牛頭天王信仰とその周辺

牛頭天王(ごずてんのう)信仰とそれに関係する信仰や情報を紹介するブログです。

『羣書類従』に見る牛頭天王②

2012-07-07 01:21:35 | 日記



『羣書類従』の「二十二社註式」祇園社の項の前回の続き。

『羣書類従』の「二十二社註式」(国立国会図書館蔵、木版原板巻二十二。四十七。 ただし、国立国会図書館デジタル化資料番号では第23冊~25冊[147]の139祇園社)(「異体字は現代の文字に変換してあります。)

人皇六十一代朱雀院承平五年六月十三日官符
云應 以観慶寺為定額寺事字祇園寺在山城國愛宕郡
八坂郷地一町 檜皮葺三間堂一宇在庇四面 檜皮葺三
間禮堂一宇在庇四面 安置薬師像一体 脇士菩薩像二
体 観音像一体 二王混頭盧一身躰 大般若経一部六
百巻 神殿五間檜皮葺一宇 天神婆利女八王子五
間檜皮葺禮堂一宇 右得山城国解你故常住寺十
禅師傳燈大法師位圓如去貞観年中奉為建立也
或云昔常住寺十禅師圓如大法師依託宣第五十
六代清和天皇貞観十八年奉移山城國愛宕郡八
坂郷樹下 其後藤原昭宣公感威験壊 運臺宇建立
精舎今社壇是也
第六十四代圓融院治五年天延二年三月被官符
圓融院以愛宕郡観慶寺感神院為延暦寺別院事
第六十四代圓融院天禄三年以祇園社為日吉末


   祭禮
同圓融院天禄元年六月十四日始御霊會自今年
行之

(読み下し文)
人皇六十一代朱雀院承平五年(西暦935年)六月十三日 官符に
云ひて應ふる 観慶寺を以(も)って定額寺(官に保護された寺)と為(な)す事 字(あざ=あだな)祇園寺  山城國愛宕郡八坂郷に在りて地一町なり 檜皮葺三間堂一宇(宇は大きいことを表す言葉)なり 庇(ひさし)四面在り  檜皮葺三間禮堂一宇なり 庇四面在り 薬師像一体 脇士(きょうじ)菩薩像二体 観音像一体 二王混頭盧一躰を安置す  大般若経一部六百巻なり 神殿五間檜皮葺一宇なり 天神婆利女八王子五間檜皮葺禮堂一宇なり 右を得るに 山城国が解你(よいと理解)し 故に常住寺十禅師傳燈大法師の位の圓如 去貞観年中に奉じて建立為す也  或いは云う 昔常住寺十禅師圓如大法師 託宣に依(よ)りて 第五十六代清和天皇貞観十八年に奉じて 山城國愛宕郡八坂郷
樹下に移す 其の後藤原昭宣公感威験ありて運臺宇壊し 精舎建立す 今の社壇は是也
第六十四代圓融院(円融天皇)治五年 天延二年三月 官符被り 以って愛宕郡観慶寺感神院は延暦寺別院と為す事
第六十四代圓融院天禄三年 祇園社を以って日吉末社と為す

   祭禮
同圓融院天禄元年六月十四日 御霊會を始め 今年より之(これ)を行ふ

(考察)
前回も述べましたが、上記の内容が「歴史的事実」かどうかは分りません。
1.この文面から、祇園社が当初は神社でなく仏教寺院であったことが分ります。延喜式神社に祇園社の名がないのは仏教寺院だったから、これについては「歴史的事実」と思われます。ただ、どんな如来像や菩薩像や天王・明王像を安置したかは、この文面をそのまま信じることはでいないと思います。ここには「牛頭天王」が登場していません。かわって、武答天神かもしれません、菅原天神かもしれません、「天神」様が登場します。江戸時代の学者たちは「天神=牛頭天王」と解釈していたのでしょう。わたしもそのように解釈したいのですけれど、これについてはなんとも言えませんし、安置されていた仏像についてもそのまま「歴史的事実」としては受け入れることはできないでしょう。

2.祇園社が比叡山延暦寺の別院だった、また、日吉大社(日吉大社は比叡山延暦寺の守護神社でした)の末社であったことが書かれてあります。これは「歴史的事実」と思われます。延暦寺の僧兵が強訴する場合、日吉大社や祇園社の神輿を利用したとの古文書があるとのことですので・・・。

3.
前回の内容をふくめて、仮に認めてまとめてみますと、
①清和天皇時貞観18年(西暦876年)頃に八坂郷に樹下に一応寺院が立てられた。しかしそれは藤原昭宣の感じるところがあり壊され、新たに精舎ができたこと。
②陽成(ようぜい)天皇の元慶年中(西暦880年頃までには)感神院ができたこと。
③朱雀(すざく)天皇の承平5年(西暦935年)に官立寺院になったこと。
④円融天皇の天禄3年(西暦972年)に日吉大社の末社になったこと。
⑤円融天皇の天延2年(西暦974年)に延暦寺の別院になったこと。
*本文では④と⑤の記載の順が変わっています。
*本文とは直接関係ありませんが、平将門が朝廷に直接「叛旗」を翻したのは西暦939~940年です。(それより以前から将門は一族らと闘争を展開していますが・・・)
*本文には書かれていませんが、西暦995年に、感神院(祇園社)は「二十二社」(近畿地方における有名神社)になったとこのとです。

延暦寺の監督下、日吉神社の末社的存在だったとしても、祇園社は武士の台頭とともに「成長」していくことを知ることができるかもしれません。