高貴な謙遜

2019-01-04 | 和解論
神は、イエス・キリストにおいて、人間を承認しその存在と状態に対して責任を引き受け給う。神に背く存在の悪しき世界へと赴き給う。盗賊に襲われた人の傍らを通り過ぎない。放置しない。彼の状況をご自分のものとされる。神は、高貴な尊厳さの中にありながら、謙遜。それが僕の姿における神。異教に赴く神の子の道。僕の姿における神が真の主、和解をもたらす方。

やさしく
イエス・キリストは、わたしたちの傷、弱さをすべてご自分のものとしてくださることによって、わたしたちを父なる神と和解させてくださいました。人間にできないのはこの謙遜、僕として仕えること。

神の子の従順 異郷に赴く神の子の道

2018-12-27 | 和解論
神が人と和解されたのは、人間の歴史の中で起こったことである。人間の存在の第一の、最も深い前提がこの神との和解である。人間の存在は、神との和解の中に基礎づけられ、そこに包まれている。それによって、真理への認識が生まれ、責任ある生き方が決定されていく。

やさしく
神さまは、わたしたちの罪をおゆるしくださり、わたしたちを喜んで受け入れてくださいました。それによってわたしたちは、生きている意味を知り、人々と共に喜んで生きていくことができるのです。