みなりんの呟き想い草紙

無知を治そうとするなら、無知を告白しなければならない。(モンテーニュ『エセー』)

「自分を全否定しないで生き抜いて」

2017-07-06 23:36:19 | 日記


私は弱いなあと思うことがある。今、つらい方の気持ちを聴いてあげることもできないですみません。
だが、延々と誰かに理解を求めたくなる時があっても、実際は誰も人の泣き言など長々聞いていられないのだ。
それでも世の中には善意の人は存在し、受け止めてくださる方もいる。
しかし、そうでない反応があった場合(あなたを否定するような発言・時間を気にして切られてしまったりする・相手の不愉快な声・嘲笑・侮蔑など)、あなたは傷つくかもしれない。
そういう時、そっと自分で「自分はこうだった」と言う思いを「そうだったんだね」「確かにそういう気持ちになるよね」と肯定し、最後に人間ではない大きな存在(それが人によって神だったり、釈迦だったりする)にあとをお任せする。
神様や釈迦は生き抜くことを指摘する。

人は裏切り、否定する発言もするかもしれない。神様ではないから。
しかし、神さまは受け止めてくださるのだ、きっと。誰に対しても公平に。

人間でいたわって下った方には深く感謝しつつ、すべてをその方にぶつけてはいけないのだ。
どこかで、自分で自分の感情を落ち着かせるしかない。
それには、自分を全否定しない。
肯定し、それで一眠りして、よく神経を休めてから、どうしようかと前を向くしかない。

読書を大人が勧める理由は、どうしても自分で自分を励ませない時、誰かの声を聴きたくなるからだ。
生きている人間は、誰でも欲望や煩悩を持っているから、人の悩みにすべて共感するのは無理である。
だから、自分で、あ、この発想では駄目だと気が付いて、変わるしかない。

それでもつらい時は、誰かに話すのもやむ負えない場合もあるが、かえって落ち込んだ時は自問自答し、「〜そうね」「〜だったわね」と自分の気持ちを肯定してみて、少しマイナスからプラスの言葉を書で探してみる手もある。

こういう自分もつらい時、人に話して後悔することもあって、ひとり窓辺でぼんやりしている時、柔らかな日がさすと神様が見守ってくだっているのでないかと勝手に思う。

親身になってくれる方には感謝する。しかし、ずっと永劫にこの関係は続かないのだから、どこかで自分の気持ちを自分で切り替えることも大事なのだ。

私は、つらい人々の気持ちをすべて受け入れられないから、公にはこういうことしか書けない。しかし、つらい人を見限るのではなく、こういう発想の方法もあるからと、何か気持ちを立て直すきっかけになればいいと願っている。
物理的につらい方には少しも役に立たないかもしれないけれど、両手を合わせる、組むという、祈りの形は、実は自分の体温を確かめ、自分で自分をいたわるポーズになっていると思う。

今日はもう夜更けてしまった。おやすみなさい。夜思案するより、朝思案したほうがプラスになりますよ。これは、私自身にも言い聞かせているのである。

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