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零戦の優秀性はパイロットの技量による

2017-05-17 15:13:55 | 軍事技術

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 零戦の優秀性は、現代の日本国内では伝説化している様相がある。渡部昇一氏らの著書でも、零戦を日本刀に例えるなどして、優秀性を讃えている著述は多い。世界に残っている旧日本軍機の中でも数が多いだけあって、飛行可能な機体も複数あり、写真集も多く出版されていて人気も高い。

 零戦は優秀ではなかった、とは言わないが、そこまで特筆して語る価値はなく、強いていえば、当時の日本の軍事航空技術の水準の象徴である、というのが正確ではなかろうか。堀越技師自身、米側からの事情聴取に、正直に欧米機の模倣もあると答えているそうである。当時の日本の技術水準全体からから言えば、不思議な話でも、隠すべき話でもない。

 戦後の日本の航空技術者で最も実機設計経験が多い、鳥飼鶴雄氏は、戦前の航空技術の水準について、最も得意であったと言われている空気力学についてさえ、最先端分野では欧米の技術には劣っていたと言わざるを得ない、という意味のことを書いている。その通りであろう。当時欧米では既に遷音速領域での現象に直面していたのである。

他方、零戦に対する米軍や他の連合国のパイロットの評価は、多くが陸軍の隼と混同されている。大戦初期の空冷エンジン装備の単発単座の日本戦闘機、特に隼の多くが識別の困難さから、零戦として記録されている場合がある。米軍パイロットの高い評価の中には、隼も入っている可能性が大きいのである。

 旧海軍の奥宮正武氏などは、大東亜戦争では陸軍機は全く役に立たなかったごとき酷評をしているが、実態を反映していない偏見と言わざるを得ない。確かに洋上航法の訓練のなされていない、陸軍機パイロットは洋上戦闘では、足手まといの面があったにしても、大東亜戦争全般での評価としては妥当ではない。

 梅本弘氏は「ビルマ航空戦」で、連合国側の記録との照合によって、陸軍機の意外な敢闘を証明していることを立証している。結論から言えば、大東亜戦争初期の零戦を代表とする日本機の活躍は、多くがパイロットの練度の高さによる。日本陸海軍は大東亜戦争開戦時、既に支那事変で航空戦を経験していた。

 加藤建夫、坂井三郎、岩本徹三の大東亜戦争で活躍した、陸海軍の高名な三人のパイロットは、全て支那事変で空戦を経験している。岩本は零戦を使っての、高空からの一撃離脱戦法を常用しているが、これは本人の性格によるところが大だろうが、支那事変で複葉戦闘機と戦った体験による影響もあるものと想像する。戦闘機ばかりではなく、攻撃機や爆撃機の搭乗員も同様に支那事変で経験を積んだ。

 一方の連合国のうち、対日戦の主力だった米軍は、義勇軍(!?)と称して少数のパイロットが参加していただけだった。大東亜戦争初期の、米軍の魚雷に不良品と思われる故障が多かったのも、実戦経験のブランクによるものであろう。

このパイロットの実戦経験の差が、零戦に象徴される日本軍戦闘機の優秀性として現れていたのだった。ちなみに隼はかなり初期から防弾装備をしていて、他の陸軍機も同様で、防弾装備については、海軍機の方がかなり遅れていたことは、米海軍の報告書「日本の航空機」(雑誌「丸」に連載)によっても明らかである。

また、ミッドウェー海戦で、零戦は米雷撃機を次々と撃墜して、防空の任をよく果している。しかし、これは必ずしも米艦戦より、零戦が優れていた証明にはならない。大戦後半の米海軍と異なり、当時は攻撃隊における艦戦と艦爆、雷撃機などとの連携がうまくいっておらず、零戦に手もなく撃墜された雷撃機は、艦戦の援護がなく、裸同然で突っ込んでいたのは、記録を読めばすぐ分かる。むしろ、援護なしに日本艦隊に突撃していった雷撃機や艦爆の敢闘精神には脱帽する。

逆に米艦戦の援護があった攻撃隊の被撃墜率は、ぐんと下がり米艦戦は援護の任務を十分に果たしている。ミッドウェーの艦隊防空戦での零戦の活躍は、パイロットの優秀さもあるが、それ以上に米軍の連携の悪さもあったのである。

 大戦後半になると、米軍技術陣は防弾不足による抗堪性の劣る零戦より、隼の評価の方が高くなっていた、とさえ言われる。かつては、難しい空戦技術が必要のない米軍機に比べ、難しい技術を必要とする旋回戦闘を主とした日本軍戦闘機は、大戦後半になると性能差もあって、負けていった、と書籍に書かれていたものが多かったが、そんな単純なものではない。

 マクロにいえば、大戦後半では緒戦とは逆に、日米間のパイロットの飛行時間に大きな差が出てきた、というだけである。現に生き残った日本のベテランパイロットは、性能差が大きかったと言われる米軍機に対しても、良く闘っている。それどころか昔、旧日本軍機の設計技術者から「P-51の高性能は、何でも世界一を自慢したかった当時の、米国の国をあげての宣伝によるものだ」と直接聞いたことがある。

 類似性能のエンジンを搭載した戦闘機の総合的能力は、よほど設計のまずさがない限り、格段の差が出るものではない。零戦とF4Fについてもこのことが言える。P-51は1400hpクラスのエンジンで、700km/hを超える最大速度を出していることになっているが、これは、1400hpで出した性能ではなく、短時間の戦闘出力と、燃料等の搭載量を減じたテストによるとしか考えられない。

日本の陸海軍のほうが、その点は実戦を想定した厳しいものであったと考えられる。輸入機を試験すると必ずカタログデータを下回る性能しか出なかったことが、それを証明している。実際問題として、元々オーバーホール間隔(すなわち耐用時間)が300時間程度もなかった当時の軍用エンジンで、短時間の戦闘出力を使う、というのは非現実的な話ではないが。

 不思議なことに、あれだけ速度性能差があるはずのP-47が、低空では隼より低速であったことは、米軍パイロットも認めている(世界の傑作機No.65)。P-51やP-47が低空で隼などに撃墜されている例について、遠距離を進出してきたために、帰投の燃料を節約して速度を落としていたので追いつかれた、と説明する向きがあるが、撃墜されてしまっては本も子もない。要するに実際に劣っていたのである。

 また、戦闘機は最大速度で空戦するわけではないから、必ずしも最大速度の差が単純に優劣を決めるわけではない。現にF-14とF/A-18は最大速度に大きな差がある。にもかかわらず、F-14が早々とリタイヤして、F/A-18に置き換えられた理由は周知の通りである。いくら電子化により自動化されている現代戦闘機でも、パイロットの技量は空中戦勝利の必要最低限の条件である。もちろん第二次大戦機と現代の戦闘機に求められる資質には、相違があるが。

 

 


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