まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

天涯孤児の人情と許容 10・9/4再

2016-11-26 11:15:35 | Weblog

アカデミックに考えるものではないが・・・。
人間は産む本能と備わった器官、あるいは性欲にいう男女交接の歓喜は、なかなか口舌に挙がることは無いが、まつわるハナシや五感を触発する成果物(著作、映像)は数多創造されている。人生の潤いにおいても大切なことではあるが、秘めた心情はより増幅した想像を生んでいる。

斯様にもってまわった言い回しだが、あからさまに性交の誘惑や歓喜にまつわる話題を秘めた仲間以外には話すことはない。ただ、視界に思いがけずに飛び込む異性の衣服の乱れや、誘惑されるわけでもないが勝手に妄想してしまう欲望の衝動は男女を問わず覚える程好い緩みの一時であろう。

そこまでは至極よくある秘めた情感だが、同棲、結婚、生活、離婚という状況に置かれると、飽き、抵抗、排除と動物のバーバリズムというべき理性とかけ離れた自身にも説明のつかない行動がおきる。それまでの恋慕や愛、尊敬、追従といった単純かつ素朴な情感が一瞬のうちに転化することがある。昨今は産む、育むといった人間の継続や情緒にかかることまでがそれらと衝突するように、かつ乖離するかのように多くの事件なり煩いを引き起こしている。

よく誕生した幼子を゛愛の結晶゛というが、そうなれば憎しみや排除の対象、つまり当たる対象として、あるいは己の自由の担保の障害として忌諱することがある。愛玩ペットの犬や猫もそのターゲットになる。総じて弱いものであり、他に見せる幸せ感の虚ろな慈愛の演出小道具のようなもののようだ。ブランドに身を飾ることと同様な状態である。

それは往々にして異性より同性に向けられる優越表現のようなもので、しかも相手が優越性があると、より飽きや反目、排除が昂進され、その都度目新しい更新が繰り返される。
それゆえ宿命に対する反目や弱きものへの排除が巧妙かつ陰湿に行なわれ、それを覆い隠すように表層の慈愛表現もその華麗さを増すようなる。

それゆえ表裏のギャップが自己愛の演者として止め処もない切迫感を生んでいるようだ。
それは他に心を悟られない行動として陽気さを表現し、内心においては案山子のように内外のバランスに苦渋するようになり、生活に落ち着きがなくなる。

内面を覗いたり伺いみたといっても、ことさら何を生むものではない。またそのような(考察する側の)心の動きに自己嫌悪感さえ覚えることでもあるが、浮俗のありようとしてその現象の関係性を以下の章の前段として押さえてみた。







                    





国家の衰亡を説く「五寒」(当ブログ内参照)に「内外」という、内政が治まらないために外部に危機を煽ったり、足元の政治が成り立たなくなる状態がある。家庭なり人間では、内面(内心)が治まらなくなると外に気が向かい。いや他が気になって仕方が無いという状況だ。無駄が多く整理がつかなくなり乱雑になる。そして子供は騒がしく落ち着きがなくなり、考えることが疎かになり流行ごとに追従する。そして流行ごとを競争し争うようになる。

そして、その社会なり国を衰亡させる「五寒」には、女厲(じょれい)がある。
女性が「烈しくなる」という。つよき母、シッカリものの女房ではない。「烈しく」なる。

そうなると「敬重」という、敬うことがなくなる。つまり父母、師弟、為政者、精霊などの存在を功利的、数値的な損得に置くようになる、と「五寒」では警告している。

虐待、放棄、殺人、遺棄、など、良し悪しの分別もそうだが、まるで憎しみの衝動のように幼児に向けられている。邪魔なのか飽きたのか、ペットの如く母を魅せていた、いや、゛オンナをしていた゛女性の変容は、阿修羅のような母の剛というより、゛烈゛のはげしさをみせている。

よく「男とは違い女の性欲は精神が大切」と聞くが、性欲はなにも肉体交接に限ったものではない。ジャマを排除するのもその為せることだ。ここでのジャマは、邪(よこしま)の魔ではなく肉体を分けた幼児であり、一時は狂うほど恋慕を寄せた夫であり、信頼を謳った友人である。

決して女性のみの問題とすることではないが、一体化した細胞が体外に産出されたときからどのような関係になるのか、それは鈍感化したかのような男性には感じ取れないような、こと雄か雌かの区別だが、女子の優れた性、あるいは劣性ともいえる排他性が対立するかのように、葛藤にも似た苦悩は多くの患いを発生させ、その烈しさとともに社会をも混乱させている。

それはデーター数値ではなく、群れの盲流に起きる微動が激動になる振幅がおこす衝突や、あるいは檻に入れられた子犬のけたたましい叫びが解放とともに歓喜に替わるように、常にプロパガンダに触発された安易な不平と不満に囲まれていると、゛易き゛解き放ちに充足するようになる、つまり明確な処方も無いような風、ここでは社会の「気」の噴流のようなものである。

亡羊な未来、つまり分かりにくい未来を醸し出す「気」の処方はある、整流と方向、つまり女性の、゛そもそも゛゛らしさ゛に整えることと、辿り着く道順を明らかにすることである。

男にも男の教育と習慣性が大切なことだが、女性にもそれがある。ここでも障害となるのは恣意的に使われている自由、民主、平等同権、などの啓蒙的宣伝への盲従であり、それしかないという思索と観照の狭さが問題となってくる。つまり、頭の整理より肉体の習慣化と、そこから自覚する互いの性の異なりと分担の峻別を前提とした宣伝への対応である。

小難しい理屈のようだが、オンナは女でありオトコは男であるという当たり前な姿だ。それを前提とするならば何も専業は主婦でなく主夫もあり、所帯主も同様だ。家庭も国家も効果的な運用について妨げるものはない。ただ互いの性別という袖に隠れて守られながら不平や不満を垂れ流しても劣性が際立つばかりだ。

江戸の川柳にも「女房に負けるものかとバカが言い・・」とあるが、心の自由は担保するのは貧しくとも、苛められても、如何様にも在るものだ。





                  






いまから40年前のこと、当時はボランティアという呼称が周知していなかった。
筆者は司法ボランティアという枠の中で社会資源ともてはやされた多くの若者とさまざまな施設を訪問した。服装のことを例にしても時節の違いと生活規範の変化がわかるが、当時はまだ子供と大人の峻別と、悪いことは悪いと判る明快な分別はあったようだ。

いまは、悪いことにも大きなワルと小さなワルがあり、それには多岐にわたる多くの事情を勘案した多くの論を交差させ、解決不能で茫洋な状態に迷い込んでいるようでもある。

あの時は論を恃むことなく言葉が無かった。思春期を過ぎたばかりで、まだ正邪の峻別に素朴な疑問を持ち、情緒も荒削りな若者でさえ沈み込む思いがした体験だった。
とくに何歳も違わない施設の子供たちの姿は、今どきの施設訪問、視察、慰問、とよぶ、囲いの覗きや触りとは異なる衝撃あった。またそれはその後の社会観、人間観に貴重な影響を与えてくれた。

施設の名前は失念したが千葉冨里の養護施設だった。青年司法ボランティアが小父さんさん、小母さんと呼んでいた保護司と更生保護婦人会の訪問提案だった。収容されている子供たちは小学生。生活苦で扶養できない子供や、当時の筆者の感覚ではわからなかった夫婦の諸問題による扶養不能や、数年前のマスコミを賑わしたコインロッカーでの捨て子、事情を伺えば齢わずかといえ多難な宿命を負う子供たちだった。

下着も共有、つまり自分のものはない。今日のパンツは明日別の子が穿いている。味噌汁には具が少ない。バットもグローブも自前で作っている。木の枝を利用したパチンコも器用に作っている。そして屈託のない笑顔と応答にそう年代も違わない吾が身の境遇を考え直した。それは大人の事情はともかく子供をコインロッカーに棄てる母というオンナの姿だった。ついぞ男が子供を棄てることは聞かないが、事情は共有するものだろう。

帰り際に手紙を渡された。まだ見ぬ母への手紙だった。
ただ、どうしようと独り悩んだことを覚えている。







             






その後、受任した若者もそうだった。
父は不明、母は再婚、本人は教護院、そして非行、それも喧嘩だ。
クリーニングの工場に勤め、右手の指と手のひらの境はタコが山脈のように固く盛り上がっていた。母恋しさか工場主の妻の入浴をくもり硝子越しに見ていたところを咎められ、そのまま飛び出した。恥ずかしかったと言ったが気持ちは理解した。
次は印刷工場だった。根気があったのですぐ仕事は覚えた。
盆暮れは必ず小子にお土産を持って来てくれた。律儀だった。

夏の暑いさなか急死した。発見されたのは死後3日を経たときだった。
工場主が発見した。新宿コマ劇場で歌手の舞台を観るくらいの趣味しかなかったが、貯金通帳も印鑑もなかったという。連絡が来たときは荼毘に付され工場の2階に移され、間借りしていたアパートの備品は整理され、残っていたのはダンボールに入った人形だった。それはお世話になった人の子供の送るものだった。

数ヶ月して保険会社の勧誘した女性から連絡があった。彼の階下に住む女性だった。
契約書には、もしもの時には筆者に連絡するようにと連絡先が記されていた。
相当な金額である。何れのときの結婚を計画してコツコツと納めていた保険だった。
もちろん預金もあっただろうが、詮索するすべもなかった。
だだ、縁者もいない保険の受取人の欄が気になった。
担当者が妙に躊躇しながら指し示した欄に彼を棄てた母親の名前が記されていた。
たどたどしい漢字だった。

「探し出して渡してください。叶うならお母さんと一緒に入れる墓を作ってくれるよう伝えてください」

その後は追跡していないが、それが彼の男としての母への思いであり生き様に沿うことだと思った。筆者は母を捜して逢ってみたらとは言えなかった。棄てた母への恋慕は彼にとって手のひらの異様に盛り上がったタコで充分だった。決して恨みを語ることはなかった。
そして、多くの縁を得たり人情を知って彼になりの誓いを立てて、それを誇りにした。
保険受取人、 「母・・・・」

やりきれない思いで雄の子の大きな慈愛と許容力を教えてもらった。

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