毎日のできごとの反省

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日本の軍隊はクーデターを起こさない

2017-05-28 16:34:19 | 軍事

 倉山満氏が言うように(*のP268)今の自衛隊は「すごい武器を持った警察」である。「法体系が、自力で動いてよい軍隊のものではなく、政府の命令がなければ何もできない警察と同じだからです。いわゆるネガティブリスト(禁止事項列挙方式)ではなく、ポジティブリスト(許可事項列挙方式)になるという問題です。これなどは憲法を変える前に整備しておくべき問題です。」

 要するに、世界中の軍隊はネガティブリスト方式で運用されているのに、自衛隊だけが警察と同じく、ポジティブリスト方式で運用される法体系となっているから、軍隊らしい強力な装備をいくら持とうと、法的には軍隊ではない、ということである。自衛隊は憲法違反だという論者は珍しくないのだが、そもそも軍隊ではないのだから、自衛隊は憲法違反ではない、という論理的帰結になる。

 ポジティブリストで縛っているのは、自衛隊を軍隊にしたくない、という反戦論者の深謀遠慮などではなく、警察予備隊から発展した、という歴史的経過があったのに過ぎない。自衛隊は禁止されていない事なら何でもやっていい、という軍隊並みになったとして生ずる最大の危険性はクーデターである。発展途上国にしばしば、クーデターが起こるのは、軍隊のこの性格によるものである。

 だが、自衛隊が軍隊とされないのは、残念ながらそんな配慮によるものではない。結局クーデターが起らないようにするためには、厳しい軍律が守られることと、政治の軍隊に対する優越が必要である。それは政治家の権力が上位にある、ということだけでは済まされない。政治家の軍事的判断能力が優れている、という前提が必要である。

 戦前の日本では、五一五事件や、二二六事件など、クーデターもどきが起きたり計画されたりしたが、結局はクーデターは起きなかった。二二六ですら、天皇の君側の奸を取り除く、ということでしかなく、現在も某国で起きているような、反乱の首謀者自身が軍事政権を握る、ということすら計画にはなかった。それでも、内閣の機能不全は、昭和天皇の反乱軍討伐命令、によって解決された。ぎりぎりのところで、政治が軍事を統制したのである。

 戦前は軍部独裁になってしまった、と言われるが、そうではなかったのである。前述のクーデターもどきの事件の例は、現在の世界の水準からみても、日本の軍隊は抑制的であった、というのが実態である。なるほど軍による倒閣はあった。ところが「自分たちが組閣すると衆議院が反発するので、もっと早く総辞職に追い込まれます。(*のP175)」

 もっとも、満洲事変のように、政治が軍事を統制することができない事件も起きた。しかし、関東軍に満洲の権益と在満の居留民を守れという任務を政治が与えておきながら、漢人の暴虐が質量ともに膨大となっても、政治は関東軍に自制せよ、というだけで解決策を示さなかった。

 だから関東軍は自助努力をせざるを得ない立場に追い込まれた。朝鮮軍の林銑十郎は支援のため、軍規違反である越境をした。まさに統制に服さなかったのである。ところが、事変を歓迎するマスコミや世論に押されて、政府は軍規違反を追認した。どちらにしても、自衛隊が本当の軍隊となっても、戦前並の軍律意識があれば、自衛隊がクーデターを起こさない、ということは歴史が証明している。

 倉山氏が言う如く、自衛隊を軍隊とする、ということは、単に自衛隊を国防軍という名称変更をし、憲法に国防軍を認める条文を入れる、という事だけでは済まない問題である。それでも集団的自衛権を認めるか否か、という既に実行済みの問題を認めることですら、大騒ぎになったのである。

 現に、日本国憲法が施行された以後の、朝鮮戦争やベトナム戦争で米軍基地を提供することで、集団自衛権は何度も行使されていたのである。戦争中の国に基地を提供するのは、戦時国際法の中立違反、すなわち戦争に参加していることを意味する。たまたま日本が直接攻撃を受けなかったのは、北朝鮮にも北ベトナムにもその能力がなかったのに過ぎない。当時、北朝鮮にも北ベトナムにも、日本を攻撃する国際法上の権利はあったのである。

それどころか憲法九条のおかげで日本は戦争をせずに済んだ、というのも大嘘だということも付言する。朝鮮戦争で米軍の上陸阻止のために撒かれた機雷を、日本の掃海部隊が派遣されて掃海し、戦死者一名の犠牲が出ている。機雷敷設は戦闘行為であるのはもちろん、それを除去する掃海も、戦闘行為である。憲法九条がありながら、日本は戦争していたのである。

 

*日本国憲法を改正できない8つの理由・倉山満・PHP文庫


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