おかあちゃん牧師の日記

新船橋キリスト教会の牧師です!
日々の生活のこと、教会のこと、
家族のことなどを書いています!

921大地震

2017-09-21 23:51:44 | 教会

王牧師夫人が、18年前の921大地震を振り返っての記事をFBに書いていました。当時の様子がとてもよく分かり、感動したので、翻訳してここに載せます。

9月21日、壁の時計はすでに夜中の1時45分、わたしはそろそろ休もうかと準備にかかる。47分、突然激しい揺れ!辺りは真っ暗になった。一回目の強い揺れ。私は壁伝いに歩き、ドアの枠に手をかける。立っていられない。停電!隣の家の朱さんが大きな声で叫ぶ。「地震だ!早く外に出て!」私は大急ぎで子ども一人を抱きかかえ、もう一人を背中におぶり、外に飛び出した!足はまだちゃんと立てない。そしてまたも大きな揺れが!

真っ暗な夜、近所の人たちが、教会の近くの草むらに避難してきた。ある人はおびえてずっと樹に抱きついていた。人々の喧噪、パトカーや消防車の音が通り過ぎて行き、私たちの不安をあおった。ラジオから聞こえてくるニュースから、この災害が非常に大きなものであることがわかった。教会堂はいつ倒壊するかもわからない状態が続いた。台中市ほぼ全区が停電、断水、小学校は休校になった。

しばらくの間、大小の余震が続いた。災害に乗じて、泥棒が入らないように、20人ぐらいの隣近所の人々が交代で夜の番をした。3日後、日本人の寺田宣教師が南部の教会から物資を運んで来た。寝袋やテントなど、災害時に必要とする物を知っているようだった。こうして私たちのテント生活が始まった。そして次に必要な物資は南投の災害地区にも送られた。地震の後、隣近所の人々はいっしょに住んだ。お互いに助け合い、必要なものを分け合い、この困難な時を乗り越えたのだ。

921大地震の後、心がすさんだ日々が続いた。生活はなかなかもとに戻らなかった。水を飲むことやご飯を食べること、身体を洗うこと、洗濯すること…、どれも簡単ではなかった。近所の人たちで、順番に水を借りて身体を洗ったりした。日常生活をこなすために多くの時間を費やした。「ご飯をお腹いっぱい食べるのは、地震が終わるまでお預け!」とよく近所の人たちと苦笑交じりに話したものだった。

地震後の多くの人の温かい援助と祈りを感謝したい。中でも忘れられないのは台北の哲輝兄、俊明兄。仕事が終わってから、夜に車を走らせて竹子坑教会に来てくださり、洗剤、歯ブラシ、トイレットペーパーなどの日用品や蚊取り器や虫よけを持ってきてくれた。その他にも怡貝は、夜中に町まで行って、卵や食品を箱いっぱいに持ってきてくれたし、吳哥(政宏)率いる団体がたくさんのきれいな水と浄水器を、小嬸嬸は懐中電灯を一箱、そして学生時代の先輩は、一台の水タンク車を送ってくれた。苦しい時に私たちに多くの愛と援助をくださった方々のことを私は今でも忘れてはいない。神さまが必ずみなさんを祝福してくださっていると信じている。

地震から18年がたちました。神さまは今も私たちと共にいてくださることに感謝しています!地震の後、教会堂も建て直され、今は安心して楽しい日々を過ごしています。振り返ってみると、べて主の恵みですすね!!


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