痛根のグルメ生活・大阪市・K・K
生い立ち
私は三大兄妹の末っ子に生まれました。
生来おてんばで、近くの原っぱで毎日走り回っていました。
三歳の時、喘息になりましたが、程度は軽く、季節の変わり目の明け方や、鬼ゴッコなどで激しく走った時に少し息苦しくなるくらいで、小学校高学年のころにおさまりました。
食べ物は、甘い物が好きで野菜は苦手でしたが、おやつは兄姉と同量、野菜も出された量は残さずに食べておりました。
また、両親とも肥満気味であったため、食事の味付けは薄味で砂糖も極力ひかえてあったようです。
喘息が出なくなったので、中学では剣道部、高校ではテニス部に入っていました。
しかし、高校時代は昼休みにクラブの練習を行うため、三時間目と四時間目の十分の休憩時間にお弁当を食べていましたので、早食いの悪癖がつきました。
また放課後の練習が終わると、学食の売店でアイスクリームを食べるという全く困った生活になってゆきました。
大学でもテニス部に入部。
一年生の夏の試合遠征で胃炎を起こし、これから後、だんだん体調が崩れてゆきました。
この胃炎を治すに際し、知人より、玄米クリームとトウフのメニューを教えてもらいました。
これが「甲田療法」との出会いです。
湿疹とのつき合い
大学一年の夏に胃を痛めたにもかかわらず、自由に喫茶店に出入りできるようになったうれしさと、話題にのぼる食べ物は、すべて味わってみたいという貪欲との両方の勢いで、毎日昼休みにはアイスクリーム、練習後には、スパゲティ大盛りや、量が多いと評判の中華料理、練習のない日は、グルメツアーと称して、いろいろなものをお腹がはち切れそうになるまで食べ歩いておりました。
そんな生活をしていましたから、汗をかくと背中がかゆくなり始め、疲れがとれず、朝、
顔がムクむようになってきました。
体力も衰え、三年の五月にクラブをやめました。
そのころは、かなりの便秘状態で、かつ尿もあまり出なくなっていました。
テニスをしている時は、非常に汗をかいていたのですが、やめてからは発汗することもなくなりました。
そうすると老廃物が体内から排出される手段がなくなってしまったからでしょうか。
退部後しばらくして、三九度程度発熱し、顔に腕に身幹に足に、すなわち全身に湿疹が出
て腫れ上がり、浸出液(汁)が流れでてきました。
なぜこんなことになったのだろうとショックでした。
あまりのひどさに、このまま死んでゆくのかしら?と不安に怯え、また、こんな汚い状態で死んだら恥ずかしい、何がなんでも元気になるぞ!と、とり乱した心を自分で励ましたりしました。
悲惨な症状でしたが、両親が医師であるため皮膚科を受診することもせず、副腎皮質ホルモン剤も使用せず、家でようすをみておりました。
知り合いに指圧師の方がおられ、週二回指圧してもらい、その人のすすめで温泉に通ったり、玄米菜食を行う程度の治療をしていました。
現代医学での治療は望まなかったので、漢方医を訪ね、しばらく漢方薬を服用し、徐々にではありましたが症状は改善されていきました。
四年生になった春(一九八三年春)、目の異常に気づき、眼科を受診したところ、白内障と診断されました。
そして「進行が早いので就職前に手術する方がよいかもしれませんね。でも、あなたはアレルギーが強いから、手術できるかどうか……」といわれました。
何とか大学生活を続け、十一月からヨガをはしめたところ、私に合っていたのか、少しずつ健康状態がよくなっていったので、薬の服用を中止しました。
また、便秘もほぼ解消し、白内障の進行もペースダウンしてゆきました。
卒業、国家試験、就職となんとか人並みに社会人になり、一年が経過したころ、激しい下痢を起こしました。
黒いタール便が大量に出て、それから後は、毎日あきれるほどに排便がありました。
今考えますと、明らかに宿便が排泄されたものと確信しています。
それ以降、ようやく体力も回復し、日常生活では、特別に疲労することはなくなり、湿疹もかなり治ってきました。
しかし、仕事でコンピューター画面を見る時間が長くなると、てきめんに視力が低下し、白内障も少しずつ進行してゆきました。
甲田医院にたどりついて
白内障は、やはり私の自然治癒力に頼っても治らないものかと、あきらめかけていたころ、甲田先生に診ていただくことができました。
その時先生は「アトピーもきれいに治りますし、白内障も必ず治ります」と断言してくださいました。
『必ず治る』その言葉が本当にうれしく、私に勇気を与えてくれました。
初診時に指示していただいた食事は、玄米食、トウフ半丁、野菜二皿。
しかし、家ではどうしても、おかずを余分に摂ってしまい、体操もあまり熱心にしていませんでした。
「もっと真剣に指示を守らなくっちや」と反省していたところ、四月三十日から入院させていただくことができました。
入院してからは、少食のおかげて、身体も軽く、平床は、少し腰が痛かったものの六大法則を実行するにつれて、従来から困っていた肩こりも軽快してゆきました。
湿疹も、二度目の断食が終了したころには、九割以上治った感じで、「私、アトピーの患者を卒業して、白内障の患者に看板替えしようか」と冗談をいっていたほどでした。
感激の普通食を三日間いただいた後、待望の生菜食に入りました。
第一食目は、食べるコツがわからず、困りましたが、第二食目からはおいしくなり、一週間ほどすると、苦手だった人参も甘味がわかるようになり、全種類おいしく楽しみながらいただけるようになりました。
また、消化もよくなり食後二時間くらいで、もう空腹を感じ始めるようになりました。
生菜食ニ十五日目の今日、まだ反応の湿疹は出ておりますが、皮膚全体がなめらかでしっとりとなり始めました。
身体全体に色素が沈着して、日焼けしたかのようにズズ黒かった皮膚も、だんだん色が抜けてきたようです。
生菜食のふしぎな力を日々実感しております。
以上、肉体面について述べて参りましたが、次に毎日の朝礼、講話が、どんなに有意義であったかという点に触れてみたいと思います。
まず、朝礼で「五観の謁を唱和する」こと。
これは、私が茶道を習い始めたころ教わったことがあり、また昨年九月永平寺に宿泊した折りには食事の前に全員で唱和しましたが、その意味、内容について考え学んだのは入院患者資料を読ませていただいた時が初めてでした。
まだ十分な意味を理解するには至りませんが、私なりに大食を戒めるブレーキとしています。
第二に、今日の誓い。
毎日は単調な繰り返しに終始しがちなのですが、自分でも誓いをし、他の方の貴重な経験、経過を聞くことにより、改めて、この療法のすばらしさを感じ、自分ももっと気を入れようと思い改めることができました。
第三に、板書されている凡庸の道・如是我聞。
これもたいへんありがたいものでした。
日ごろ宗教には、あまり興味を持っていなかったので、毎日の文章が新鮮で、感謝の心の
大切さを教えられたと思っています。
それと、甲田先生が各患者に対し、「調子はどうですか」と暖かく声をかけてくださること。
他の皆さんの状態もわかりますし、ユーモアを混じえて注意してくださいますので、反応が出た時の不安も解消されました。
さらに、講話のなかでも、病気についてくわしく理解しやすく教えていただきましたので、今までの現代医学偏重の知識の誤りを気づかせていただくことができました。
そして病気は肉体のみの問題ではなく、「心身一者」「宗医一体」であるから、心の宿便を出し、人間として成長してゆかなければ、本当の健康は得られないということを学ばせていただきました。
終わりに
この六十七日間の入院で、先生のお話から学んだことや患者の皆さんとの会話の中から学んだことが数多くあります。
今、知識として得たこれらの事柄を退院後も忘れることなく、自分の知恵としてゆけるよう精進して参ります。
まだまだ力量が不足していて、頭の中には食べ物が飛び交っているのが現状ですが、先生がいつもおっしやる「大きな理想、真の生き甲斐」を一日でも早く見出し、充実した人生を送れるよう努力したいと思います。
生い立ち
私は三大兄妹の末っ子に生まれました。
生来おてんばで、近くの原っぱで毎日走り回っていました。
三歳の時、喘息になりましたが、程度は軽く、季節の変わり目の明け方や、鬼ゴッコなどで激しく走った時に少し息苦しくなるくらいで、小学校高学年のころにおさまりました。
食べ物は、甘い物が好きで野菜は苦手でしたが、おやつは兄姉と同量、野菜も出された量は残さずに食べておりました。
また、両親とも肥満気味であったため、食事の味付けは薄味で砂糖も極力ひかえてあったようです。
喘息が出なくなったので、中学では剣道部、高校ではテニス部に入っていました。
しかし、高校時代は昼休みにクラブの練習を行うため、三時間目と四時間目の十分の休憩時間にお弁当を食べていましたので、早食いの悪癖がつきました。
また放課後の練習が終わると、学食の売店でアイスクリームを食べるという全く困った生活になってゆきました。
大学でもテニス部に入部。
一年生の夏の試合遠征で胃炎を起こし、これから後、だんだん体調が崩れてゆきました。
この胃炎を治すに際し、知人より、玄米クリームとトウフのメニューを教えてもらいました。
これが「甲田療法」との出会いです。
湿疹とのつき合い
大学一年の夏に胃を痛めたにもかかわらず、自由に喫茶店に出入りできるようになったうれしさと、話題にのぼる食べ物は、すべて味わってみたいという貪欲との両方の勢いで、毎日昼休みにはアイスクリーム、練習後には、スパゲティ大盛りや、量が多いと評判の中華料理、練習のない日は、グルメツアーと称して、いろいろなものをお腹がはち切れそうになるまで食べ歩いておりました。
そんな生活をしていましたから、汗をかくと背中がかゆくなり始め、疲れがとれず、朝、
顔がムクむようになってきました。
体力も衰え、三年の五月にクラブをやめました。
そのころは、かなりの便秘状態で、かつ尿もあまり出なくなっていました。
テニスをしている時は、非常に汗をかいていたのですが、やめてからは発汗することもなくなりました。
そうすると老廃物が体内から排出される手段がなくなってしまったからでしょうか。
退部後しばらくして、三九度程度発熱し、顔に腕に身幹に足に、すなわち全身に湿疹が出
て腫れ上がり、浸出液(汁)が流れでてきました。
なぜこんなことになったのだろうとショックでした。
あまりのひどさに、このまま死んでゆくのかしら?と不安に怯え、また、こんな汚い状態で死んだら恥ずかしい、何がなんでも元気になるぞ!と、とり乱した心を自分で励ましたりしました。
悲惨な症状でしたが、両親が医師であるため皮膚科を受診することもせず、副腎皮質ホルモン剤も使用せず、家でようすをみておりました。
知り合いに指圧師の方がおられ、週二回指圧してもらい、その人のすすめで温泉に通ったり、玄米菜食を行う程度の治療をしていました。
現代医学での治療は望まなかったので、漢方医を訪ね、しばらく漢方薬を服用し、徐々にではありましたが症状は改善されていきました。
四年生になった春(一九八三年春)、目の異常に気づき、眼科を受診したところ、白内障と診断されました。
そして「進行が早いので就職前に手術する方がよいかもしれませんね。でも、あなたはアレルギーが強いから、手術できるかどうか……」といわれました。
何とか大学生活を続け、十一月からヨガをはしめたところ、私に合っていたのか、少しずつ健康状態がよくなっていったので、薬の服用を中止しました。
また、便秘もほぼ解消し、白内障の進行もペースダウンしてゆきました。
卒業、国家試験、就職となんとか人並みに社会人になり、一年が経過したころ、激しい下痢を起こしました。
黒いタール便が大量に出て、それから後は、毎日あきれるほどに排便がありました。
今考えますと、明らかに宿便が排泄されたものと確信しています。
それ以降、ようやく体力も回復し、日常生活では、特別に疲労することはなくなり、湿疹もかなり治ってきました。
しかし、仕事でコンピューター画面を見る時間が長くなると、てきめんに視力が低下し、白内障も少しずつ進行してゆきました。
甲田医院にたどりついて
白内障は、やはり私の自然治癒力に頼っても治らないものかと、あきらめかけていたころ、甲田先生に診ていただくことができました。
その時先生は「アトピーもきれいに治りますし、白内障も必ず治ります」と断言してくださいました。
『必ず治る』その言葉が本当にうれしく、私に勇気を与えてくれました。
初診時に指示していただいた食事は、玄米食、トウフ半丁、野菜二皿。
しかし、家ではどうしても、おかずを余分に摂ってしまい、体操もあまり熱心にしていませんでした。
「もっと真剣に指示を守らなくっちや」と反省していたところ、四月三十日から入院させていただくことができました。
入院してからは、少食のおかげて、身体も軽く、平床は、少し腰が痛かったものの六大法則を実行するにつれて、従来から困っていた肩こりも軽快してゆきました。
湿疹も、二度目の断食が終了したころには、九割以上治った感じで、「私、アトピーの患者を卒業して、白内障の患者に看板替えしようか」と冗談をいっていたほどでした。
感激の普通食を三日間いただいた後、待望の生菜食に入りました。
第一食目は、食べるコツがわからず、困りましたが、第二食目からはおいしくなり、一週間ほどすると、苦手だった人参も甘味がわかるようになり、全種類おいしく楽しみながらいただけるようになりました。
また、消化もよくなり食後二時間くらいで、もう空腹を感じ始めるようになりました。
生菜食ニ十五日目の今日、まだ反応の湿疹は出ておりますが、皮膚全体がなめらかでしっとりとなり始めました。
身体全体に色素が沈着して、日焼けしたかのようにズズ黒かった皮膚も、だんだん色が抜けてきたようです。
生菜食のふしぎな力を日々実感しております。
以上、肉体面について述べて参りましたが、次に毎日の朝礼、講話が、どんなに有意義であったかという点に触れてみたいと思います。
まず、朝礼で「五観の謁を唱和する」こと。
これは、私が茶道を習い始めたころ教わったことがあり、また昨年九月永平寺に宿泊した折りには食事の前に全員で唱和しましたが、その意味、内容について考え学んだのは入院患者資料を読ませていただいた時が初めてでした。
まだ十分な意味を理解するには至りませんが、私なりに大食を戒めるブレーキとしています。
第二に、今日の誓い。
毎日は単調な繰り返しに終始しがちなのですが、自分でも誓いをし、他の方の貴重な経験、経過を聞くことにより、改めて、この療法のすばらしさを感じ、自分ももっと気を入れようと思い改めることができました。
第三に、板書されている凡庸の道・如是我聞。
これもたいへんありがたいものでした。
日ごろ宗教には、あまり興味を持っていなかったので、毎日の文章が新鮮で、感謝の心の
大切さを教えられたと思っています。
それと、甲田先生が各患者に対し、「調子はどうですか」と暖かく声をかけてくださること。
他の皆さんの状態もわかりますし、ユーモアを混じえて注意してくださいますので、反応が出た時の不安も解消されました。
さらに、講話のなかでも、病気についてくわしく理解しやすく教えていただきましたので、今までの現代医学偏重の知識の誤りを気づかせていただくことができました。
そして病気は肉体のみの問題ではなく、「心身一者」「宗医一体」であるから、心の宿便を出し、人間として成長してゆかなければ、本当の健康は得られないということを学ばせていただきました。
終わりに
この六十七日間の入院で、先生のお話から学んだことや患者の皆さんとの会話の中から学んだことが数多くあります。
今、知識として得たこれらの事柄を退院後も忘れることなく、自分の知恵としてゆけるよう精進して参ります。
まだまだ力量が不足していて、頭の中には食べ物が飛び交っているのが現状ですが、先生がいつもおっしやる「大きな理想、真の生き甲斐」を一日でも早く見出し、充実した人生を送れるよう努力したいと思います。










