悠々人生

気が多すぎて「時間破産」状態。もっとゆっくりとした人生が目標です。

知覧特攻平和会館

2017-05-16 05:27:21 | Weblog


 

 神社の参道ではないのに道路の両側に灯篭が何百メートルも並んでいるので、道路の案内板を見なくても知覧町に入ったことが分かるのです。知覧は島津藩の武家屋敷が見事に保存されていることでも有名ですが、私が訪問したかったのが知覧特攻平和記念館でした。

 この灯篭は特攻攻撃で亡くなった17歳から20代前半の若い隊員1036名の方々を慰労するために、知覧町が建立を進めているものです。特攻機は知覧だけではなく沖縄はもちろん、都城や台湾からも出撃していますが、250kgの爆弾を搭載してアメリカの艦船に体当たりしてパイロットは必ず死ぬという必死の作戦です。

 全員が靖国神社の遊就館にも展示されていますが、この平和記念館には隊員の遺影や遺書がより多く集められています。小学生から高校生の児童や生徒の見学も多いようで、その感想文を読むと皆命の大切さ、親子の絆などを強く感じて自分の生き方を反省しています。映像展示も多いので館内を見学しながら涙する人の姿も目立ちます。

 私は常々思うのですが、太平洋戦争は石油の供給路を止めるという追い詰められた日本が、やむを得ず始めなければならなかったということで理解しているのですが、負けを決断するのは遅すぎたと思っています。

 特攻隊はアメリカ軍の沖縄上陸を阻止すること、日本軍人の命を懸けた戦いを挑むことでアメリカ軍に大きな被害を与え、アメリカに嫌戦機運が広がって停戦にしたいと思ったようですが、特攻の効果を上げることはできなかったのです。

 同盟国だったドイツが降伏した45年の5月7日以降連合軍、特にアメリカ軍の攻撃は日本に集中するようになったのですから、この時が手を上げる時期だったのでしょう。歴史に「れば」「なら」は言えませんが、特攻攻撃を始めたのがドイツ降伏後の7月1日、その後の広島、長崎の原子爆弾投下を考えると、その念を深くするのです。

 国を思い、父母を思い、永遠の平和を願って亡くなった勇士に感謝してきました。
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