禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

無分別智

2017-03-13 10:40:28 | 哲学

今ではそんなことはもうないだろうが、金髪碧眼という言葉が外国人(と言っても白人だけだが)の代名詞だった。それで白人を見ると、栗毛であろうと茶髪であろうと、黒髪より薄い色で茶色がかっていれば、それをみな「金髪」と呼ぶ人が日本には少なからずいた。欧米人の髪の色のバリエーションは非常に多くて、レッド、ブラウン、ブルネット、ブロンドなどと多彩に呼び分けされている。ところが、日本人の髪の色はほとんど黒一色なので、髪の色を細分化する発想が無かったのである。 

ペルシャ人やアラブ人は日本人の目から見れば白人にしか見えないが、欧米の基準によると非白人になるらしい。欧米人にとっては、白人というのはヨーロッパ出自の白人に限られる。決して人類学的な意味における分類ではない。

かつて南アフリカでは公的な人種差別であるアパルトヘイト制度が存在した。その時、重要な貿易相手国であった日本人は(全然名誉なことではないが)名誉白人とされた。 

つまり、分類というものは分類する側の関心や価値観による恣意的な視点から行われる。仏教における無分別智はこのような偏見を排除するということで、それは空観に基づいている。

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