まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

私人だとか公人だとか騒がしいが、大事なことには無関心

2017-04-19 18:12:42 | Weblog

            郷の匠 三寸の猿

              現在の狡知は「見ていない・聞いてない・言っていない

 

ゴマメの歯ぎしりのような戯れですが・・・

近ごろ公に位置して職を食む公務員という一群が弛(ゆる)んでいる。

多くはハレンチ行為と公権力の恣意的運用だが、ここには上司や力のあるものに阿(おも)ねる「忖度(そんたく)」とやらが流行りだが、これから先は金にまつわる問題が起きるだろう。あの舛添減少で噴出した俗称「せこい」行為が政務活動費の遊興利用や、官僚も本省の先陣を切って文部省から噴出した。

 

流行り言葉になった忖度だが、陛下の言動を拝して輔弼であるべき公務員が大御心を忖度するなら陛下も忠恕心でお応えするだろうが、暗記学歴の大の男が宰相の女房に忖度するようになっては統治機構もお先は知れている。忖度の下心は高給担保の地位保全では、いよいよ国民は陛下にすがらなくてはならなくなる。

 

共産党や過激労組の扇動で混乱を起こしても多くの国民は踊らない歴史がある。しかし法治国家と大儀を言いつくろっているが、法が彼らの詭弁を飾り国民を収斂管理して税や罰金を徴収するなら、また失業対策と成り果てた選挙の結果を盾にとっても、多くの投票率が半分を切ったら統治機構そのものが信頼されていない証拠だ。与野党ともあれ立法だけでなく、行政・司法を含めた三権が弛んできたのでは将来はおぼつかない。

 

天皇下座して上皇とお成りになっても、いずれの期に忠恕ある大御心を発して戴けることを国民は息を潜んで待ち望んでいる。三権の食客や周辺知識人は憲法に反すと騒ぐだろうが、国民を背景にした陛下の言はたとえ親(たおや)かであっても宰相の言よりは重い。

 

複雑怪奇な外患は諸外国の思惑にからんで危機として世情を騒がすが、内なる賊は岩にこびり付いた苔や伝染したバチルスのごとく解決の難しい状態に陥っている。まるで押したり引いたりズルズルと現下の情況になった北の国のようだが、とどのつまり内外とも惨禍が到来するまで治らない、つまり国を亡ぼすのは無関心というどこかの賢人の言だ。

 

            

       桜はどこにでもあるが、リンゴの花は静かな郷にしかない

 

世情は、まさに議員たる公人が騒がしくも争っているが、どちらでも張り付け膏薬のごとく、どこにでも姿を変える論争だ。役人や弁護士あがりが多くなったせいか、まさに「智は大偽を生ず」ごとく、狡知を駆使して権力なり大向こうの大衆を屏風にして、しかも手前勝手な便法を使い言い争っている。「智は大偽を生ず」とは、「智」でなく単なる知った、覚えた、暗記した類のニセの「知」であるが、使いようによっては「痴」になるものだ。

 

しかもその知の目的は正邪の分別ではなく、己を飾り、自らさえ欺いて権力に阿諛迎合する詭弁でしかなくなっている。とくに為政者ならずとも監督すべき官僚の顔色を窺い、見え透いた嘘で、真に国家に憑依しつつ暗雲となっている官僚社会主義と揶揄される彼らを隠し守っている。

一度は政権についた野党もしかり「お前たちだって」と、あげつらわれれば話題をすり替える。彼らは「論点を変えて・・」と、うそぶくように心根が定まらないのは選挙を我が身の失業対策運動と成り下がっている津々浦々の地方議員と何ら変わることはない。ゆえに狡知を搾りだす官僚の手のひらで踊るのは与野党問わず議員の実態であり、大多数の国民も承知している。


筆者はどちらでもよいことで相手が有効とするなら公私の分別もなく利用するものだ。要は使われることが不特定多数の利福を前提とするなら公人の行為、己や特定のことにその優位さを用いるのなら私人と考えればよいことだ。

 

どちらについても後の言い訳はつくことだが、私人とて公的任務を帯びた行為をすることがある。ただ行政の便宜を図る場合でも運用者は人物を観る。高学歴無教養といわれる彼らだが、気になるのは人事昇給と生涯賃金だが、このブログでも再三取り上げる「昇官発財」にある隣国の宦官のようになっている。どこでも似た者同士だが、隣国の明け透けでリアルな欲望追及とは異なり、煩雑で重層された便法によって、間違いさえなければ墓に入るまでの生活保証は担保している。亡国の使徒となっているような世の多くの母親は我が子に「公務員になりなさい」と、単なる俸給安定目的で盲従を勧めている。

 

つまり似て非なる「公人」になることを勧めているのだが、競争好きな母親の嫉妬は家庭の充実といわれる幸せ価値まで変容させ、国家なり社会の基礎的要素である家庭までうつろな状態においている。それは私的要件で「公人」を作り出す一方の教育システムではないだろうか。とりもなおさず国家が生活保障をしてくれる状態だが、前記した官僚社会主義が極まった姿として歴史は戦前の軍官吏の跋扈した暗雲の再考を促すだろう。

 これらの情況に対して、あまりにも政治は無力だし国民も呆れているのか、諦めているのか無関心だ。

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