自由人

 己を『”親も無し、妻無し、子無し”職も無し、ローンもなければストレスもなし』と詠んで、六無斎清々を僭称。

六月雑感

2017年06月14日 14時59分16秒 | コラム

 梅雨の季節なのに、”水無月”とは皮肉屋らしい命名ですね、、、。もっとも瑞穂の国にとって、この季節がないと困ります。散歩の途中で、よく耕されて田植えも完了し、一日一日とみどりが増す田畝を眺めたれるのはほっと出来る一瞬である。農薬を多く使用するようになり、今の時期に田畝を舞い続けた蛍が見られなくなったのは寂しいことであるが、山間の沢水で稲作を続けている地域では、夏は夜が良いと述べた清少納言の”蛍の飛びちがいたるいとおかし”を時代を超えて体験できる。日中の散歩を止めてこの時期は夜の散歩に切り替えているが、”蛍祭り”等のイベントでの人混みの中の鑑賞ではなく、一人で鑑賞する贅沢は何物にも代えられない楽しみである。

 ファスティング(断食療法)の効果を試してみるために、イスラム教徒のラマダーンに合わせて、断食するのも良いのかもしれない。片や肥満で苦しみ、ダイエットもままならない人がいる一方、飢えに苦しむ人が存在するこの地球、金儲けのためだったら、人を不幸にすることに鈍感な人間、人間の醜さを制御する方法を考えたのが宗教家という人たちだろう、、、。”宗論はどちらが負けても釈迦の恥”と言うように、仏教では宗派の争いは目立ったものは存在しなかった。キリスト教では、人間キリストは別にして、新教と旧教では殺し合い、宗教戦争もあった。イスラム教でも、スンニ派、シーア派は相容れない抗争を重ねている。一神教を教義とする、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教には寛容の心がないのであろうか、、、、。

 イスラム教世界とキリスト教世界の対立抗争だった、200年にわたる”十字軍”、キリスト教成立から1000年以上たって、ローマ時代に国教となり、その最高権力者となったローマ法王の命令により発動された戦争である。エルサレムは一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であり、一生の内、その聖地に巡礼することがそれぞれの教徒の義務となされている。人間は神が作り、その神の教えを守らなかった為、追放されたアダムとイブの子孫であるとし、現在を背負って生きていく人間は、この世では苦しむのは当然、勤勉に働き、聖地を参拝すれば元の天国に生まれ変わることが出来る。それ故に死に当たってすべての財産は教会に寄進することがキリスト教徒の義務であると説いた。”金が集まるところには腐敗が生じる”のは人間界の真理である。教会の腐敗は当然のこととなる。その総締めのローマ教会も腐敗からは免れない。キリスト教の聖地、エルサレムを占領支配したのは、イスラム教を引き継いだトルコ民族(セルジュックトルコ)である。巡礼するキリスト教徒には、税金を納めさえすれば巡礼を認めたのだが、その分巡礼を終えた後の寄進が少なくなる。それ故に”聖地エルサレムを異教徒(悪魔と同一視)から取り戻せ”となったのが十字軍である。

 同じ過ち、イスラム世界とキリスト世界の対立抗争はやってはいけない。

 

 

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