようで方向性は親分の意向どおりのコントロールだ。別に生活保障されているわけでもなく、なんら服従する理由もないが、ここでは逆らえないような、言うに言われぬ風圧があるようだ。

国会では派閥のボス、党の意向、町では世話になっているわけでもないが昔の地主や先輩の存在が大きな影響がある。ここでは悪しき意味での忖度がある。心を察して随うのだが、ボスには責任は及ばない。

ここでは全体を構成する不特定多数の利福などは無く、ボスの意向を隠す装いが重要になってくるが、鎧の下の狡猾な刃は隠しようもない。かつ多くの人には見抜かれている。

 

会議でも「コントロール会議」の如く、強引に意見を言うが強ければ強いほどその臭いは漂ってくる。委員も独立と自由を装うが、心はボスの事前指示がトラウマとなって、突き詰めれば半知半解の借り物意見ないし、怨念を装うためか応えに窮するようになる。

 

このような人間だから分派された小組織なら尚更、「おまえはバカだ・・・」「このようにしろよ・・」と猫のよう従順になっている。それでも子分か手代のように随うことを安住として考えているのか、会議では水を得た魚のように自説を展開する。とこか滑稽さはある。

 

もともと一刻の学級委員のようなものだが、村会議といわれる揶揄に含まれている問題意識の欠如がある。その他一同意識の無理解にある従順かつ、ノンポリシーと称されるその他一同意識の会議では、そのバカといわれようが親分に従順な小者の屁理屈に騙されるようだ。

 

 人と変わったことをするな、口は禍の元、と育てられた分を知る世代もある。その効用も大きい。

なぜなら集団構成に必須な継続の要件としての見識ある人物による裁可や佳き習慣性の護持、また独特な掟による自制自照の促しは、異物の混入を抑える、あるいは同化させる力もあった。よく村八分が問題になっているが、邪まな者を出さない、出たら裁断するといった抑制免疫の効用があった。

人権・平等・民主の概念は人の調和と連帯を毀損することに用いられることがあると古老は説いたが、その最たる方法論としての選挙は余程のこと人物を得なければ人気選挙、好き嫌いの感情選挙、あるいは損得の利得選挙になってしまう。

 

また。それを指示する方も、される方もそれが及ぼす人間関係の煩いごとを推考する洞察も見識もない。あるのは思い通りにならない悔しさや嫉妬、過去の怨恨などだが、コントロールされ、ボスにバカと叱責される委員には血沸き肉躍る会議のようになる。とくに怨恨を晴らす人事の会議になると、それでなくても怪文書は飛び交い、密談が横行するイベントなのだ。

 

                               

               藍綬褒章

   なかにはこれを求めて争論、嫉妬・復讐する地域のボスや使われる手代もいる

 

 

下は上に倣ったのか、邦人の性癖なのか、普段は寡黙な者まで言葉に熱が入る。おおよそは生きていることの存在確認と己を他人に知らしめることのようだが、言葉も「言いたいこと」が多く、責任が伴う「言うべきこと」が少ない。

 

毎年のこと任期限が近づいたり、改選が予定されると全国津々浦々で人間間の珍事が繰り広げられる。とくに損得や名誉がかかわると熱を帯びる。損得といっても、たかだか一過性のおこぼれや、名誉といっても記録に記される地位や、欧米ではタックスイーターと称されるる部類の役職官吏の感状や表彰状の奪い合いだが、その後の陛下からの褒賞狙いを主目的とした人事抗争も数多全国で展開される。

同時に褒章業者がモーニングや配りもの,名士を呼ぶパーティなどの一斉に営業が始まる。経済効果も多いが、なによりも本人にとっては価値観の問題ではあるが一世一代の晴れの舞台なのだ。役所も紙切れ一枚でコントロールされる業界や国民ゆえに、重宝している制度でもある。

 

政治や経済ならさも有らんかと思うが、福祉団体や更生保護団体でも額に入った四角い紙が近い(もらいやすい)せいか、一部の者たちが熾烈な闘い?が繰り広げられる。

一方は弱者救済、一方は犯罪者の更生保護と周知だが、弱者といわれる方も犯罪者も縁のないそれらの感覚だ。まして一億超の国民からすれば水たまりのボウフラが争っているような細事だが、その連中の意識には忘却されたこの時節の恒例イベントのようなものになっている

まさに社会を覆う人の感情裏面でもあるが、見方によっては篤志を掲げる目的意識に沿わない社会悪の一端ではないかとも思える姿だ。

それを意図したり、嫉妬したり、怨念の復讐のようなゴマメの企てだが、「お前やれ」と指示されて出てくる腹話術役員も同じ臭いのする手合いだ。

 その従順な子分となった委員の役割は、この点では重いが、任に耐えられない珍奇な発言が多いのもこの手の人間のようだ。


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