禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

仏教とはなにか?

2016-11-11 15:11:23 | 哲学

先日ある方から私のブログについて、「これは仏教なのかなと疑問に感じました」という指摘をいただきました。そのような感想を持たれるのはある意味当然ではないかと思います。ちょっといい訳をしておきますと、ブログのサブタイトルで「禅的哲学は哲学であって禅ではない。」と断ってありますから、たとえ「これは仏教ではない」と断じられたところで、私にとってはどうということはないのですが、自分としては仏教について論じているつもりでもあるので、その辺を少し説明しておきたいと思います。

あえて哲学的な視点から、仏教とは何かと聞かれたら、迷わず「空観である」と答えます。その他のことは枝葉末節であると思います。空観によってこの世界を見つめなおし、その奇蹟性を認識すれば、あらためてこの世界を畏敬し慈しむ感性が湧いてくる。それが仏教の倫理性の源泉となります。(あくまで私個人の理解です。)

以上のことは言葉にすれば非常に単純ですが、実際は分かりにくい。「色即是空」などと言われても、それなりの訓練のない人には通じないわけで、そのような抽象的な言い回しをしなくとも、目的の境地に導くためにいろいろな方便が積み重ねてこられました。その結果、四万八千の法門と言われるように膨大な教説が生まれてしまったわけです。

キリスト教のような一神教ですと、教理を一貫した体系とするために、先鋭な信念対立が起こり、時には宗教戦争にまでなることがあります。しかし、仏教の原理はもともと「一切皆空」ですから、断定的なイデオロギーは成立しません。ことの是非も善悪もすべて相対的なものであるからには、自分の正義を一方的に言い募ることはできないのです。「法論はどちらが負けても釈迦の恥」という言葉がありますが、このような事情が背景にあるのだと考えれば納得がいきます。ですから、明らかに矛盾しあう教理であっても仏教内部では深刻な対立にはなりにくく、まったく別様な宗派が併存するというような現状になっているのでしょう。ですから、おそらく仏教経典どうしを突き合せれば、その中には理論的な矛盾が沢山あるはずだと思います。

なので、自分が仏教とどのような接点を持ったかで、仏教がなんであるかということも人によって大きく違って当然であると思います。

ここからは私の個人的な見解ですが、日本に伝わった仏教はあまりに多くの人々の手を経ているため、明らかに本来の仏教とは無縁の言説が含まれているように思えます。例えば、地獄・極楽とか六道輪廻などという、明らかに作り話であると思えるような概念が数多くあります。それらは手っ取り早く倫理観を植え付けるためというより、人々を恐怖によって宗教に縛り付けようとする方便では無かったでしょうか。釈尊は超越的な概念や、形而上の議論を好まなかった人であります。教育の行きわたった現代人が受け入れがたい迷信の類はもはや排除するべきではないかと思うのです。

超越概念を排除した素朴な仏教は、現代人が抵抗なく受け入れることのできる唯一の宗教である、と私は思うのですが、どうでしょうか。

大徳寺高桐院 (京都)

コメント (8)    この記事についてブログを書く
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8 コメント

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Unknown (外れ者)
2016-11-12 04:59:23
仏教が何かと問いかけておいて、自らの見解にポイントが外れている。
仏教を歴史的な観点からみてそれが答えになったと思ったら、哲学に素人だという看板に逃げ込むのではなかろうか?
 (御坊哲)
2016-11-12 13:59:45
>外れ者さん
ブログで自らの見解を披露する。それのいったい何が問題なのでしょうか?
Unknown (外れ者)
2016-11-13 02:14:34
>御坊哲さん
自らの問いに対して、自らの見解を透明にし、読者にクリアなイメージを与える、そこが上手くなされていないのが問題!!
具体的にお願いします。 (御坊哲)
2016-11-14 07:57:52
矛盾点や事実と違うことを私が述べているのであれば、もっと具体的にご指摘ください。見解の相違であれば、ご自分の意見を述べた上でご指摘ください。
文章の拙さについては自覚していますが、ご容赦願います。
Unknown (外れ者)
2016-11-17 05:50:22
『超越概念を排除した素朴な仏教は、現代人が抵抗なく受け入れることのできる唯一の宗教である、と私は思う。』
1、超越概念は何なのか。
2、どうやって排除できるのか。
3、素朴と視点はどこに基準するのか。
4、抵抗が無いというのは認知過程の方法論なのか。
5、唯一の宗教になりえる根拠は何なのか。

攻撃的な意図はありませんが、
『仏教が何なのか』という
巨大な問いに答えを見つけるかもという
期待感から読んで、
少し曖昧だったため、
切口のつもりで強め目に書きました。
少なくても私が感情的になれたのは、
書き手の説得力???
Unknown (Unknown)
2016-11-17 05:54:09
訂正
3、素朴さの視点とその基準点
外れ者さんへ (御坊哲)
2016-11-17 20:34:41
近日中に新記事「仏教とはなにか?(その2)」でお答えします。
はい! (外れ者)
2016-11-18 03:55:26
返事ありがとうございます。
お待ちしております。

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