悠々人生

気が多すぎて「時間破産」状態。もっとゆっくりとした人生が目標です。

福島県浪江町

2017-04-21 19:55:44 | Weblog

 
震災後4度目の東北旅行第一日は、福島第1原子力発電所から4キロほどしか離れていない浪江町にしました。震災後も福島県の中通りや会津地区には行きましたが、3・11の翌日に全町民が避難させられた地区に入るのは初めてでした。

「まちのこし」がスローガンに復興の厳しさを感じました。私が日ごろ口にしているのは「まちづくり」や「まちおこし」です。そんな言葉ではこの町の再建はできないのです(6年間の空白は長すぎます)。

 浪江町も震度6強の地震で15メートルを超える津波に襲われ、全壊家屋は651戸(流失586戸、地震による倒壊65戸)、死者182名の被害(他に震災関連死400名)を受けています。さらに約1,000の事業所も被災したのですが、その後6年間の苦難は原発事故によるものです。 

 今年の4月1日に避難解除が出て帰宅できるようになった町の中心を歩いたのですが、ガソリンスタンドや各種商店はほとんど閉まったままです。銀行もJAが開いているだけで他の銀行は閉まったままで、復興商店街などやっと50の事業所が業務を始めただけです。

 町役場の係りの方から被害の状況と復興計画を聞くことが出来ました。震災前の人口は21,000人だったのですが避難している人たちからアンケートを取ると、戻りたいという人は4,000人弱しかいないのです。戻らないが11,000人、判断つかないという人が6,000人もいるのです。

 立派な民家が多いのですが、ほとんど人は住んでいません。復興を進めるためには戻って欲しいのですが、働く場所や学校がない、さらに医者も臨時の診療所しかない現状では戻りたくても戻れないでしょう。

 それでも沿岸部の土盛が進み、魚市場の建設も計画されています。漁船もまだ目標の1/4の25隻しか戻っていませんが、何とか町が生き延びて欲しい(まちのこし)と願っています。町内のあちこちに放射能を測定して表示していますが、いずれも0.1~0.3μ㏜と問題はありません。

 常磐高速道は全線開通していますし、JR常磐線も仙台まで通じました。住みやすい気候と言われる浜通りです。これからも原発の影響も大きく受けている福島県を応援していきます。

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