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水越峠から葛城山までの長い階段道は途中から西から東へ山腹を這う。
その部分の地図描画は金剛山~葛城山エリアの中では最も実態と乖離した部分である。
見方を変えれば、一般登山者にとっても自己位置特定が難しいルートである。
仲西地図 水色の線
「この地図及び以降の地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第9号)」
上記、水越峠からの葛城階段部分は仲西政一朗氏が描画したものを、等高線を読みながらカシミール3Dで再描画したものです(注1)。
この地図から以下のような感想を持ちました。
・最初に気づくことは、今は無い県境ルートが示されていることです。
(1969年の日地出版金剛山では、県境線だけが登山道として描画されていました。)
・水越峠の県境ポイント(水が落ちている方の取り付き)が古くから変わらずに取り付きとして使われていることが分かります。また、仲西氏は、もう50mくらい東側から北へ延びる国土地理院の黒線とは区別していることも分かります。
・二つの水色の線が合流する県境付近に赤丸を打ちました。
このポイントはかなり正確に捉えられていて、後に地図を書いた人もすべてここを通しています。
現在のように色々な道具が手に入れられる時代と違って、数十年前にこの位置を特定されていることに感心してしまいます。
根来地図 紺色の線(葛城高原・二上山2001)
根来さんは、いわゆるバリエーションルートに力を入れて地図を書いてきて、目をつぶっても歩ける(←ものの例えです)ダイトレなどはそれほど時間を割いていないと思われますが、ここには幾つかの修正を加えています(紺色の線を参照下さい)。
・地図上の『水越峠』という表示文字の辺りは、地形的特徴を反映して少し西へルートをふくらませて再描画し、実態に合わせています。ここはGPSともほぼ重なっています。
・赤じるしの県境ポイントより西側のふくらみ、及び東側のふくらみを仲西地図より若干修正してブレ幅を縮小しています。
GPS軌跡 赤色の線
複数のGPS軌跡、複数年度の空中写真等を総合して尤もらしい軌跡を赤線で描画してみました。
寸分の誤差もない訳はありませんが、極端な誤差はないと考えています。
GPS軌跡と写真との位置関係
水越峠の階段口写真
パノラマ合成のため道が湾曲して見えますが写真中央部はほぼ真っ直ぐです。
眺望写真1 県境の坂を上がった所
・谷沿いの石の階段を登り切って振り返ると、水越峠から越口方面へ登るダイトレ道が見えるポイントです。
・右の写真は県境に沿って登る急坂を上り詰めた所です。
また階段が始まる 眺望写真2:金剛山の西側が見えています
・左:東に向かって山腹を這ったあと、また階段が始まるポイントです。
・右:振り返ると金剛山の西側がよく見えています。
金剛山の東側が見えています
振り返ると金剛山の東側が眺望できます。
それぞれの関係 茶色の線:昭文社地図(2003~)
現行地図(茶色の線)を併せて一覧比較できるようにしました。
茶色については敢えて説明をしません。
できるかな
地図を書かない私達ふつーの登山者にとっても、自己位置の特定というのは結構難しいことが分かります。
地図読みの教本では確か下記のような地形的特徴の有る場所で、他の情報も勘案して判断することになっています。
・稜線ルートでは、ピーク、鞍部、小尾根の分岐、稜線方向の変化、傾斜(等高線密度)の変化、鉄塔など建造物、植生などを参考にしたり
・谷ルートでは、沢の合流点、谷筋の方向変化
などが手がかりになります。
のっぺりして上記のような特徴の少ないこの水越峠の山腹階段道は手がかりが極めて少ないのです。
このルートでは地図無しでも、道迷い遭難することは困難ですが、地図と見比べつつ
『なるほど』、『あれっ』と思いながら歩くと、ただしんどいだけの長~い階段道も、少しは短く感じるかも知れません。
これをやっておけば、他所の山に行って現地の地図と照合しても、ははーん!と思うことが有るかも知れません。
注1:昭文社地図の等高線は2003年以降は国土地理院の2万5千図と同様の等高線にかわりましたが、2002年までは手書きトレースかなと思えるズレズレの等高線でした。
従って仲西氏の描画も読み替えると形が変わってしまっている部分が有ります。
根来さんに聞くと、踏査の時は地理院地図に反映していくが、昭文社のズレた等高線に合わせて書き直さないといけないので苦労したそうです。
謝辞:GPSデータを「水分道常連」様より提供いただいています。
水越峠から葛城山までの長い階段道は途中から西から東へ山腹を這う。
その部分の地図描画は金剛山~葛城山エリアの中では最も実態と乖離した部分である。
見方を変えれば、一般登山者にとっても自己位置特定が難しいルートである。
仲西地図 水色の線
「この地図及び以降の地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第9号)」
上記、水越峠からの葛城階段部分は仲西政一朗氏が描画したものを、等高線を読みながらカシミール3Dで再描画したものです(注1)。
この地図から以下のような感想を持ちました。
・最初に気づくことは、今は無い県境ルートが示されていることです。
(1969年の日地出版金剛山では、県境線だけが登山道として描画されていました。)
・水越峠の県境ポイント(水が落ちている方の取り付き)が古くから変わらずに取り付きとして使われていることが分かります。また、仲西氏は、もう50mくらい東側から北へ延びる国土地理院の黒線とは区別していることも分かります。
・二つの水色の線が合流する県境付近に赤丸を打ちました。
このポイントはかなり正確に捉えられていて、後に地図を書いた人もすべてここを通しています。
現在のように色々な道具が手に入れられる時代と違って、数十年前にこの位置を特定されていることに感心してしまいます。
根来地図 紺色の線(葛城高原・二上山2001)
根来さんは、いわゆるバリエーションルートに力を入れて地図を書いてきて、目をつぶっても歩ける(←ものの例えです)ダイトレなどはそれほど時間を割いていないと思われますが、ここには幾つかの修正を加えています(紺色の線を参照下さい)。
・地図上の『水越峠』という表示文字の辺りは、地形的特徴を反映して少し西へルートをふくらませて再描画し、実態に合わせています。ここはGPSともほぼ重なっています。
・赤じるしの県境ポイントより西側のふくらみ、及び東側のふくらみを仲西地図より若干修正してブレ幅を縮小しています。
GPS軌跡 赤色の線
複数のGPS軌跡、複数年度の空中写真等を総合して尤もらしい軌跡を赤線で描画してみました。
寸分の誤差もない訳はありませんが、極端な誤差はないと考えています。
GPS軌跡と写真との位置関係
水越峠の階段口写真
パノラマ合成のため道が湾曲して見えますが写真中央部はほぼ真っ直ぐです。
眺望写真1 県境の坂を上がった所
・谷沿いの石の階段を登り切って振り返ると、水越峠から越口方面へ登るダイトレ道が見えるポイントです。
・右の写真は県境に沿って登る急坂を上り詰めた所です。
また階段が始まる 眺望写真2:金剛山の西側が見えています
・左:東に向かって山腹を這ったあと、また階段が始まるポイントです。
・右:振り返ると金剛山の西側がよく見えています。
金剛山の東側が見えています
振り返ると金剛山の東側が眺望できます。
それぞれの関係 茶色の線:昭文社地図(2003~)
現行地図(茶色の線)を併せて一覧比較できるようにしました。
茶色については敢えて説明をしません。
できるかな
地図を書かない私達ふつーの登山者にとっても、自己位置の特定というのは結構難しいことが分かります。
地図読みの教本では確か下記のような地形的特徴の有る場所で、他の情報も勘案して判断することになっています。
・稜線ルートでは、ピーク、鞍部、小尾根の分岐、稜線方向の変化、傾斜(等高線密度)の変化、鉄塔など建造物、植生などを参考にしたり
・谷ルートでは、沢の合流点、谷筋の方向変化
などが手がかりになります。
のっぺりして上記のような特徴の少ないこの水越峠の山腹階段道は手がかりが極めて少ないのです。
このルートでは地図無しでも、道迷い遭難することは困難ですが、地図と見比べつつ
『なるほど』、『あれっ』と思いながら歩くと、ただしんどいだけの長~い階段道も、少しは短く感じるかも知れません。
これをやっておけば、他所の山に行って現地の地図と照合しても、ははーん!と思うことが有るかも知れません。
注1:昭文社地図の等高線は2003年以降は国土地理院の2万5千図と同様の等高線にかわりましたが、2002年までは手書きトレースかなと思えるズレズレの等高線でした。
従って仲西氏の描画も読み替えると形が変わってしまっている部分が有ります。
根来さんに聞くと、踏査の時は地理院地図に反映していくが、昭文社のズレた等高線に合わせて書き直さないといけないので苦労したそうです。
謝辞:GPSデータを「水分道常連」様より提供いただいています。
根来さんは仲西さんから地図を引き継ぎ、二上山から高野線の東側までを、歩いては直し、直しては歩き年々精度を上げてきましたが
2003年でその努力と蓄積が全て水泡と帰したわけです。
この記事で紹介した紺色の乖離は根来さんの地図の中では最も不満足なものを挙げたのですが、一方、茶色はどう踏査すればそうなるのか・・、もう異次元の世界です。
その他の場所でも現行版は、地図を見ながら歩くこうとする人にとっては、自信喪失や、混乱の元になっています(私も最初はそうでしたから)。
一時は正誤表でもとは思いましたが、その程度では追いつかないので、ルート毎のブログテーマの中で、必要と思ったときに言及する程度にしています。
幸いなことに、ネット上では『金剛山登山道情報』、『愛犬まりと山歩き』などのHP管理者が誠意溢れる有用なルート情報を提供されています。
例の道のダイトレとの接続点は、
上の写真[また階段が始まる] で見られます
Y字状の木の、右のところです。
向こう側から行かれるのは、大変ですので、
こちらから行かれましたら簡単です。
祈滝谷の源頭部まで、すぐです。
『例の道』とは倒木、藪だったルートのことですね。ダイトレ近くもイバラなど多く、用意無しでは大変という感じでしたが、ひょっとして刈っていただいた?
道具は持参しましたが、それほど必要としませんでした。
それよりも、標高500メートルあたりの、稜線部に抜け出るところを整備くださいまして、大感謝です。左に行くんでしたか。
昨年、そこで止まってしまい、右に巻いたり、V字溝状の道?を行こうとしたりで、一時間ほどそこのところで悪戦苦闘していましたです。
関屋の集落からその「例の道」に接続する道があり(山地図には記載がないですが)、630あたりで接続するんですが、そこから行けば開通できるかなぁと思っていたところ(実行せずに棚上げしていました)、開拓されているとのニュースにに接っし、関屋から行ったという次第です。
御所市の都市計画図(一万、あるいは二千五百図)は、航空写真を基礎にして作成されていますが、上記の赤線の道の通りとなっております。
なお「例の道」は、一気通貫で行けるようになりましたので、今度は、ダイトレの西側を踏査して、碓井谷林道を経由する形で、「弘川寺」まで。
そうすると、「九品寺」から「弘川寺」まで、葛城山の山腹の大散歩道が完成されることになります。
・多数の有志の方が力を合わせて整備して下さったお陰で、山慣れた方なら敗退しないで済む様に『ほぼ』なりました。
・関屋から630辺りで接続する道ですか。稜線を右に、左にとかわさざるを得ない部分があったので、尾根からの道があるか、谷方の道かも気づく余裕が有りませんでした。機会が有れば覗いてみようかな。
ダイトレ西側の
なるほど! 黒線が長く続いていますね。「あそこから入れそう」までは沢山の方が思っても「九品寺から弘川寺」とは・・。スゴッ
・古い写真を見る限りでは、地理院の黒線以外にもほぼ等高線に沿って三本くらいの道または作業道がクッキリと見えますね。
東側の「例の道」も酷いところはどうしても逃げざるを得なかった以上に、西側は大変なのか、逆に林業道として活きているのか
南川の例の二股のちょっと上流に下りる、険しいですが、道がありますので、○ナタ道への入口は、沢沿いの道に限られません。
上記のことは、仲西地図「葛城高原・二上山」をご参照のほど、よろしくお願い致します。