毎日のできごとの反省

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書評・アメリカ・インディアン悲史

2013-07-06 13:06:12 | Weblog

藤永茂著・朝日選書

 この本は有名なソンミの虐殺で始まる。それは「ソンミは、アメリカの歴史における、孤立した特異点では決してない。動かし難い伝統の延長線上に、それはある。」(P12)として「アメリカ史上はじめての汚い戦争のぎせい者である」という当時の多くの米国民の一般的な声を否定する。米軍は歴史的に民衆を虐殺するような非人道的な体質を持つ軍隊であると言うことを言いながら、著者の姿勢で不可解なのは、それならば米軍が対日戦でも同様な行為をしたはずであるということを考えもしないで、人道的な米軍と非人道的な日本軍ということを疑いもしないことである。

 この本は確実な証拠はない(P257)、としながらも多くの文献から米国が「西部開拓」に行ったインディアンに対する卑劣で残虐な行為を示し米国の歴史の暗黒面を示している貴重な本である。問題は現在もインディアンに対する迫害は続いている。迫害されないインディアンとは名誉白人としてアングロサクソンに同化した人たちである。もし迫害が終わったとすれば、居留区が崩壊し、インディアンのアイデンティティーを持つものがいなくなっているからである。すなわち民族絶滅が完了したのである。本書によれば「現在、北米インディアンの大半は、各地に指定された保留地区に住んでいる。・・・アメリカではインディアン・リザーベーションとよび、一般に都市の黒人貧民街よりも、一段と悲惨な状態にある。しかし、不毛の荒地に位して、人の目につかない場合が多い。(P74)

 アメリカに入植した白人は「インディアンが、とうもろこしや、七面鳥をたずさえて来て白人たちの空腹をいやした時、白人たちはそこに神の恩寵のみを見た。やがて、邪魔者と化したインディアンの、効率よい虐殺に成功するたびに、彼らはそこに再び神の加護を見出し、あるいは、頑迷な異教徒を多数殺戮することによって、彼等の神への奉仕をなし得たとすら考えた。」(P36)これはアメリカの異民族征服や西部開拓を正統化するマニフェストデスティニー、すなわち明白なる使命と呼ばれるものである。

 マニフェストデスティニーはインディアンから大陸を奪ったのにとどまらない。メキシコを騙して広大なニューメキシコ州を奪ったとき、スペインを挑発してフィリピン人を騙してフィリピンを奪った時も使われた。対日戦のみならず卑劣な民間人の大量殺戮の本土空襲さえ正統化することができる。著者と違い私は嫌米反米ではない。米国にはこのような暗黒面もあるという事実を認識する必要があると思うだけである。長い闘争の歴史で丸くなったヨーロッパにしても、アメリカ人と同じような暗黒面を持つことを知らなければならない。

 独立を約束してスペインと闘わせながら、米西戦争後フィリピンを得たアメリカは、マッカーサーは以下の将軍が「一〇歳以上すべて殺すこと」(P246)を命令した。当時のフィラデルフィアの新聞の一面の現地報告の一部には「アメリカ軍は犬畜生とあまり変わらぬと考えられるフィリピン人の一〇歳以上の男、女、子供、囚人、捕虜、・・・をすべて殺している。手をあげて投降してきたゲリラ達も、一時間後には橋の上に立たされて銃殺され、下の水におちて流れて行く・・・」(P246)。この新聞記事は残虐行為を非難するのではなく、正当化するために書いたと言うのだから、正に「マニフェストデスティニー」を確信していたのである。

 黒人奴隷の扱いについても「アメリカ人が黒人奴隷制度の下で犯した非人道行為は気の遠くなるような規模のものである。ナチによる三〇〇万人のユダヤ人虐殺もその前に色あせる。・・・アフリカからアメリカに向かう奴隷船に全く貨物同然につめこまれた黒人たちが暑気と窒息のために死んだ数は一〇〇〇万と推定されている。」(P248)という。別な本で、黒人は魚を運搬するように詰め込まれ、運んだ人数の半数が死んだと言うことを読んだ。黒人は人間ではなかったし、高率で死んだとしても、ゆったりとしたまともな状態で運ぶよりコストパーフォーマンスがよかったのだ。

平成二十五年「奴隷解放」で有名なリンカーンの映画が上映された。奴隷解放を讃えているのだ。そのことが善であるにしても、その前に言語を絶する規模の非人道的行為が国家の常識として行われていたことが問題にされず、廃止した人の功績だけが異常に讃えられていることは普通ではない。連続殺人犯をある警官が逮捕した事件で、連続殺人犯の罪が不問に付され、警官の功績だけが讃えられている、と言ったら分かりやすいだろう。それもアメリカの奴隷の場合は、連続殺人犯は一人の異常者ではなく、連続殺人の犯罪にはには政府も国民もが参加していたというのだから。慰安婦を「性奴隷」と簡単に言う米国人は、奴隷があるのが当然だから、それになぞらえたのである。その上、奴隷解放を美点として、奴隷を使ったことに良心の呵責があるから、ことさらに批難して見せるのだ。そもそもリンカーンですら黒人奴隷を所有していたのだ。

 白人は土地の所有についてインディアンと協定し、ことごとく裏切って土地を全て奪った。「・・・条約、協定は、三〇〇を超えたが、そのほとんどすべてが、白人側から一方的に破られた。・・・この事実の証拠隠滅をほとんど企てなかったアメリカの白人達の天真らんまんさを、たたえるべきであろうか。」(P42)アメリカ人の狡猾さはハワイ王国を乗っ取った時にも発揮されたのは明白である。

 「涙のふみわけ道」(Trail of Tears)とはチェロキー・ネイションの強制移住である。単に白人達に邪魔だと言うだけで、着の身着のままで1300kmも移動させられ、死者は四千人、四人に一人が死に、死者を出さなかった家族はいなかった(P208)。単に移動だけではない強姦殺戮も行われたのである。しかし大統領はインディアンの了解にもとづいて行われて幸福な結果をもたらした(208)と国会に報告するほどの恥知らずである。アメリカ人はありもしない「パターン死の行進」を日本軍の残虐行為をでっちあげているが、その米人ですら、「涙のふみわけ道」にくらべりゃ、パターンの死の行進なんざそんじょそこらのピクニックみてえなもんだ(P152)と評したのだ。要するに「バターン死の行進」とは自分たちの行為を日本人に投影して発明した嘘である。嘘をつく人間は自分がしそうな悪事を人がやったと言うのだ。

 ニューヨーク州のダム建設で、ワシントンが条約で保護を約束した土地の強制立ち退きを拒否して最高裁にまで行ったとき、当時のケネディ大統領は立ち退き判決に黙っていた、つまり黙認した。ケネディ神話は黒人にも信じるものがいるが、インディアンにとってははじめから落ちた偶像であった(P92)と書く。インディアンの迫害は、過ぎた昔話ではない。昔話になるとすれば、インディアンが絶滅する時である。

 インディアンが頭の皮を剥ぐ、と西部劇ではいう。だがこれは白人が始めた行為である。「・・・スカルプとは、動詞としては、頭髪のついた頭皮の一部をはぎ取ることを意味し、名詞としては、ボディ・カウント用の軽便確実な証拠としてのその頭皮・・・」(P13)だそうである。本書のどこかに、インディアン同士を争わせて褒美を与えるとき、殺人の証拠として白人がインディアンに他部族の頭皮を要求したことから、インディアンの頭皮狩りが始まったとあった記憶があるが頁を失念した。

アメリカ人の残虐行為は対日戦での残虐行為に類似したものがみられる。「・・・累々たるインディアンの死体に殺到した。ホワイト・アンテロープのなきがらを、彼等はあらそって切りきざんだ。スカルプはもちろん、耳、花、指も切りとられた。睾丸部を切り取った兵士は、煙草入れにするのだと叫んだ。それらの行為は女、子供にも及んだ。女陰を切取って帽子につける者もいた。・・・死体の山からはい出た三歳くらいの童子は、たちまち射撃の腕前をきそう、好個の標的となった。・・・インディアンの総数は約七〇〇、そのうち二〇〇人が戦闘員たり得る男子であり、他は老人、婦女子、幼児であった。その六、七割が惨殺されたのである。デンバー市民は、兵士達を英雄として歓呼のうちにむかえ、兵士たちはそれぞれ持ちかえったトロフィーを誇示した。」(P14)

トロフィーとは切り刻んだ死体のことだから、市民は残虐行為を知った上で英雄扱いしたのだ。死体を切り刻むというのは以前書評で紹介した「我ら降伏せず」という本で米兵が行った行為と同じである。さきの本を読んだ時、わさわざそんなことをするのかと不可解に思ったが、ルーツはあったのである。

細菌戦のルーツもある。「また英軍側は・・・司令官アムハーストはフォート・ピッツの病院から天然痘菌を得て、これを布地、毛布につけ、インディアン達に配布して、その大量抹殺を試みた。おそらく、細菌戦術実施の最初であろう。」(P96)西洋人は合理的なのである。

白人の名誉のためにひとつだけエピソードを取り上げる。セミノール戦争と呼ばれる戦いで、セミノール・インディアンの頭目として闘ったオセオーラである。父はスコットランド人であるとされ、「・・・彼が混血であったという確かな証拠はない。たとえそうであったにしてもオセオーラ自身はそれを言葉激しく否定した。(P222)」東京裁判の日本側弁護士となったアメリカ人は、祖国に抵抗し信念を以て被告を弁護した。オセオーラもその類の人物である。結局は騙されて捕まり病死した。しかし軍医が首を切って記念品として自宅の壁にかけた、(P234)というのだ。まさに鹿などの動物の剥製の首を展示する感覚なのだ。混血であろうとなかろうと、インディアンに味方した白人はインディアンなのである。

 最後に筆者の偏見と幻想について一言する。アメリカ建国について「ここには、サバタも、ホー・チ・ミンも、毛沢東いなかった・・・(P95)」という。ワシントン率いるアメリカ人のインディアン迫害を非難しながら、自国民を大量に殺戮し、飢餓に追い込んだ毛沢東、反ベトコンの村のベトナム人を見せしめに容赦なく殺害する戦法を命令したホー・チ・ミンを人道主義者のように言う無知は皮肉である。毛の犯罪を告発する本は何冊も支那人によって書かれている。ホー・チ・ミンを告発する本が一冊もベトナム人によって書かれていないのは不可解である。恐らくは、毛は支那人同士の殺し合いである内戦で勝利したのに過ぎないのに対し、ホー・チ・ミンはソ連や中共の支援を受けたとはいえ、フランスや米国と言った外国勢力と戦って勝ったのは事実だからであろう。

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