ゴヨウツツジの会

愛子さまを敬愛しつつ皇室について学ぶ市民の集い

【愛子さまヒストリー:1】雅子さまご懐妊発表の日から祝福に包まれた12月1日へ

2017-12-01 13:00:00 | 愛子さまヒストリー
<愛子さまヒストリー:第1回>雅子さまご懐妊発表の日から祝福に包まれた12月1日へ

愛子さまが歩まれた道をたどるシリーズ第1回は、雅子さまご懐妊が発表された日から、
日本中が喜びに沸いた2001年12月1日へ、そして宮内庁病院を退院される8日までの動きを振り返ります。

この連載は、事務局メンバーで皇室ウオッチャーのK・デイヴィスさんが、数多くの参考文献をもとに、
「ゴヨウツツジの会」のために書き起こしたものです。(参考文献は年ごとにまとめて掲載します)

★このヒストリー(201年5月~12月8日)に関連する写真や動画のURLを探しています!
 教えていただけると幸いです。
★ご感想や追加情報など、たくさんのコメントをお待ちしています。


■平成13(2001)年

4月16日:記者会見が開かれ、古川清東宮大夫が「雅子さま ご懐妊の可能性」と発表しました。
妊娠6,7週目で母体が安定されたとの医師の判断に基づき発表されたものです。
この際に古川東宮大夫より取材記者たちに
「正式な発表ができる段階まで、できる限り静かにしていただきたい」との言葉がありました。

5月15日:古川東宮大夫より「ご懐妊」が正式発表されました。

7月10日:東宮御所で「内御着帯(ないおんちゃくたい)」が行われました。内御着帯は「仮着帯」とも呼ばれています。
一般家庭では妊娠5か月目の戌の日に「帯祝い」が行われますが、
宮中でも江戸中期以降、妊娠5,6か月目に着帯が行われるようになりました。
この日は、袿袴姿の雅子さまの腹部に、モーニング姿の皇太子殿下が帯をぐるりと巻き、正面で蝶結びにされました。
(このように皇室の伝統的な衣装は和装ではなく、十二単、袿袴、束帯等の平安装束です。和装は武家商家の衣装です)


10月25日:ベルギーのフィリップ王太子ご夫妻(現ベルギー国王ご夫妻)に、第一子の王女が誕生しました。
ベルギーでは1991年に憲法を改正し、男女を問わない直系長子継承となりました。エリザベート・テレーズ・
マリー・エレーヌと名付けられた王女様は、フィリップ王太子が即位したことを受けて、ベルギー史上初と
なる女性ブラバント公(ベルギーの王太子の称号)となりました。
フィリップ現国王と日本の徳仁皇太子殿下は同い年生まれということもあり、10代の頃から非常に親密な関
係で、フィリップ王太子の結婚式には日本の皇太子ご夫妻が招かれました。フィリップ王太子は記者会見で
「女の子でうれしい。とても可愛いが、すでに小さな貴婦人のようでもある」と喜びを語りました。
同じ2001年に、ベルギーと日本でそれぞれ誕生した2人のプリンセスは、5年後の2006年夏、東宮ご一家が訪
問したオランダで、初めて顔を合わせておられます。


10月26日:「御帯進献の儀(おんおびしんけんのぎ)」「賢所皇霊殿神殿に着帯奉告の儀」「着帯の儀」の
3つの儀式が連続して行われました。出産前の儀式としては最も重いものです。
天皇陛下から贈られた帯を、”帯親”であられる三笠宮崇仁親王殿下の使者が東宮御所に届け、
宮中三殿での祭祀を経て、また東宮御所に戻され、内御着帯同様に妃殿下が身に付けられました。

11月30日23時25分:雅子さまが宮内庁病院入院されました。
この日は義弟の秋篠宮さまのお誕生日の内祝いにご出席される予定でしたが、
お腹が張るなどの陣痛の兆候が見られたため、急遽予定を取りやめ、宮内庁病院へ入院されました。

12月1日14時43分:内親王さまご誕生。身長49.6センチ。体重3102グラム。
ご誕生を受けて東宮侍従を通じて皇太子殿下は次のような感想を述べられました。

「無事の出産を大変、うれしく思っています。これまで、温かく見守ってくださった多くの方たちに
心から御礼申し上げます。天皇、皇后両陛下には常に温かい気持ちをお寄せくださいましたことに感
謝申し上げます。母子ともに健康であることに安堵し、うれしく思います。医師の先生方に大変よく
していただき、ありがたく思っております。今後は二人で相談し子供の幸せを祈りつつ成長を見守っ
ていきたいと思います」。


命名の儀を終えるまで生まれたばかりの皇族は新宮さまと呼ばれます。
また同日に「賜剣の儀」が行われました。賜剣とは守刀と袴を新宮に贈ることです。
守刀は内廷費から人間国宝の刀匠大隅俊平氏が中心となって作製されました。
袴は5歳の時に行われる着袴の儀の際にお召になられるものです(実際には目録のみで、袴は実際に贈られません)
各国の元首及び王室から天皇皇后両陛下へ祝電が贈られました。

★ ★ ★ 12月1日の各地の動きをピックアップ! ★ ★ ★

新潟県:小和田家縁の地である新潟県村上市では、夏に行われる村上大祭りの屋台山車「オシャギリ」が、
368年の歴史上、初めて冬の村上市を練り歩きました。

兵庫県:ご出産を祝い明石海峡大橋が紅白のライトアップで彩られました。

東京:東宮御所のある赤坂では市民600人が集まって提灯や小旗を手にパレードをしました。

島根県:出雲大社ではお祭りの期間だったため、神々に皇孫殿下誕生と奉告する祝詞を奏上されました。
13年後の2014年に皇太子ご一家と親しい高円宮家の典子さまが出雲大社の郡司である千家家に嫁がれましたね。


12月2日:宮内庁、東宮御所、京都御所、御陵を管理する各地の事務所でお祝いの記帳が始まりました。
あまりにも人が集まり、宮内庁は急遽予定を変更して終了時間を延長しました。
2日間で12万1230人分の記帳が集まりました。
これ以外にも全国の自治体・神社、各国日本大使館でも記帳が受け付けられ、最終的に記帳をした人数は77万人分。
この記帳は両陛下と皇太子ご夫妻の元に届けられました。
夜には皇居前広場で「新宮さまのご誕生をお祝いする国民の集い」が開かれ、
集まった2万5千人の人々が万歳三唱をして喜びを表しました。
全国各地でご誕生を祝う提灯行列が行われました。

12月4日:衆議院で賀詞が全会一致で決議。

12月5日:参議院で賀詞が全会一致で決議。戦後初めて、皇室の慶事で賀詞が全会一致で決議されました。

12月7日:「浴湯の儀(よくとうのぎ)」「命名の儀(めいめいのぎ)」
「賢所皇霊殿神殿に誕生命名奉告の儀(けんしょこうれいでんしんでんにたんじょうめいめいほうこくのぎ)」
が行われました。

<浴湯の儀>
生まれた新宮の邪気を払って福を招き、健康に育つことを祈る儀式です。平安時代から行われています。
宮内庁病院の皇室専用室に隣接したもう一つの専用室を使用して白い幔幕で二つに区切られた。
実際に沐浴はせず、檜のたらい、桶、柄杓が置かれ、その所作だけが行われました。

この間、幕を隔てたもう一つの部屋では「読書鳴弦(とくしょめいげん)」と呼ばれる儀式が行われました。
衣冠姿の読書役一人と鳴弦役二人が湯殿に向かって立ち、鳴弦と読書を行いました。
読書役は当時91歳の元学習院大学学長児玉幸多氏。
児玉氏は皇太子殿下の恩師で、皇太子殿下、秋篠宮さま、紀宮さまのご誕生の際にも読書控えの役を務められた。

鳴弦役は徳川家十八代当主徳川恒孝氏と加賀前田家十八代当主前田利裕氏が務められた。
(明治以降、読書役は文学者、鳴弦役は旧大名家の当主が務めるという慣例が出来ました)
鳴弦は鳴らすことによって邪気や邪霊を驚かせて追い払うという意味があります。
鳴弦は男児は3回、女児は2回、「おお」という声とともに弓の弦を引いて音を出します。
読書役、鳴弦役にはそれぞれ控えの者もモーニング姿で隣室に控えていました。
読書役の児玉氏が選ばれたものは『日本書紀』の推古天皇について書かれた第二十二巻。
推古天皇は日本初の女性天皇です。
ちなみに紀宮さまの時は内親王だからという理由で漢文ではなく『万葉集』の一説でした。

<命名の儀>
浴湯の儀に次いで命名の儀が行われました。
雅子さまのご懐妊が確認されてから準備は始まります。3人の学者が「勘申者(かんじんじゃ)」に選ばれ、
親王と内親王のそれぞれの御称号と御名の候補を3つずつ挙げました。御称号は内廷皇族のみに授けられます。
同じ内親王でも秋篠宮家の眞子さま佳子さまには御称号はありません。
そして最終的には皇太子ご夫妻のご意向で選ばれたものがこちらです。

 御称号 敬宮 御名 愛子

御名と御称号は『孟子』の中の「離婁章句下(りろうしょうくのげ)」の編から選ばれました。
「仁者愛人、有禮者敬人、愛人者人恆愛之、敬人者人恆敬之(意味 仁有る者は人を愛し、礼有る者は人を敬う。
人を愛する者は恆に人から愛され、人を敬う者は常に人からも敬われる)」

命名に続き、皇太子ご夫妻はお印を「ゴヨウツツジ」に決められて、両陛下にご報告されました。
初夏に那須の御用邸に咲くゴヨウツツジをご覧になり、
「この純白の花のような純真な心を持った子どもに育って欲しい」という皇太子ご夫妻の願いが込められています。

12月8日:宮内庁病院を退院され、東宮御所に戻られました。



昼に退院される際には医師や看護師一人一人に丁寧にお礼を述べられる皇太子ご夫妻のお姿が印象的でした。
白いスーツの雅子さまと同じく白いお召し物の愛子さまに日本中が注目しました。
この日初めて国民の前にお姿を見せられた愛子さまはスヤスヤと雅子さまの腕に抱かれ眠っておいででした。
宮内庁病院から赤坂御用地にある東宮御所までの道には大勢の市民が歓迎しました。
また道路交通法改正に伴い、愛子さまは皇室の歴史上初めて、チャイルドシートに乗って退院した皇族となられました。


(第2回へ続く)
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6 コメント

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2001年12月1日 (えだまめ)
2017-09-27 04:50:10
無事にお生まれになられたこと。
うれしくて、うれしくて今思いだしてもあたたかい気持ちになります。

「新宮様おめでとうございます!」と、日本中が歓喜に湧きました。皇室典範を改定して「ぜひ新宮様を将来の天皇に!」との声も大きくあがりました。

私ももちろん、「今日お生まれになった赤ちゃんが将来の皇太子様、天皇陛下になるのね!」と思いました。
愛子さま誕生の映像 (由基)
2017-11-13 12:37:42
動画とはこんなものでよいのでしょうか?
youtubeにあるニュース映像です。

ご婚約内定から結婚の儀まで
(コメントはアンチが多いので見ないことをお勧めします)
https://www.youtube.com/watch?v=L6oECrKsn7c

20011208雅子さま愛子さまご退院(1/2) 
https://www.youtube.com/watch?v=eRaH81EZ7Q8

20011208雅子さま愛子さまご退院(2/2)
https://www.youtube.com/watch?v=7CkK7EKHAew
雅子様の御歌 (ペリドット)
2017-11-14 04:24:59
十一年前吾子(あこ)の生(あ)れたる師走の夜(よ)立ち待ち月はあかく照りたり

雅子様は、皇室屈指の歌人だなと思います。
ことばは難しくないけれども、歌心がある。
そのときを切り取ってくるセンスがある。
感性の豊かな方なのでしょうね。

待ちに待った我が子をこの手に抱いた喜びを静かにそっと祝福してくれるように照っていた月。
月齢17日だそうです。
14時、午後に愛子様は誕生なさったわけですから、その祝福の波が一段落して
たったひとり、あるいは皇太子様とお二人で、静かに我が子を抱く喜びに浸っていたのでしょうか。
時間は、夜の10時とか11時とかのイメージ。もう、月は中天にさしかかるころ。
月齢17、まだ月は少し欠けただけで、丸く、明るい。皎々と下界を静かに照らしている。

とはいえ、冬の月です。
『源氏物語』には、冬の月は「すさまじきもの」と言われているけれども、と言いながら、この月に特に心が惹かれるとして、語り合う場面がありますが(朝顔巻)
そんな風に、ふつうは寒いからわざわざ見つめない冬の月が、胸に染みるように、美しく、明るく、静かに、光を投げかけている。
そう感じて、雅子様はじいっと見入っている。
月の光と、月の光が照らし出す吾子の姿を。

「立ち待ち月」が効いていますね。
実際はこの日の月の出は16時台だそうで、夕闇に包まれるころ、既に月は東の空に姿があったのかも
でも、「立ち待ち月」と古風なことばで呼ぶことで
ずっと吾子を待っていた御心と重なり合って、その静かな喜びが心に染みます。

歌い出し、11年前。字余りで、やや重いというか、口語的でこなれない感じ、何より11年前でなければならない理由は?みたいな気がしちゃいますが
おそらくは、何年経っても忘れられない、我が子の生まれたときのうれしさと喜び、なのでしょうか。

もしかすると、ようやく愛子様の日常を取り戻せた喜びと安堵が、11年前を振り返るよすがになったのかも。

味わえば味わうほどに良い歌だなと思います。

11年前、の重さ (ペリドット)
2017-11-14 05:14:59
先ほど、歌い出しが重くて堅いというか、口語的でこなれない感じというか、で書いてしまいましたが
振り返れば振り返るほど、「11年前」と歌い出していること、
つまり、愛子様誕生直後に歌われたのではない、11年間という時間がここに積み重なっていることの詩情こそが、この御歌の勘所なのだと気づきました。

もちろん、敬宮さまが誕生されたとき、師走の月は、冷たく静かに明るく照らしていて
その光に照らされて、ようやく我が子をこの手に抱く喜びに、若き日の雅子様は浸っておられたに違いない。
その喜びは、静かな月光とともに、ずっと雅子様の心にあったのでしょう。

けれども
その先に続く時間は、決して平坦なものではなかった。
それは、これからこの愛子さまヒストリーのなかでもたどられてゆくのですが。

男系の男子という規定のために、つらく切ない時も多かった道のりの中で
でも、あの師走の月が教えてくれた静かな喜びが、実はずっと、自分たち家族を支え続けてくれたのだと
我が子がこの世への信頼をもう一度取り戻しはじめた2012年の師走の夜に、しみじみと静かな喜びのなかに、思い返されたのではないでしょうか。

愛子さまは、明るい午後の時間に誕生なさいました。太陽は真上でこそないけれども、ゆっくりと西へとめぐって来る頃で、その日差しのなか、私たちは万歳三唱しました。
けれども、雅子さまは師走の立ち待ち月にも祝福されていた静かな時間を覚えていらっしゃって、歌になさいました。

そんな雅子さまの感性のうつくしさと
そんな雅子さまを愛して守り抜かれる皇太子さまと
何より、そのお二人に見守られ、愛されて育っていらっしゃる愛子さまが
本当に好きだなあとつくづく思いました。。。
感想です。 (ふう)
2017-11-30 15:39:44
とても素敵な記事をありがとうございます。
文章全体があたたかで、そしてわかりやすくて。雅子様ご懐妊の発表からの色々なことを、時系列に詳しく知ることができ大変勉強になりました。ありがとうございます。
特に内御着帯について。雅子様も戌の日に帯をお巻きになったと本で読み知ってるつもりでしたが、まさかモーニング姿の皇太子殿下が雅子様のお腹に帯をお巻きになったとは、知りませんでした。雅子様は皇太子殿下がご一緒に居てくれてリラックスできたでしょうし、きっと厳かで優しい愛の空気が流れていたのだろうなと、想像してほっこりしました。愛子様はまさに愛の中にお生まれになられたのですね。
また年表の中に、エリザベート王女様について書かれていたのも大変嬉しいです。
『愛子様ヒストリー』のおかげで、本やネットで得たバラバラだった知識が、すっきりと整理させて貰え感謝でいっぱいです。自分でも情報を集めながら、愛子様の歴史はこちらでもしっかり学んで頂こうと思います。
K・ディヴィス様、感動しました。どうもありがとうございます!また2も楽しみにしております。
ふと思い出した (シャマダン)
2017-12-11 21:54:25
愛子様が誕生された時、母に「此れからは『皇太子ご夫妻』ではなくて『皇太子ご一家』になるんだね。」と言った事を思い出します。

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