いまだ学べない弟子と称する偽装
よく安岡正篤氏の弟子と称せられるモノたちには「冠」が付くものが多い。
不肖の弟子と謙遜ならまだ良いほうで、「最後の弟子」「直弟子」など、存命中には聞かれなかったような付属の冠だが、欲望と偽装がバブルのように詰まった瓶の栓のようにはじけ飛んでいる。
永田町周辺に蠢く占い師やブンヤあがりの「人脈屋」、はたまた巨額の脱税をした地方新聞のオーナーなど、多くは出版書籍などのメディアを利用して自身そのものを売り込んでいる手合いが多い。
なかには大仰にも安岡先生の教えを基にと騙り、セミナーや勉強会を立ち上げ、わざわざ無辜の精神を汚し大金をせしめている輩も出現している。
そもそも安岡氏は弟子と呼称する者はとらなかった。
それは勝手に自称しているだけである。それは悪いことではないが、安岡氏が原典とした古典でいう儒者百家の論語、陽明学などを思想信条の糧として学ぶものなら、その自称も救いはある。つまり安岡流の解釈、活学であり、つねに「古典を学びなさい」という氏の促しと学び方ならまだしも、氏の人格を代表しないエピソードや附属性価値を金屏風もしくは自己のテンプラ偽装の具にしている輩が如何に多いことが、とくに昨今に観る現状である。
とくに、氏に関する出版書籍が氾濫しているが、氏が存命なら先ず看過しない類のものが大多数であり、総じて陳腐にもマニュアル化され、なかには書棚の飾り物として、あるいは新興宗教のリーダー著作本のような類に背景を飾っているようである。
翻って氏の説いたことを見聞きしたからといって学問をしたということでなければ、その生活行動がその通り映し出されないからといって非難すべきものではない。
応接にて
色、食、財の欲望に抗しきれず、男女で失敗するものや美食で病に陥るもの、あるいは金貸しや刑務所に収監されているヤクザでさえ生き様のヒントや指針として氏の縦横に説かれた古典の活学は応用されるものだ。
書籍の帯に宣伝されている政界、財界の指南役、人生の師父などという麗句は、どこか愚かな大衆と見た商業出版が日本人の性癖のように見える阿諛迎合的な知識の集積欲に触れ、かつ煽る姿でもある。泥棒でも熟練した泥棒の訓話やエピソードはよく頭に入るが、親や警察官の話は蛙のツラに何とかの類であろう。
知識というのはそのようなもので、どこにも知識人はいるものだ。
安岡氏は殊のほか物事の峻別は厳しかった。明治人特有のものなのか厳格さと洒脱、そして冒険心など、今どきの井戸端論議や三面記事には格好の人定騒論だろうが、それらを自身の内面考察と外的要因を考察をおこない、より的確な総合プロデューサーとして古典(むかしばなし)を活かしている。
それは安岡氏特有のスタイルであり風儀として置くところを選択していた。
また政治でも政局論を避け、人間が行なう政治というダイナミックにも悲哀を含んだ繰事に先見、或いは先を見通して物事の結末を見てとる「逆賭」を説き、歴史に刻まれた栄枯盛衰に表れる吉凶を説いている。
とくに政権担当者の周囲にある人間環境では到底解消できない人間の秘匿すべき脆弱さを見て取り、一時でも欲望を解脱したものの清々しさを味合わしてもいた。
なかには実利のみを追う浮俗の政治家には、巧妙な皮肉を投げかける洒脱さもあった。それは氏をニヒリズムと称すことにもなっただろう。
あるとき大企業の社長が就任挨拶に訪れた。さしずめ、゛謦咳に接している゛とのことだろうが、普通だったら、オメデトウ、ガンバッテというところだが、なんと『お辞めになるときのことを考えて励みなさい・・』その社長は就任挨拶にてっきり褒められるかと思いきや、辞めることを説かれたので返す言葉も見つからなかった。
それは嬉々として報告に訪れたサラリーマン社長に対する親切な忠告だった。
その後、会社の誇りであった銀座の一等地のビルは新興企業に買収されている。
そして買収企業も政財界を巻き込んだスキャンダルで社長は社会から指弾され放逐されている。
近くもいいが、遠くもいい・・
さて、その人物の行く末の「先見」と関連する環境の「逆賭」だが、氏は初対面でも瞬時に読み解く能力があった。それは氏が講演の枕詞になっている思考の三原則によく表れている。それは枝葉末節でなく根本的、一面的でなく多面的また全面的、現世価値でなく将来的、という部分によく見えるものがある。
氏は同じものでも見方によっては逆な評価、あるいは結果が生まれるという。
そこまでは理解できるしアンチョコマニュアルにもなり、都合のよい挨拶借用にもなるが、それを身につけるために様々な提案をしている。
まず、「無名」でいなさい。「時流に迎合しない」「功劣を問わず至誠を問う」「教わらず習う」「貪らないことを寶とする」
氏は納まりのよい言葉と漢字特有の音感で多くの熟語を構成し、官制学にはない響きと安心感、そして唸らせるものを表現してきた。
それは「学ぶ者はお前さんだ、自分は触媒だよ」とばかり突き放しているようにも見える。
筆者も散々試されたことがある。冥土に行ったら皮肉も言いたいところだが、返されるのがオチだ。
また戦前の覇気ある言動は軍関係に歓迎されたが、氏は「暴力は一過性なもので朝野の人物を養成し国家の基盤にしなければならない」と教学に邁進している。一時、一人一殺を唱えた血盟団の構成員も安岡氏が主宰する金鶏学院に参学していたが、血気にはやる学徒は袂を分けている。それは古典で重要視する「義」についての切り口と行動形態の問題でもあった。
砂に観る透過性
終始一貫しているのは教学を「教える」だけでなく、人物、歴史に習うことの習慣化と、人格を何ら代表しない附属性価値である地位、名誉、財力、学校歴に翻弄され、真の学問と自身の存在意義を堕落衰亡させることの危機を唱え、その防波堤として下座観を以って地方の有意な篤行を支える「郷学」の作興を先頭に立って行なっている。
つまり国家とその歴史を俯瞰した行動であったといっても過言ではない。
その意味で国家のエリートを養成するという氏の言葉は、官制学校歴に人物の評価を置く欺瞞と、欲望の交差点のようになった国政と経済における指導的立場のものに対する訓導と警鐘はある意味で国民の視点に立った地に伏した行動であったろう。
ちなみに、市井で氏と同様なことを述べても受け入れられず嘲笑の類になるではあろうが、氏の名声は氏の意思とは反対に位置する無名の存在を庇護するという、氏にとってはニヒルで皮肉にならざるを得ない浮俗の錯覚した人物観であり現状でもある。
元体験をとおしてアジアに普遍な識見を安岡氏に伝え、古典の本質と活用を唱えた佐藤慎一郎氏
ともあれ、読書が好きで無類の教え魔だった。また眼前にある社会の矛盾に向き合って是正しようとした材は古典、つまり先祖の集積物の活用だった。そこには知識技術に翻弄される明治以降の西洋的教学の欠陥を補うものがあった。
高論鋭く孤塁を護る為に苦慮したこともある、また酒を愉しみ酒に苦い思いもあった。
そもそも筆者のような無名を面白がって九州の豪傑?に差し向け、数寄屋橋での著名な民族運動活動家とキャッチボールされたことがあった。
それは明治人特有のトレーニングなのだろうが文句は言うまい。
だだ、昨今の風潮である、゛貰い扶持゛゛食い扶持゛に汲々とする連中が錯覚した学風を撒き散らすことは、真剣に学ぼうとするものの至誠を汚すことになることの危惧を感じている。
「安岡ブランドで食べているものが多い」
『困ったものです、父は教育者です』
ご子息の正明氏の嘆息は、今なお鎮まることがないようです。
初学者に勧められる本がありましたら、お教えください。
安岡氏の真の人間像がわかり、おかげさまで私の中の安岡氏がとても近くに感じれるようになりました。
氏との関わり、とても羨ましく思います。
また、氏の意思を受け止め実行されていること、とても尊敬しております。
私も「無名、有力」を目指し学んで生きます。
新年もどうぞ宜しくお願い致します。
では良いお年を。
書店に並べてあるのは妙な「安岡学」にしているものが多いようです。先生もそのように取り上げられるのは好みませんでした。邑心(ゆうしん)文庫などはお勧めです。ちなみに正明氏の「我、何人ぞ」は必見です。郷学研修所には書店には無いものも有ります。
タックさん
考えることと行動を一致させることは難解ですが、異なることを恐れない意志を習慣化させ座標軸として高めると行動が容易です。高々人間の計算は微々たる表現でしかないようですね。