Hさんのブログによると「健康とは」設問に「心身ともに健やかであること」と答えたが、いまは「前向きに生きられること」と考えることが多いのだという。確かに身体的にも精神的にも健康でなくては前向きな思考はできないだろう。
私も腰や膝が痛いなどと言いながらも、ストレッチと補強運動で痛みを何とか抑えているので、自分では健康だと思っている。ただ前向きに生きているか、には疑問符がつくようになった。新しいことに取り組むことがあっても何か億劫になって避けていることがある。
好奇心も強いし、何でも見てやろうやってみようという気持ちがあったのに、最近は畑でのんびりしているときに一番幸せを感じるようになってきた。自分で歳だと決めてはいけないと思うのに不思議だ。
先日市役所から国民健康保険料の年金からの引き落としを中止したという連絡があった。その理由は年度内に後期高齢者になるので、加入する保険が替わるからだという。後期高齢者という呼称に抵抗はないのだが、現実として対象になるとやはりショックなのだろうか。
今朝も朝の見守りの時に同じ歳のYさんから、暖かくなったので生き返った気持ちだが、来冬の寒さを考えるといつまで続けられるか不安だと言われる。防寒着で身を固めて見守りをしても寒さで手足の指が冷たい時のことを考えると、Yさんの言うことも理解できないではない。
しかし子どもたちと接することで前向きな生き方を続けられるという利点もある。防災や防犯の活動でまだまだやりたいこともあるので、「健康とは」を維持するためにも意識して、前向きに生きていきたい。
私も腰や膝が痛いなどと言いながらも、ストレッチと補強運動で痛みを何とか抑えているので、自分では健康だと思っている。ただ前向きに生きているか、には疑問符がつくようになった。新しいことに取り組むことがあっても何か億劫になって避けていることがある。
好奇心も強いし、何でも見てやろうやってみようという気持ちがあったのに、最近は畑でのんびりしているときに一番幸せを感じるようになってきた。自分で歳だと決めてはいけないと思うのに不思議だ。
先日市役所から国民健康保険料の年金からの引き落としを中止したという連絡があった。その理由は年度内に後期高齢者になるので、加入する保険が替わるからだという。後期高齢者という呼称に抵抗はないのだが、現実として対象になるとやはりショックなのだろうか。
今朝も朝の見守りの時に同じ歳のYさんから、暖かくなったので生き返った気持ちだが、来冬の寒さを考えるといつまで続けられるか不安だと言われる。防寒着で身を固めて見守りをしても寒さで手足の指が冷たい時のことを考えると、Yさんの言うことも理解できないではない。
しかし子どもたちと接することで前向きな生き方を続けられるという利点もある。防災や防犯の活動でまだまだやりたいこともあるので、「健康とは」を維持するためにも意識して、前向きに生きていきたい。