私は本を読むのが遅い。
もとい、昔は自分でも不思議なくらい早かった。1日に3冊くらいのペースで見るからに太い、漫画を読んでいた。というのは冗談で、まあ漫画もたくさん読んでいたのは本当だけど、年間に文字の本を1000冊近く読んでいたと思う。なぜかといえば異性に相手にされない鬱憤を、というのは本当だけれど、とにかく景色を眺めるように、文章が右から左に流れていくように本に接していた時期があった。
そういうのって、ある人にはあること。でも先も考えずに熱中していた将棋や読書が、いまの仕事に十全に生きているのって。本当にいろいろな人にもらったきっかけや寛容のおかげで、感謝してもしきれないです。
本を読むのが遅くなったのは、自分のことだけ考える時期が過ぎたからだと思う。若くて社会への接触が少なければ少ないときほど、直情的な感性だけで考えを固めていくことができる。でもいろいろな人と関わると、良かれ悪しかれ摩擦が増えて消化に時間がかかる。次第に本から得られるものより、直に人と接して感じるものが面白くなってくる。
あと以前はストーリーを追っていたけど、いまは文字列の意味付けや組み立ての整合性を考えているから時間がかかるのかもしれない。そうするとほとんど修行ってくらい読んでいてつっかえてしまう。
いまは図書館に行って、それでも欲張って3冊借りて2週間で1冊半が関の山。まあ、仕方ないと肩を落として返却に行く日々です。
もとい、昔は自分でも不思議なくらい早かった。1日に3冊くらいのペースで見るからに太い、漫画を読んでいた。というのは冗談で、まあ漫画もたくさん読んでいたのは本当だけど、年間に文字の本を1000冊近く読んでいたと思う。なぜかといえば異性に相手にされない鬱憤を、というのは本当だけれど、とにかく景色を眺めるように、文章が右から左に流れていくように本に接していた時期があった。
そういうのって、ある人にはあること。でも先も考えずに熱中していた将棋や読書が、いまの仕事に十全に生きているのって。本当にいろいろな人にもらったきっかけや寛容のおかげで、感謝してもしきれないです。
本を読むのが遅くなったのは、自分のことだけ考える時期が過ぎたからだと思う。若くて社会への接触が少なければ少ないときほど、直情的な感性だけで考えを固めていくことができる。でもいろいろな人と関わると、良かれ悪しかれ摩擦が増えて消化に時間がかかる。次第に本から得られるものより、直に人と接して感じるものが面白くなってくる。
あと以前はストーリーを追っていたけど、いまは文字列の意味付けや組み立ての整合性を考えているから時間がかかるのかもしれない。そうするとほとんど修行ってくらい読んでいてつっかえてしまう。
いまは図書館に行って、それでも欲張って3冊借りて2週間で1冊半が関の山。まあ、仕方ないと肩を落として返却に行く日々です。










