まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

「女厲(じょれい)」  女性が派手で烈しくなる現象 10 6/9再

2017-07-12 09:49:58 | Weblog

 

 

あの豊田議員だけではない・・・・・

平和と平等と人権を、ときにファショのように操る女性が増えてきた。かよわき男は阿諛迎合して易しく同調する。

 草食系といわれるオトコが多くなったというが、゛易しい゛オトコが殖え、゛優しい゛オトコが男を発揮できなくなったと聞く。


また男がおとなしくなったというが、理解しがたい女性を呆然と眺めているのである、と聞く。


 女偏のつく文字のおびただしい数は、それだけ重要な役割と責任がある“性”なのであろう事は疑う余地はない。とくに陽(男)と陰(女)の調和が生命を誕生(産む)させるという神秘的な行為に対する感謝、崇拝が、かくも多様な文字を作り上げたと言っても過言ではない。

 このように両性扶助(調和)は人間界の繁栄と維持に欠くことができない条件ではあるが、歴史はその時々にその還元力を試したり、互いの必須条件を確かめるかのように愛憎の反復行為を両性に与えたりする。
太古の歴史の反復、循環の作用からすれば先入観と考えられることかもしれないが、役割の入れ替えと、心の棲み分けがそれである。

 古代の埴輪にある帯刀した女性、儒教における男女の役割、戦後の社会的生産分野への進出、教育分野での女性的価値観での影響力、政治の分野における女性特有の参加形態がそれである。
街中では到底歩けないような原色のスーツと、ここ一番の厚化粧をした議員が口角泡を飛ばして平和、平等、人権を屏風にして相手を批判、もしくは自身の意見を確認するかのような論を強弁することに本気で応じられるのだろうか。
現在の姿は、平和ゆえに一過性の現象とも考えられる。






 「女厲」は男性側から指して言っている訳ではない。調和の崩れが及ぼす影響が、いずれは女性自身の側に降り注ぐことを憂慮した、歴史の女神からの啓示のようなものであろう。
 
 たかだか人間の考える範囲の問題だが、人間は平等であるという。しかし男女の区別は双方から見てもある。 肉体の構造は大きく違い、ときとしてその享受する歓びも、それぞれは真に理解することはかなわない。また憎しみも違えば行為も違う。

 こんな俗諺もある。「平ならぬもの、平すれば、平ならず
平ならず、とは不平と書く。平すれば、とは平等と書く。

平ならず、とは不平である。つまり元々「平らでないものを、平等にすれば、不平が出る」ということである。この隙間には、個性とか特徴があり、また平和や人権意識がある。


 人間は何と遠回りして考えるのであろうか、あるいは誰に問いかけているのであろうか。

人間の身体にも機能は均等だが利き腕、支え手がある、また戦禍や不慮の事故で機能を亡くしても補助や他からの扶助がある。不平、公平、平等を眼前にも意識にも総て存在するのが世の中である。これを得手勝手な嫉妬、恨み、に逆進する意識と、惻隠、感謝、学習に転化することでは、人の世の現象に多くの差異が生ずることとなる。

 だが人間同種として共有、共感することがあるからこそ、違いから生ずるさまざまな苦楽を認め、受け入れることの積み重ねを“愛情”という文字に写しとっているのである。


ともあれ「五寒」にみる女厲は亡国の兆しであり、改革だ革命だと騒ぎ立てる政治の根底を腐らせるやっかいなウイルスのようなものだということだ


※女厲・・・・・国家の衰亡時に表れる五つの姿「五寒」の一つ

内外・・・内が治まらず外に危機を煽る

政外・・・政治のピントが定まらない

敬重・・・譲り合いや尊敬の心が乏しくなる

謀弛・・・大切なことが漏れる    規範が弛む

女厲・・・女性が烈しく荒々しくなる

 

 

 

 

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