お仕事ブログ

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コメントへのお返事や私見など

2016年12月31日 | Weblog
前回の記事に対して、多くのご意見をくださりありがとうございました。また、私の至らなさから不愉快な思いをさせてしまった方々には申し訳なく思っています。
ただコメントのなかには、事実とは違う憶測が元になったと思われるものもありました。

まず今回の件だけでなくこれまでにも、ネット上での私の発言や行動が渡辺竜王をはじめ他者の操作、命令によって行われたことはありません。すべて私の意志によるところです。また私が渡辺竜王をそそのかして三浦九段を告発するよう誘導したという事実や、週刊文春をはじめ、各種報道機関にこちらから情報を提供したという事実もありません。取材の依頼はありましたが、すべてお断りしています。
渡辺竜王とは同門の兄弟弟子であり、将棋会館を出ても会ったり連絡をとったりする機会が多く親しくしていることは確かなので、そのような憶測が生まれやすかったのだと思います。渡辺竜王との関係性、および棋界の人間関係の考察については後日に改めて記します。

「ネット上でデマをばらまき、何度もクロと断言した」といった主旨のコメントや指摘については、私自身はそういう認識はありませんでした。文章の書き方のまずさや読んだ人の私に対するイメージから、そう受け取られてしまったのかもしれません。
今回の不正疑惑に関しての一貫した私の思いは「シロであってほしいが、クロの可能性もある」というあやふやなもので、どちらかに100の割り合いで振り切ったことはありません。そのあやふやさが言葉の受け取り方を乱してしまったのだと思います。ツイートや本ブログを振り返ってもらえばわかりますが、クロと断定した発言はありません。
 ただ「三浦九段が不正をしているのではないか」という話が(私の体感では)8月の中旬あたりから棋界内にあり、様々な意見や先々への不安な思いを聞いていたのは事実です。これは第三者委員会の報告に含まれるかどうかはわかりませんが、棋士に聞き取りをすればすぐに証明されることだと思います。
棋士は月例報告会で不正の疑いがあることを知らされており、(どの段階で三浦九段が対象だと知ったのかは不明ですが)これについて会館を離れた場所でも話題になるのは自然なことでしょう。逆に不正の疑いがあることを知りながら、全員が「そんなことはない。問題視する必要はない」となるほうが不自然であり、不健全ではないでしょうか。
ただ、あのタイミング(2つ下の記事を参照してください)およびツイッターという場でコメントをしたことによって騒動を大きくしてしまったのは確かです。あまりにも一般のファンに情報が伝わってこない状況だったので、ある種の責任のようなものを感じて、軽率なことをしてしまいました。私のツイートによって不快な思いをした方には、重ねてお詫びいたします。

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第三者委員会の結論、これに対する三浦九段と将棋連盟の会見があり、一定の区切りがつきました。(朝日新聞社の記事は、すべて読むためには登録が必要かもしれません)

第三者委員会の報告(毎日新聞社)
三浦九段の記者会見(朝日新聞社)
将棋連盟の説明詳細(朝日新聞社)
第三者委員会調査結果を受けて(日本将棋連盟)

今回の不正疑惑は「対局中にソフトを使用する不正があったのかどうか」。「将棋連盟が出した三浦九段への処分は妥当だったのか」が主となっており、第三者委員会に依頼されたのもその2点でした。この2点は重なり合う部分もありますが、基本的には別に考えるべきだと思います。

(1)第三者委員会の結論について
『不正の有無』については「証拠は認められない」という調査結果が出されました。
私は無罪の判断(裁判ではないので妥当な言葉かどうかはわかりませんが)が出されたことを喜ばしく感じ、今後は三浦九段の名誉回復や諸々の埋め合わせが正しく行われて欲しいと考えています。

前回の記事のなかで私は『まず前提として、将棋と真剣に向き合って大事に思っている人の誰もと同じように、私はソフトによる不正はあるべきではないと考えています。今回の三浦九段の疑惑についても同様で、不正はなかったという帰着が望ましいと思います。ただ対局した(する)相手が告発というリスクの高い行動を起こしたことは重要視しなければいけません。性質上、無実を証明することは(調査によって物証が出なくても完全ではないという意味で)難しく、逆に何かしらの物証が出たとしても即座に不正確定とはなりません。自身で不正をしていたと認めた場合のみ、明快に決着するということになりそうです』と書きました。

無罪という言葉は、その件について罪に問われないという意味です。調査のなかで不正行為を認める根拠が出てこなかったので、今回の判断は無罪にあたるものだといえます。
そもそも将棋連盟が第三者機関に調査を依頼した時点で証拠が出る可能性はほぼなかった(現行犯、もしくは本人が認める以外は有罪とならない)ことから、ここまでは当事者たちも周囲も予測していたことだと思います。

一方の無実は、「指摘された行為が全く無かったという事実」のことです。三浦九段が無実を主張し、自身でそう定義づけるのは当然のことですが、周囲に強制することはできません。すでに過ぎ去った事象に対し100パーセントやっていないと証明するのは難しく、結局は感情というグラデーションに左右されてしまいます。
将棋界の内部的には三浦九段に対し「不審に思ったこと」を投げかけ、ひとつひとつ解決していく。その積み重ねで信用を回復していくのが地道ながら確かな方法かもしれません。これを行っていくためには周囲の配慮、サポートも必要になってくるでしょう。

ネット上では「三浦九段は無罪なのだから、疑われるような行動は何もなかった」といった論があり、ともすれば逆の意見を封殺する風潮すら見られます。これについて私自身は異様さすら感じています。

三浦九段自身が(会見では30分の離席が認められなかったことに対して)「そもそも疑惑はなかった」と主張するのはよいと思います。しかし現実として、少なくとも渡辺竜王や久保九段が強い疑念を抱く材料、将棋連盟が出場停止処分を行う背景が(少なくともその当時は)あったのですから、「どういう点を疑ったのか」を検証するのは大事なことだと思います。これを行わずにフタをしてしまったのでは、「こういう行動は慎んだほうがよい」といったガイドラインを作ることさえできません。

たとえば記者会見で青野九段が「久保九段の(指摘した)31分という話はあった。それは勘違いとしても、合計すると2時間40分という離席は普通の対局では考えられないこと」と話していましたが、これも三浦九段に説明してほしいことのひとつです。確かに5時間の持ち時間で半分以上盤の前にいないというのであれば、普通ではないように感じられます。(体調が悪かったという話も出ているので、対局中に具合が悪くなった場合のガイドラインに繋がるかもしれません)(※1月16日に公表された第三者委員会の報告書要約で、三浦九段の持ち時間のなかでの離席は1時間となっていました。当初の文は青野九段のコメントが元になっていますが、『持ち時間5時間のなかの2時間40分』という状況ではなかったので、この部分は注釈というかたちでお詫びして訂正します。)
三浦九段が受けた被害は非常に残念ですが、一方的な論調によって渡辺竜王、久保九段が意見を言う機会が奪われてしまうのであれば、それはおかしなことです。一般のファンであっても、きちんとした形であれば疑問を投げかけてもいいと思います。三浦九段には日本将棋連盟の正会員として堂々と受けてもらい、それによって信用を回復し、今後のルール作りに生かすのがよいでしょう。
盤上においては、とある棋士が発した「出てこいよ三浦! 俺がぶっ倒してやる」という言葉と姿勢が将棋指しらしくて好ましいなと思っています。

(2)『三浦九段に対する出場停止処分の妥当性』についての第三者委員会の結論は、「妥当」というものでした。私個人としては、早急に処分が執行されたことで問題が深刻になったのではないかと考えていたので、妥当という判断は意外なものです。
ただ報告の文言は「当時の判断はやむを得なかった」とあり、その後の理事会の会見を見ても、難題が重なったことで満足に機能していなかったと推測できます。(キャパオーバーを起こしたのは理事会だけでないかもしれません。少なくとも自分もオーバーしました)。
日本将棋連盟は社団法人であり、社団法人は正会員(人)の存在が財産となります。将棋連盟の場合は棋士および一部の女流棋士が正会員にあたります。将棋連盟の執行部である理事会は、この財産を最大限に生かすことで将棋を広め、同時に財産を守っていく義務があるはず。かつてないピンチである今だからこそ、形にとらわれずに最善を尽くしてほしいと思います。

今回の記事は以上になります。ご意見や批判は当エントリのコメント欄にお寄せください。
私は将棋連盟の正会員ではないので直接動いていくのは難しいですが、ライターとしての立場で出来ることに全力を尽くします。「将棋界は将棋を愛するすべての人のためにある」という視点に立てば棋士も観戦記者もファンも等しいものなので、皆さんにも協力していただけましたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

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【追記】
たくさんのコメントをありがとうございます。
うまく伝わらなかった部分があったようなので、改めて記しておきます。(匿名の方が多く返信が難しいので、追記という形をとりました)
某まとめサイトでは、今回の記事が「私が三浦九段へ反論を行った」というふうな見出しつきで紹介されていますが、私に反論の意図はありません。「今後、どのように進めていけばよいのか」という視点での提案です。何様だよと言われれば、それはその通りで返す言葉もないのですが。
「三浦九段が疑問に答える」という案は、三浦九段の協力があれば強固なルール作りの礎になるのではないかと考えたためです。もちろん心身の負担を考慮して、可能な範囲で協力というかたちで十分だと思います。

もうひとつ、とある棋士の「出てこいよ三浦! 俺がぶっ倒してやる」も、多くの方に私が感じた印象とは違うように受け取られたようです。
復帰後に三浦九段が周囲と、周囲が三浦九段とどのように接していくのか(いけるのか)は、その場になってみなければわかりません。以前と同じようにというのが理想的ですが、現実的にはきっと簡単ではないでしょう。
私は上の言葉を、さまざまな気持ちをないまぜにしつつも「盤上では何も譲らない」という、棋士の根幹ともいえる決意なのだと感じました。ただ解釈の揺れが大きい言葉なので、適切な引用ではなかったのかもしれません。この点は、混乱を招いてしまったことをお詫びします。

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【追々記】
コメント欄は私に対する意見や批難だと認識しているのですが、いささか混線してしまっている感がありますので、私の考えを箇条書きで整理してみます。これには以前のエントリーやツイッターの内容も含まれます。

(1)プロ棋界界隈で夏ごろから、三浦九段のソフト不正を疑う、もしくは事実だとしたらどうなるのかという不安の声があった。少なくとも渡辺竜王には、竜王戦七番勝負を前に調査(事実上は告発)を依頼するだけの根拠があった。

これは当時という意味です。第三者委員会の報告があった現在を立脚点にしてしまっては、正確に経緯をたどることができません。

(2)初動における日本将棋連盟理事会、渡辺竜王、三浦九段、その他の棋士や関係者の行動や言動はどうだったのか。もし著しく問題があったのであれば、何かしらの処分があってもやむを得ない。ただし、当時の状況を踏まえたうえでの判断であることが望ましい。

コメント欄で告発者のリスクに言及する方も多く見受けられました。疑惑をかけられた側の被害の大きさを考えれば、結果次第では告発者に何かしらの処分があるのは妥当だと思います。渡辺竜王もこの点は認識しているようで、第三者委員会設立の前からプライベートな場では自身に対する処分について言及していました。

(3)第三者委員会の報告を早急に鵜呑みにせずに、平等性や正確性を検証していったほうがよい。

第三者委員会の報告はもちろん尊重しますが、現在はごく一部が公開されているに過ぎません。この状況で神棚に祀って終わりではなく、正確であったのか、何より平等であったのかを検証する必要があります。実際に三浦九段側は理事会の処分の妥当性について疑問を呈しており、検証の余地は十分にあるはずです。一般にもできるだけ多くの部分が公開されてほしいと思います。合わせて渡辺竜王をはじめとする当事者の説明の場も、用意されて然るべきだと思います。

(4)三浦九段の補償と名誉回復が正しく行われることを望む。

今回の件で三浦九段は多大な損失を被りました。金銭的な補償は数字が出しやすいですが、名誉回復は非常に難しい問題でしょう。
それぞれの立場と様々な感情があるのは容易に想像できます。強制力を持って一つの方向を向かせると腫れ物を扱うような感じになってしまい、逆に三浦九段の孤立を深める結果になりかねません。
それならば自然に委ね、三浦九段が新たなルール作りに協力するという前向きな形で周囲と接触する場を持ったらどうか、というのが私の提案でした。

(5)謝罪は強制されて行うものではない。
私は第三者が謝罪を強制するということが正当であるとは考えていません。(社会的影響が強い場合は、その限りではないかもしれませんが)
個人レベルであれば自身が納得したタイミングで、自身の考えた方法で行うものだと思っています。

取り急ぎ以上となります。
よろしくお願いいたします。

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【追々々記】
今回の記事は、いまこの時期に今後について書いておくべきと思ってアップしたものです。
私が懸念したのは、追記の(3)に記したように、第三者委員会の報告をすべて鵜呑みにして「なぜこういう事が起こったか」「今後起こさないためには何をするべきか」「万が一起きたときにどう対応するか」という部分を突き詰めない展開になることです。検証を続けることで、疑惑をくすぶらせ続けようという意図ではありません。
第三者委員を格付けする機関があるように、その報告は検証の対象となります。しかし一方で時間をかけて作成された資料でもあり、これを有効活用しない手はないと思います。

三浦九段は理事会による出場停止の妥当性の判断に疑問を呈しました。「不快感」で済まされてしまった渡辺竜王、久保九段にも言い分はあるでしょう。
理事会は報告についてのきちんとした説明が必要ですし、その範囲は最低でも正会員すべてが対象になると思います。今後はヒアリングではなく、きちんとしたディスカッションによって前進してほしいと願っています。

【ごめんなさい・ありがとう運動】

2016年10月30日 | Weblog


10月24日に、ツイッターで別アカウントを作ってこの運動を発表しました。自分でも頭の中がお花畑だと自覚しているのですが、ないよりはあったほうがよく、これに関して批難されるのは自分だけだと思ったので実行に踏み切った次第です。
本当は私自身の意図をはっきりさせない方が主旨に沿う面もあるのですが、状況を見て、改めて説明しておこうと思い直しました。

10月12日に三浦九段の出場停止が発表されてから、自分なりにいろいろなことを考えました。その後も様々な発表や報道やネット上の意見、そして私自身が知っていることなどを踏まえて、本件がどのように決着するのかを想像しました。
まず前提として、将棋と真剣に向き合って大事に思っている人の誰もと同じように、私はソフトによる不正はあるべきではないと考えています。今回の三浦九段の疑惑についても同様で、不正はなかったという帰着が望ましいと思います。ただ対局した(する)相手が告発というリスクの高い行動を起こしたことは重要視しなければいけません。
性質上、無実を証明することは(調査によって物証が出なくても完全ではないという意味で)難しく、逆に何かしらの物証が出たとしても即座に不正確定とはなりません。自身で不正をしていたと認めた場合のみ、明快に決着するということになりそうです。

渡辺竜王が竜王戦七番勝負を前にして告発をしたことについては、(報道などではいくつかありましたが)本人の生のコメントが発表されていないのでなんともいえません。しかし告発をしたのだから不正を確信していたこと、加えて対局に向かう棋士の心理、生理といったものも加味して考えるべきだと思います。
報道では理事会の記者会見で「疑念のある棋士と指すつもりはない。竜王を剥奪されても構わない」と渡辺竜王が言ったとされていますが、これも本人のコメントがないので現状では言及が難しいです。言ったのか、言ってないのか。言ったのならばどういう場で、どういう文脈で言ったのかも重要になります。この言葉に限らず、今後に経緯を調査するときには「何を言ったか、言ってないか」に加えて「どういったシチュエーションだったか」もしっかりと検証してほしいと思います。

理事会の三浦九段に対する処分が正当だったかという点も含めると、本件の落としどころは非常に悩ましいといえます。誰かに新たな処分が下るのか、その処分を決めるのは理事会なのか棋士の合議なのか、それとも第三者の調査団なのか。この点もはっきりしません。
個人的にはソフトによる不正、そして告発者のリスクについてのルールが定まっていないのだから、除名という線で進めるのはよくないと考えています。もちろん処分が必要であれば、適切な処分はなされるべきだと思いますが。
そしてここからが「ごめんなさい・ありがとう運動」につながるお花畑の発想なのですが、本件が決着するときに理事会を含めた三者、および棋士たちが行動や言動、進め方などにまずい部分はなかったかと振り返ることが大事ではないか。それによって処分をより適切なものに近づけること、その後のルール作りに生かすことにつながるのではないかと考えました。将棋は勝負を争う厳しいものですが、局後の感想戦はとても大事です。

以上がプロ棋界に対する私の考えです。
次に将棋ファンに対しての考えを述べていきます。

10月12日に三浦九段の出場停止、竜王戦不出場が発表されて以来、たくさんの将棋ファンが胸を痛めていると思います。
実際に思いを言葉にする人も、自重して言葉にしない人も、将棋や将棋界を愛する人は同様でしょう。棋界関係者として、そのことを思うと心が苦しくなります。

報道やどなたかの言動を元にしたネット上での意見交換も活発で、これは当然のことだと思います。プロ将棋界はファンあってのものですし、逆に話題にもならないようだったら終わりです。
ただインターネットという特性上、ほとんどの場合に匿名(まとめサイトや某掲示板など)、もしくはごく匿名に近い立場(ツイッターなど)で意見を述べることになります。そして匿名者がその立場を利用して、本件の当事者や関係者、そして自分と意見が違う将棋ファンを無責任に攻撃するという場面が多く見られました。


これに対する私の考えは「望ましくはないが、しかたない」というものです。もちろん匿名による他者への攻撃はほとんどの場合が一方的なものなのでフェアではありません。しかしインターネットはそういうもので、法律による罰則が適用されることはほとんどないのだから、そう考えるしかないでしょう。一方で、匿名であっても素晴らしい意見はあるし、何かを褒めてもらったりすればうれしいのだから、それで相殺と考えることにしています。ただ人にはそれぞれ考え方があるので押し付けるつもりはありませんし、攻撃されて傷ついている人を見たら悲しくはなります。
これはほとんど余談ですが、前に読んだ司馬遼太郎の『手掘り日本史』という本に「幕末の鳥羽伏見の戦いの段階で、全国の武士階級に『薩長を主体にした政権を認めるか』というアンケートを出したら九割九分が認めないにマルをつけると思う。これが本心。次に『京都で天皇を擁した、薩長を主体とする新政権が新しい時代を作るか』と問われたら、思うにマルをつける。最後に『そこであなたはどういう行動をとりますか?』という質問をすると、マルでもバツでもなく沈黙する。しかし動かざる沈黙ではなく、無言のうちに新しい時代に参加していく。日本人の心の二重構造を考えないと、歴史は見えてこない」というくだりがありました。これをインターネットのある現代に置き換えてみると、なかなか面白いものがあります。

話が脱線して申し訳ありません。
「ごめんなさい・ありがとう運動」は、一応は運動ということになっていますが、実際にはこれを見ることが「考える」きっかけになってくれたら、それでいいと思って始めました。他者を攻撃した匿名の人にも日常生活があり、現実には誰かと接して生きていると思います。そして、攻撃された側も同様です。自分の言動や行動はどうだったか。まずいところはなかったか。言葉にすることも、口にすることも強要はしません。ただ考えてみてくれたら、と思っています。

「ありがとう」のほうは、「ごめんなさい」だけだと湿っぽいので、将棋や好きな棋士に対する思いを書いてもらえたらと思って加えました。こちらだけでも全然問題ありません。
ツイッターやコメント欄で「バカなことやるな」という感じのアドバイスをくれた方がいくらかいたのですが、バカなことなのは(そもそも@Sorry&Thanksというアカウント名がバカ丸出しですが、これは表示できる文字数の都合で仕方なく……)承知していますし、私が批難されるだけで済むのであれば置いておく意義はあると考えました。
説明は以上となります。どうぞよろしくお願いいたします。

お詫び

2016年10月29日 | Weblog

3日前に、ツイッター(@gotogen)に上のように書きました。いくつかのツイートというのは、三浦弘行九段の出場停止処分が発表されてからの一部のツイートのことです。
将棋にかかわる誰もが不安な状況のなかで曖昧な言い回しをしてしまい、多くの人により大きく、強い不安を与えてしまったこと。これは私の配慮不足によるところです。想像力が欠如していました。
また、書いてもよいこと。書かないほうがよいことのへの判断、認識も甘かったと思います。立場上知り得たことや感じたことのごく一部、書いても問題ないだろうと判断したことが、敏感になっている人たちに強い刺激を与えてしまいました。深く反省しています。
下はツイートの一例です。


まず「かなり前」や「だいたい」という言葉の選び方がまずかったと思います。どちらも多めに見積もる言葉ですので、いらぬ憶測をさせてしまう原因になりました。

「はっきりと疑念や不満を言って感情を露にする棋士、それを諌める棋士、何も口にせず眉をひそめる棋士」は、疑念を言う棋士と諌める棋士が対比。何も口にしない棋士が中間ということでバランスをとったつもりでしたが、「諌める」という言葉が弱かったようで、きちんとした対比と受け取られなかったようです。

「その誰もが」は「何人か集まれば」にかかっており、その場その場にいる棋士という意図です。しかし棋士全体と受け取った方が多かったようで、これも誤解を招く書き方でした。

「言いようのない不安と戦っているように感じられました」の部分は、私がそういった様子を見てきて感じたことです。感想、主観なので書いてもいい範囲だろうと考えたのですが、これも認識が甘かったのだと思います。
また、当事者以外の棋士および関係者の個人名を書かなかった(正確には、「書くつもりはなかった」です。今後も出来るだけ避けるつもりでいます)ので、情報を欲する人にとっては曖昧な書き方になってしまいました。

また私は文章を書くときに「読む人によって多角的に見える、感じられる。読む人に解釈を任せる」ということを重視しており、これは表現ということでいえば悪ではないと思っています。しかし書く場所によっては、きちんとひとつの意図で伝わるようにしなければいけません。いくつかのツイートは、誰もが敏感になっている時期においては、TPOにそぐわないものでした。一部を切り取って拡散されやすいツイッターに書いたことも、よくなかったです。
それぞれのツイートについては私なりの意図を説明できると思いますが、ここでは割愛させてください。個別に尋ねていただけたら、できる範囲で対応します。

本ツイートは、今回の不正疑惑問題が突然降って湧いた話ではなかったということを、私が見てきたことや感じ方として伝えることが自分の意図でした。
もちろん棋界での立ち位置はそれぞれですので、まったく知らなかった人や、知っても「そんなことがあるわけがない」と相手にしなかった人もいたでしょう。問題視して杞憂を抱えていた人も、まさかこういう形で表面化するとは考えていなかったと思います。私も出場停止が発表された日の午前に当事者ではない関係者から「竜王戦の挑戦者変更という話もある」と聞きましたが、そういうことにはならないだろうと、この点では楽観していました。発表があったときには皆さんと同じく驚きましたし、ショックを受けました。
不安感から取り乱してしまい、大変申し訳ありませんでした。改めてお詫び申し上げます。

長文になってしまったので、本エントリーはここまでとさせてください。
近いうちにもう一度、「ごめんなさい・ありがとう運動」の説明およびお願いのエントリーをアップする予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

取り急ぎ、目次など(将棋観戦記コレクション)

2016年08月03日 | Weblog
こんばんは。ちょっと立て込んでいまして。
神田川はどこへやら。へへへ、まあソレもいずれやります。
例のアレの見本が届きましたんでね、はいすみません。













クリックすると大きくなるかと思います。
ちくま文庫のページ
amazonのページ

640ページという重たい文庫。ポケットにはまず入りません。最初から読むもよし、あとがきから読むもよし。ゆうに1年は楽しめるのではないかと思います。
よろしければ将棋エッセイコレクション将棋自戦記コレクションもご一緒に。きっと思わぬ仕掛けを発見できるんじゃないかと思います。

神田川沿い桜歩き(1)

2016年04月15日 | Weblog
4月2日に実施した、神田川沿い桜歩きをアップしておきます。
概要は読んで字のごとし。井の頭公園から小滝橋あたりまで歩いてみた次第です。
細かいこと書くのは面倒なので、写真を中心に何回かに分けて。


(スタートの井の頭公園。まだ早いのに花見客多し)


(謎の自動販売機。これ、やべえヤツだ)


(ここから神田川。スタートします)


(だいたいこういう道です。画像が暗いのは天気のせい。それは暑さのせい)


(ゆうやけ橋。すでに橋を2つ見落としていた模様。雑か!)


(神田上水橋。このあとも神田系の橋が頻出する)


(あしはら橋。ただ歩いているだけでは暇なので、同行者3名になぞなぞを出す)


(丸山橋。なぞなぞ①=けんじろう君とこうる君は、運動会のお弁当も遠足のお弁当も学芸会のお弁当も同じものを持ってきていました。さて、どんなお弁当だったでしょうか?)


(そら来た、神田橋。なぞなぞのヒント=次のお弁当は一致しなかった)


(みずき橋。結構尺を取ったので、なぞなぞの正解は次回に)


4月3日

2016年04月07日 | Weblog
この日は将棋連盟のフットサルだったんですが、諸事情により西武ドームに行ってきました。ホームランでした。
歩数は10077歩で、これは疲労との兼ね合いを考慮したら思ったよりも少なかったです。

4月2日

2016年04月07日 | Weblog
この日の歩数は31649歩と驚異的な数字をたたき出しました。
何をしていたかというと、井の頭公園から神田川沿いを歩いて桜を愛でる(インテル)企画を実行したんです。
なかなか大きなイベントだったので、後日に写真とともに振り返りたいと思います。

4月1日

2016年04月07日 | Weblog
エイプリルフールながら、うまい嘘も思いつかず冴えない午前中。
午後は散歩しつつ中野駅方面に歩いていき、夕方からバトルロイヤル風間さん、将棋ペンクラブログの某さんと、打ち合わせと称して飲み会。
行ったお店は以前中野に住んでいたときに重宝していて、いつぞやの『渡辺明の思考』の半分はここで作られたといっても過言ではないです。
お店の名前は、うっかり繁盛して入れなくなったら困るので、いまは秘密で。
この日の歩数は12555歩。案外伸びなかった。

3月31日

2016年04月07日 | Weblog
この日は自宅作業の極み。
夕方から少し外に出て、5521歩。
なかなか捗りませんな。

3月30日

2016年04月07日 | Weblog
油断するとすぐに停滞してしまいます。
この日は8540歩。普通に仕事をして、普通に帰ってきました。
特記することがないので、きっと書こうと思わなかったんでしょう。
無理せず次へ。

3月29日

2016年03月30日 | Weblog
昼過ぎにNHK出版の将棋講座編集部に行き、NHK杯観戦記の入稿作業をボチボチと。
悩ましくも楽しいのが仕事の醍醐味ですね。
終了後は都内西部に移動して焼肉の会。もともとの名目はあったはずなんですが、いろいろあって最終的に「先輩いつもありがとうございます」の会に落ち着きました。
こんなんじゃ何言ってるかわからんですよね。最近は誰々とどうしたと書くことにも気を遣うご時勢っぽいので。そのうち渋谷系日誌で書くかなぁ。名残惜しいくらいに楽しい時間でした。

本日の歩数は11441歩。帰りは必然的にタクシーになったので、途中で降りてもう少し歩こうと思ったものの、運転手さんと話が弾んでしまってそのまま自宅周辺まで。
昔は野球、政治、宗教の話をしないというのがタクシー運転手の不文律だったはずなんですが、最近はそうでもないらしく、いろんな話を聞かせてもらいました。結構きわどいことを言うのでこちらが会話のバランスをとる感じになり、ちょっとどうかなのかなでんがなまんがなと思いつつも、本当はあちらの手のひらの上だったんでしょうね。世の中だいたいそういうもんです。


3月28日

2016年03月28日 | Weblog
本日の歩数は8227歩でした。
夕食後に散歩に行こうと思ったら急な大雨で、まあ仕方なし。
今週末は吉祥寺から神田川沿いに小滝橋あたりまで歩くという企画があるので、少しずつ慣らしているところです。
また山手線一周とかやりたいけれど、もうしんどいかも。懐かしいので再掲。

山手線一周
山手線徒歩一周余話(1)
山手線徒歩一周余話(2)

これから軽くエアロバイクをこいで寝ます。

3月27日

2016年03月28日 | Weblog
日中は渡辺竜王が出演している桃鉄を見ながら、競馬と原稿をやったりやらなかったり。
高松宮記念はアルビアーノを軽視してハズレ。さすがに1~3人気順の馬券を買う才覚はありません。
夕方から神田川沿いを散歩。4月に入ったら桜祭りみたいなものがあるみたいですね。
歩数は10912歩。万歩計にツヤが出てきた気がします。

3月26日

2016年03月28日 | Weblog
夕方からフットサルに参加。男性棋士がだいたい7、8人。女流棋士が3、4人くらい来ていて、にぎやかでした。
この日の歩数は16886歩。もちろんフットサルの最中は外してますよ。
万歩を達成したので、爆発は免れた模様。

3月25日

2016年03月28日 | Weblog
夕方に家を出て、電車と徒歩を駆使して某下町へ。
ここのところ『戦うホルモン』なるグミ(?)を探してコンビニをめぐるのが趣味なので、自然に店の陳列(グミの位置)に詳しくなる。
イメージとしてはひっそり慎ましいところにあると思っていたんですが、けっこう点を取れそうなポジショニングなんですね。

『戦うホルモン』は前に一回買ったことがあって、でもそれは「ネタ的に面白いから、あいつに食わせてゲラゲラ笑おう」というおふざけで、開封せずに友人にあげてしまったんです。
後日に能天気に「わりとうまかった」みたいなことを言われて、ほんとかよと。それで探してるという流れ。

夜は春で異動される方を囲む会。4人でこぢんまりと、とても楽しかったです。
この日の歩数は9721歩。そろそろ万歩歩かないと爆発するかもしれない。