こちら噂の情報局

酒のツマミになる話題をセッセセッセ。独断偏見は”味付け”です※文中の敬称は略。

大阪府の人口に匹敵する痴呆老人

2013-11-30 | 日記
2013年という年が、あと1か月を残すだけになった。
坊主も走る、といわれる師走。
町中ではクリスマスの飾りや音楽が背中を気ぜわしく押す。

我がファミリーも、御多分にもれない。
二女のお腹に孫が宿る一方、94歳の高齢の義母が病に伏せる。

2か月近く入院した義母が、2日に退院、自宅に戻る。
ベッドで座ることもできない状態だけに、身の回りの世話は大変だ。

運動が出来ていないので、血液の循環は悪くなる一方。
高齢もあるだろうが、痴呆が出始めている。
「まだらボケ」といって、正常と異常を行きつ戻りつしている。
やがて、身内の判別がつかなくなる。

2010年7月に92歳で他界した母は痴呆になった時は「天使」か、と思うほど笑顔を絶やさなかった。
義母は、点滴コードを自ら引き抜いたり、痛みどめの「注射を打て」など、看護師を罵倒するようだ。
もどかしさにイライラが募るのだろう。

どちらがいい、悪いではない。
脳の仕組みがどうなっているのだろうか。

痴呆にもタイプがある。
「私のサイフはどこへ?」
「あの人が盗んでいった」
などなど、暴力的だったり、疑心暗鬼だったり、夜中徘徊したり、とさまざま。

義母は入院するまでは頭もしっかりしていたのだが、治療を受ける中で、激変していった。
高齢者の骨折が重病につながる、というのはこういうことなのだ。

先日NHKスペシャルで、痴呆800万人と報じていた。
大阪府の人口に匹敵する恐るべき数字だ。

しかも、独居だけでなく、身内もいない(見捨てられた)痴呆老人が、全国に散らばっている。
ゴミ屋敷だったっり、介護サービスを拒否したりして、社会問題化している。
社会問題とは、痴呆老人の一人住まいによって、火の用心を無視できない。

その点からいうと、義母は幸せかもしれない。
何とかしようという家族がいるわけだから。

といっても、介護する子供たち(家人の兄姉)も60を超えている「老々介護」なのだ。

主夫レノンもどき(2)

2013-11-28 | 日記

会社をリタイアしたので、主夫が出来る。
我が家には犬(トイプードル2匹)がいる。
メス2匹。

両手に花には、違いない。
可愛くて癒される。
だが、これが手にかかる。
二律背反。



主夫の暮らしはこうだ。

朝は早く起きる。
窓をすべて開ける。
淀んだ空気を入れ替えるためだ。

犬たちを起こして、排泄させる。
金魚に餌をやる。

ゴミだし。

その間にお犬様のご朝食を出す。
この二人(いや2匹)仲が悪い。
夫婦を反映しているのか?

食器は二つに分ける。

で、それをやりながら吾輩のコーヒーを入れ、食パンを焼きブレクファースト。
朝のワイドショーを見ながら、お犬様そして吾輩が食事を終えると、ワンワンキャンキャン吠える。

「じゃかーしいわい!」と言ってみても始まらない。
散歩の催促だ。

なんで、お犬様はこんなに散歩が好きなのか?
同じ所を回っても、他人様(いや他犬様)の小便を飽きもせず、嗅ぎまわる。
そして、排泄。

隣近所のオバサンたちが、これまた、お犬様のお散歩中。
話かけてこなくても・・・と思っていると「あーーら、可愛い」

一通り、周遊して帰ると尻や足を洗う。
家の中で飼って「同棲」していると、これも仕方ない。

「今では、犬も高齢化が進んでいます。犬の老人ホームが」なんて、ワイドショーが映し出す。

そんなこんなで、朝が瞬く間に過ぎる。

♪IN MY LIFE♪



主夫レノンもどき(1)

2013-11-28 | 日記
元ビートルズのポール・マッカートニーの世界ツアーが先日、日本公演をした。
12月8日にはジョン・レノンが暗殺された命日がくる。
ラジオはまたまた、ビートルズの曲であふれることだろう。

レノンといえば、ビートルズ解散の遠因となった小野洋子(オノ・ヨーコ)と結婚して暮らしがガラリと変わった。
76年8月からレノンは3年間、一切の音楽活動から身をひき、息子ショーンの世話をした。
37年も前、今では流行語にさえなったイクメンのさきがけとなった。
「主夫」という言葉さえ、ここから来たように思う。


「しゅふ」と打つと主夫にパソコンがすぐ変換してくれる。
社会的に認知されているのだ。

実は今、吾輩は主夫である。

男子厨房に入るべからず、の古いタイプの昭和男なのだが、家人の母が入院したためだ。

しっかりした94歳の義母は、独り住まいを通していた。
「子供たちには世話になりたくない」
世間の多くの親たちは、そうだろう。

元気なうちは、だ。

その義母が家の中で転んだ。
たったそれだけの、ことだ。
昔のように大所帯なら、なんの問題もないが、核家族の現代社会では、これが大事件になる。

我慢していた義母の脇腹の痛みが引かず、家族が強制的に病院に連れていくと、肋骨にヒビが入っていた。



老人の骨はもろい。
10月19日に入院して、はや5週間を越える。
骨折して、寝たきりになった老人は急激に衰える。
食欲は衰える。
点滴で補充するが、運動量が不足するので、血液の循環が悪くなる。

老化した血管には致命的なのだ。
肉体的にもそうだが、環境面でも激変していく。
独り入院するだけなのだが、これがフアミリーには波紋を呼ぶ。

義母は3人(息子と二人の娘)を育ててきた。
連れ合いは、95年にすでに他界している。

以来18年間独居してきた義母の自宅は空き家になる。
もちろん、入院した病院に、すべてを任せてしまうわけには当然いかない。

身の回りの世話、留守自宅の処理もいる。
そんなわけで、家族会議が開かれた。
娘ふたりが中心になって介護することになった。

家人もそんなわけで、実家に詰めることになり、主夫になった。
家事が忙しいので、次回に続く。





猪瀬知事の次は・・・慎太郎ドキドキ

2013-11-26 | 日記
猪瀬知事と徳洲会の接着剤は石原慎太郎前都知事。

【写真左端に猪瀬副知事=2011年3月東京マラソン視察当時】

「おい、都知事選任せたぞ!その前に徳田虎雄のとこへ挨拶に行っとけ。資金ごっそり提供してくれるぞ」
猪瀬直樹を都知事後継者に指名した石原慎太郎前知事が、言ったかどうか。

これまでも、慎太郎は選挙のたびに「世話」になっていた人物の一人といわれる徳田虎雄徳洲会総帥。
2000年、石原新党の結成の動きがあった。
当時、奔走したのは、徳田虎雄だった。
慎太郎自身も「徳田さんは親友だ」と公言し、徳田は「明治維新のような改革をしたい」と慎太郎に思いを寄せた。
03年の衆院選、都知事にもかかわらず奄美群島まで徳田の応援に飛んで行った。



で、猪瀬知事。
東京都に徳洲会の新病院建設が着工される中での「5000万円借り入れ」。
「個人的に借りた」が借用書がない。
さらには窓口になった息子の徳田毅衆院議員には「1億円貸してくれと言われた」と暴露された。
選挙前に「個人的に借りた」はないだろうし、まして徳田ファミリーの事件が発覚したとたんに返して「それでチャラ」は世間に通用しない。

◆猪瀬直樹都知事「個人で借りたので僕と妻だけが知っていて、妻の貸金庫にいれて返済するつもりだったが、妻の病気、入院いろいろありまして、返済するのが9月になってしまいましたということになります」
ちなみに妻のゆり子は、今年7月21日に亡くなっている。
物言わぬ夫人の貸金庫である。



徳田ファミリーの金銭ばらまき選挙、政界への食い込みは半端ではない。
これまでも70億円をばらまいてきた、といわれる。

いわば、猪瀬資金など氷山の一角でしかない。

そもそも、徳田虎雄が政界に出てきた当時から、地元・奄美群島徳之島では「金権選挙」で騒がれていたではないか。
今回の徳田ファミリーの公選法違反事件でも、総帥は「票を買収していないから大丈夫だ」と言ってのけた。
つまり、これまでどれだけの資金をばらまいて買収していたか、だ。
はからずも、今回病院職員に日当を払って、選挙運動に駆り出したことで、二男・毅がお縄を頂戴した。

それが、なぜ、今なのか?

そのことの方に、大いに関心がある。

自民党にとっての「トゲ」日本維新の会トップの石原慎太郎らの気勢をそぐには、格好のタイミングでもある。
徳田ファミリー内紛から火薬庫が爆発、公職選挙法違反事件の発覚につながった。
検察が押収した徳洲会資料から「宝の山」がワンサカ出たであろうことは、容易に想像できる。

          ◆猪瀬都知事の弁明会見◆
-徳田毅衆院議員の事務所で5000万円を受け取った(昨年11月20日)より前に金銭の話はしたか
 「11月14日に徳田議員と会った際、選挙に金がかかるだろう、という話はした」
-金額はどちらから
 「11月19日に電話があった際に徳田議員から提起された」
-借用証は?
 「議員会館でサインした。返却後に郵送してもらい、自分の貸金庫に入れていた」
-当初はあいまいだった
 「説明が至らなかったことはおわびする。届いているはずだ、ということだけ確認して、直接目で確かめていなかった」
-無利子・無担保は疑問に思わない?
 「なるべく早く返すつもりだった。ことし1月下旬には返却を申し出た。今思えば、批判を受けても仕方ないが、当時はそこまで考えが至らなかった」








13週と5日

2013-11-24 | 日記

二女夫婦が、妊婦健診に行ってきた、と報告があった。
ただ今3か月半ということらしい。

エコー写真のDVD(こんなものを産婦人科で出しているんだ)を見せてくれたが、活発に動いている。
ちょっと前まで、形さえなかった生き物が、二女の腹の中で手足を動かしている。

まさに神秘だ。

こうして、DNAが多少なりとも、延々とつながっていくことの不思議さ。
「ここは心臓です」
「ここは脳です」

エコー写真を見る限り、まだ頭と体は半々、つまり2頭身。
体長は11センチとか。

自分の子供が生まれるときは、忙しくて、それほど関心がなかった。
そういうと、必ず「だから、あなたは!」と叱られる。

でも、わが娘がいざ、産むとなると「風邪ひくな」「体調は大丈夫か」となる。
風邪気味、と聞くと「雑踏に出ないで、家でゆっくりしなさい」
「仕事では仕方ないけど、食うて寝る、それが一番、おなかの中の赤ちゃんのためや」

いやはや、我ながらあきれてしまう。

「私の時に、そんなに優しければ・・・」
さげすむような眼差しで家人がチラリ。

「人は変わる。変わって当たり前だ」「考え方は変わる。それが何が悪い」といったのは、小泉純一郎元首相。
原発推進から、原発ゼロを主張するのは、東日本大震災発生の危機的状況と核燃料廃棄処分に不安を感じたからだった。

筋を通すというのは、時には大切だが、時に応じて転換するのも勇気のうちだ。

とにかく、無事に元気な赤ちゃん、孫を産んで欲しい。




いい夫婦の日&離婚率

2013-11-22 | 日記
11月22日は「いい夫婦の日」25周年。
88年に余暇開発センター(現、日本生産性本部)が、余暇を楽しむゆとりあるライフスタイルを提唱したことに始まった。

数多ある語呂合わせ記念日なのだが、わが身を振り返ると、40年目に入った。
金婚50年まで、心技体含めて持つかどうか?

いい夫婦が、何を基準にしているか、どうかわからない。
自信持っていえるのは残念ながら「いい夫婦ではない」ということ。
原因は、もちろん、家庭顧みぬこちら。

サラリーマン川柳1位には笑える。

いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦
夫婦は、よく酸素に例えられる。
酸素は普段意識していないけれど、なくなると困る。

最近、話題になっているのは、離婚率と離職率の増加割合が似通っている、という。
石の上にも3年。
桃栗3年、柿8年。

就職して3年以内に離職する若者は、6割に上るという。
離婚もそれほど、ためらうことなく離婚してしまう。

我々、団塊の世代は受験戦争、就職戦争など、余るほど人が居たので、あらゆる競争社会に対応してきた。
我が中学など、60人学級24クラスもあったマンモス校。
教室が足りなくなって、中庭にプレハブの校舎を増設したぐらいだ。

大学入試は競争率10倍は当たり前、20倍30倍の難関だった。
社会に入れば入った、で、人が多すぎて「ポストがない」と出世争いも激烈だった。

一度、レールから降りると、数多の人の中で、簡単に戻るのは難しい。
だから「我慢」「忍耐」が普通のことになっていた。

「夫は外で働き、妻は家で主婦をこなす」
ムカシ「明治の男」今「昭和の男」なのだ。
まだ離婚は「恥」という気分が残っていた。

今ではバツイチは恥ではない。
「なんで、そんなに我慢するの?」
就職もしかり。
「より良いものを求めて」が普通の社会になった。

「つべこべ言わず、妻は夫に従うものである!」
だが、そのしっぺ返し、倍返しが現代社会。

熟年離婚の始まり始まり、である。
「稼がない亭主なんて、クソの役にも立たない。偉そうにされるのは、真っ平ゴメン」
金の切れ目が縁の切れ目。
愛人との関係ではない。
夫婦関係でもしかり、だ。

「大体、亭主が弱くなったのは給料が銀行振り込みになってからだよ!昔は現金をポン。有難みが違ったんだよな」
バラエティ番組で老俳優が嘆いた。

給料袋の数字だけが女房の目に入る。
「亭主元気で留守がいい」
金さえ家に入れば、せいせいするってなCMさえ流行った。

アメリカでは2組に1組は離婚。
日本でも3組に1組は離婚している、という。
時間換算すると1分49秒に一組が、全国どこかで、離婚しているのだそうだ。
「永遠の愛を誓う」といい、結婚したカップルは、神仏を冒涜している。

いい夫婦の日、とんだところに話がそれてしまった。










新島出現は富士山噴火につながらないか?

2013-11-21 | 日記

海底からニョキニョキと島が盛り上がる。
なんと迫力のある光景だろうか。

東京の沖合南へ1000キロ、小笠原諸島にある西之島近辺で噴火が確認された。
海上保安庁は直径200メートルほどの新しい島が出現したと発表した。
20日午前10時すぎ、海底火山の噴煙を確認。
午後4時すぎには、島の南南東およそ500メートル付近の海上に直径200メートルほどの新しい島が出現した。
楕円形の陸地は長い部分で約400メートル。
標高20~30メートルというから、高層マンションぐらいに成長している。
テレビのニュース映像が、黒い噴煙が上がるのを捉えている。
黒い煙と共に噴石が、エメラルドグリーンや黄土色に変色した海に落下。
噴煙は1000メートルにまで達していると伝えている。



73年から74年にかけても、この周辺海域で噴火、新島が形成されたことがある。

単に領土が増える、と考えていいのか。
海底がうごめいている、と考えるのか。

太古の地球では、当たり前の光景だったのだろう。
いずれにしても、この地域は、伊豆・小笠原諸島から富士山につながる火山帯の一つ。
東南海地震、富士山噴火につながらないか。
大地震につながる風景でないことを祈る。

◆石塚吉浩理学博士(火山活動研究グループ)「西之島全体が一つの大きな火山なので、その山頂部分の一部から噴火した。マグマが水と接触して、それが飛散する。それがたまって、少しずつ大きくなっていく」
◆菅官房長官「領海が広がればいいなと思います。この島がきちんとした島になってもらえれば、我が国の領海が広がるわけですから」
◆山田吉彦教授(東海大海洋学部)「隣接する島と近い、ということがあって、領海および排他的経済水域が大きく拡大していくとは考えにくい」
◆野上健治教授(東京工大)「島の成長速度がすごく早い。爆発のインターバルがきのう(20日)よりも短い。島としては、かなり高い確率で残るのではないか」

【国際条約上の島】自然に形成され、周囲を海で囲まれた陸地のこと。、満潮時(最も海面が高くなった状態)でも陸地が出ていることが条件。





106億円溶かしたタニマチ交遊録に海老蔵、りえ、ほしのあきの実名

2013-11-20 | 日記

106億円もの大金をカジノで溶かした大王製紙前会長が暴露本を出した。
芸能人、女子アナらの実名が、ポンポン出てくる。

歌舞伎役者から大女優、ジャニーズ、AKB、女子アナらの六本木、西麻布界隈交遊録の華麗なる実態が、淡々と記されている。
タイトルは「溶かす 井川意高の懺悔録」
市川海老蔵、宮沢りえ二谷友里恵、岩佐真悠子、東尾修、元AKB大島麻衣、山P山下智久、田丸麻紀・・・。

若き騎手、三浦皇成の心境はいかに?である。
なぜなら「忙しくても電話で呼び出すと、すぐに飛んできた律儀な女性」
ほしのあきを井川前会長が実名で書いている。
三浦騎手と今は、結婚している
他にも熊田曜子ら、芸能事務所イエローキャブ所属のグラドルの名前が飛び出してくる。
「深い関係はない」というものの「深い関係がありました」と逆に記すことはなかろう。
そう思う。
出会う場所は六本木や麻布のバー。
「そこには芸能人や女子アナが出入りする有名なところ」とも明かす。
こうして書くと本の宣伝になってしまう
実はこういったタニマチと芸能人、アスリートたちの入り乱れた交遊は、ほんの一端でしかない。
24億円を「溶かし」フィリピンで豪遊していた元年金機構事務局長とサッカー元日本代表のラモス瑠偉も、今回の報道で二人の接点が明らかになった。
「2,3回、ハワイへ遊びに行ったよ。お金は全部むこう持ち」 
払う方も払われる方も、もうそれは慣れっこなのだ。
払う方は「これだけの有名人と付き合ってる」というステータス料なのだ。
驕ってもらう方は「大名気分」である。
力士がごっちゃん生活をして「男芸者」といわれるのも、こういうところ。

島田紳助や赤井英和、井岡弘樹ジム会長のタニマチは、羽振りがいい。

末野興産社長が一時、阪神タイガースの選手や吉本の芸人をキタ新地やミナミの宗右衛門町あたりを連れ歩いていた。
政財界を騒がせた許永中もそうだった。

砂糖菓子に群がるアリは、甘いものがなくなると、サッといなくなる。
あぶく銭を使う人、浮名を流す商ん人たちが「カネ」でつながっているのだから、終わりが来る。
所詮、長続きはしない。
芸能界の暗部と恥部。

その一部が、チラリのぞいて興味深い。


JFK愛娘キャロラインがやってきた

2013-11-20 | 日記
『生きていくということは、やり過ごすことだ。自分の意志で決めて動いているようでも、ただ、大きな流れに人は動かされているだけ』

どこかで読んだ小説の一説だ。
妙に共感できる自分がいる。

成り行き任せで生きていい。
ずっと、そうして来たような気がする。

旅でも、就活でも「何かこうしたい、こうやりたい。失敗したって仕方ない。なるようになるさ
そう思って、我が道を来たような気がする。
この「成り行き任せ」は言い換えれば、他人の言うことは右の耳から左の耳へ。
不遜のようだが、結局、自らにかかった火の粉は自分で払う覚悟なのだ。

従って、「ジコチュー」「我が道を行く」ということで、家族、周囲と衝突することしばしば。



世の中、ままならぬ。
個人のパワーだけで、どうとなるようなものでもない。
ならない方が、多い。

だから大きな流れに動かされていようじゃないか、となる。

5歳の時に偉大な父ジョンFケネディを亡くした。
その父を尊敬していた黒人が米国大統領になった。

人種差別へ大きな扉を開けた公民権回復運動。
黒人の社会参加に足跡を残さなかったら、オバマ政権の誕生はなかった。

そして、JFKの愛娘キャロラインが、駐日大使になることもなかった。
すべて自分の意志で決めたことではない。
【図は読売新聞から】
大きな流れの中でキャロラインが日本にやってきた。
JFK暗殺50年の2013年、奇しくも父の逝った11月に導かれるように・・・。





亀田興毅8度防衛記録の悲劇喜劇

2013-11-20 | 日記


金太郎飴かマトリョーシカか。
毎度毎度見せられる亀田ファミリーの低レベルな世界戦。
「詰まらん試合なら、みなけりゃ、エエ」とはいえ、今度こそスカッとさせてくれるだろう、と期待してしまう。
亀田興毅が2-1の僅差で判定防衛(116-113.5で孫。残り2人が15ー112と114.5-114で亀田)。

ボクシング大好き人間だからこそ、いらだち、言わせてもらう。

王者として、謙虚さも恥じらいもない、まして相手に対するリスペクトがまるで感じられない亀田ファミリー3兄弟。

思えば、10年ほど前、亀田ファミリーが、メディアに取り上げられ始めたころは辰吉、井岡(弘樹)らが舞台から降りるころだった。
ボクシング界にスター待望論が出はじめた時だった。

網膜剥離の眼疾で陰りの出た辰吉に替わるソフトとして、格好のソフトだった。
だが、辰吉を抱えていた日テレ(読売テレビ系)は闇社会につながる「怪しい家族」ということで手を出さなかった。
間隙を縫って獲得したのがTBSだった。
この局も鬼塚、畑山らが引退していただけに、飛びついた。

その後はあの「過剰な演出」で、なりふり構わず、世界王者を奪わせたのは周知の通り。
リングサイドには芸能人を招待し、ピーク過ぎた弱い王者、パンチのない挑戦者、引退寸前の元王者、資金力にモノ言わせてむりやり世界ランクに押し込めた挑戦者・・・。
まして、本来1階級下のスーパーフライ級の挑戦者・孫正五は昨年12月のノンタイトル戦以来、11か月もブランクがあり、なぜ実績のないバンタム級で世界14位なのか。
14位だ、としても、酷評して悪いけれど孫は、スピード不足、パンチ不足、技術不足の「裏3冠王」だ。
WBC,WBA,IBF、WBOの4団体を考えれば、中身は薄っぺらな、世界56位(14位×4団体)レベルの選手だ。

その相手に2-1の薄氷防衛した亀田興毅の実力が知れる。
8度もの防衛記録、世界戦勝利数12(判定勝ち10)、通算14勝(判定勝ち5)の具志堅用高に次ぎ長谷川穂積12勝(判定勝ち5)と並ぶ歴代2位タイを残すのが許せない。

亀田陣営はきっと「海外防衛」「弱い相手にKO防衛」を皮算用していたのだろう。
ところが、ボクシングは甘くなかった。

映画「ロッキー」の噛ませ犬だったロッキーになったのは孫の方だった。

最近、CSで伝説のタイトル戦として「ファイティング原田VSエデル・ジョフレ」「ヴィセンテ・サルディバルVS関光徳」を見た。
今見てもエキサイトした。
THIS IS 世界タイトルマッチなのだ。

世界バンタム級の王者は日本人3人。
WBC→山中慎介、IBF→亀田和毅(末弟)

ホンモノといえるのは、山中ぐらいだろう。
とにかく、このクラスは歴代、F原田、辰吉、長谷川、西岡ら世界に誇れる名王者がいた。
汚さないで欲しい。

日本でセコンドに立てない亀田オヤジが、今回セコンドに居たが、妙に大人しかったのを見て、笑ってしまった。




【WBA世界バンタム級戦(19日=韓国・済州グランドホテル)】王者の亀田興毅(27=亀田)が、世界14位・孫正五(32=韓国)に2-1の判定で8度目の防衛。亀田は孫の左フックで10回にダウン。06年8月のランダエタ戦以来、人生2度目のダウン。日本人の現役王者単独トップ、日本歴代4位タイ記録の8度目の防衛となった。2回までは手数も多く、パンチをボディーに集中した。3回以降は、さしてスピードのない孫の右ストレートで顔をのけぞらせるシーンが増えた。インファイトに持ち込もうとする孫に対して亀田はロープを背負う場面が多くなった。印象が悪い。孫はスピードもパンチもなくポイントを取ったとは言い難いものの、僅差だったことは間違いない。日本人の海外防衛は史上4人目(渡辺二郎、西岡利晃、三浦隆司)。過去4勝8敗。ジャッジは0・5点刻みのハーフポイント制。亀田の戦績33戦32勝(17KO)1敗

◆亀田興毅「リングもガタガタしてフットワークが使えなかった。(セコンドの)大毅に気をつけろと言われた場所(柔らかいキャンバス)でバランスを崩して滑った。効いてないパンチでも、1発あっただけで声援が違うし、アウェーやな。自分もリングに上がってからピリっとせえへんかった。原因がみえない。普通にジャブを当てて、距離を取ればパンチをもらうはずはないのに、焦ってしまった。泥仕合に付き合わされた。どんどん相手の泥沼にはまった。敵地でやれる自信はあったから、う~ん。これも含めて実力やけど。今後のオレは当面、白紙。プロになって10年、ここまでやってきて、考え直し、見つめ直したい」
◆孫正五「判定には全く満足していない。今でも勝ったと思っている。日本で見ていたファンも僕が勝ったと思っているはずだ。倒し切れなかったことに悔いが残る。亀田のパンチは1発も効かなかった」

【記録メモ】海外防衛は亀田で4人目(5度目)。85年12月WBCスーパーフライ級(当時Jバンタム)の渡辺二郎(大阪帝拳)が韓国で初。WBCスーパーバンタム級の西岡利晃(帝拳)が09年5月にメキシコ、11年10月に米国で防衛。今年8月、WBCスーパーフライ級の三浦隆司(帝拳)がメキシコで防衛。、8度防衛はWBCスーパーフライ級の徳山昌守(金沢)と4位タイ。トップWBAライトフライ級の具志堅用高(協栄)の13連続防衛。











ポール!ビートルズ!JFK!ああ半世紀!

2013-11-18 | 日記
ドライブしていると、FMからビートルズの曲がやたら流れてくる。
なんだ?と思ったら、ポール・マッカートニーが、コンサートツアーで来日している。
      
1966年に来日したビートルズ公演(東京武道館)から、約半世紀。
当時24歳だったポールは71歳になっている。

ビートルズ旋風が吹き荒れたのは、当ブログ子も高校受験の当時だったから、思春期真っただ中。
深夜にラジオを聞きながらの受験勉強。
「ながら族」の言葉も流行った。
書店に行っては、ビルボード、キャッシュボックスのヒット曲ランキングを確認していた。

雑誌の名前は「ミュージックライフ」。
当時は映画雑誌「スクリーン」「映画の友」と並ぶ愛読書だった。

「プリーズプリーズミー」「抱きしめたい」「シーラブズユー」など、出す曲出す曲が「赤丸上昇中」の連続で1位。
トップテンには4曲、5曲がビートルズだった。



音楽と共に、ファッションは「マッシュルームカット」の長髪。
友人の家が、散髪屋をしていたが、その長髪ブームで利用客が減って経営が苦しくなったことを覚えている。

大阪府警機動隊だった義兄が、武道館まで警備の応援部隊に駆り出されていたことを後に聞いた。

とにかく、青春時代はビートルズの歌とともに、だった。

ビートルズのデビューは1962年で、解散したのは70年だから、わずか8年しかない。
いま振り返れば、短い期間だ。
それが、我が子、孫の時代の今日まで古さを失わず、親しまれていることは奇跡としか言いようがない。

半世紀と言えば、JFケネディ暗殺からも50年。
BS,CSにテレビ放送では、1963年11月22日のテキサス州ダラスでのJFKの悲劇を特集する番組が目白押しだ。

暗殺の瞬間も目に焼き付いている。

忘れもしない。
NHKだった。
ワクワクドキドキして、家族みんなで、眠い目をこすり深夜3時半ごろまで、茶の間のテレビを見つめていた。
日本時間では23日の祝日(勤労感謝の日)だったこともあり、起きていられた。
日米間で初めて、衛星生中継がつながる歴史的な日だったのだ。

それがパレードの車が狙撃され、世界を震撼させた悪夢が飛び込んできた。

JFKとビートルズ。

ビートルズ4人組はリンゴ・スターとポールの二人だけになってしまった。
ジョン・レノンは80年12月に殺され、2001年11月にはジョージ・ハリソンが病死した。

ケネディ一家は弟のロバートが暗殺(68年6月)され、期待された末弟エドワードもすでに故人になった。

JFK葬儀の時に愛らしい姿で映像に残っていた愛娘キャロラインが、駐日大使に赴任した。
葬儀当時5歳だから、もう50半ばのオバサンなっている。

半世紀の流れは重い。
こちらが齢重ねるはずだ。




秘密保護法、ブログ発信でも該当って⁉

2013-11-16 | 日記


おい、おい、ちょっと、ちょっと、となる。

15日の衆院国家安全保障特別委員会で、特定秘密保護法案の恐るべき見解が明らかになった。
国会議員や芸能人が書いたブログでも、罰則対象になりえるというのだ。
書いたことが「報道」の範疇に入る、とのこと。
「不特定かつ多数の者に対して客観的事実を知らせたり、意見や見解を述べたりする行為は、有償、無償を問わない」

まあ、言葉は難しいが、ネットで発信すれば、これを国家が目を光らせ「これはダメだ」といえばお上にひっくくられるのだ。

五輪招致の時、プレゼンで「汚染水は完全にブロックされている」と安倍首相が言い放った。
ところが、東電側は「我々の認識と違う。そうではない。実は港湾の外にも汚染水が流れ出ているんです」という。
こんなウソでも、ブログで官僚、東電社員らの内部告発的発信をすれば・・・・。

「これは秘密だからバラした人は処罰する」「報道した人も処罰する」
沖縄密約で毎日新聞・西山太吉記者がスクープしたレベルではない。



国民は「権力に都合の悪い真実」を知らされなくなってしまう。
さらに言えば、内部告発的なブログやフェイスブック、ツイッターなどSNSを見て、報道した記者も処罰対象になってしまう。

物言えば、唇寒し 秋の夜。

大体、国家機密なんて、日本にどれだけあるのだ。
何が機密で、何が機密でないか?わからないし、それを誰が決めるのか。
機密にしなくても、いいものまで、機密のハンコを押してしまえば、これは、もう、膨大なものになる。
また、これを管理し、目を光らせる人員まで必要にになってくる。

小さな国家、開かれた国家から程遠い暗黒のシステムになる。
形を変えた「治安維持法」と言っては、言い過ぎ、過剰反応だろうか。



 


好事マー君多し メジャー行へ暗雲

2013-11-16 | 日記
人生、そうそううまくは行きませんよ。
落とし穴はありますよ。
マー君(楽天・田中将大)に「まさに好事魔多し」を地で行くムードが漂ってきた。
                 
開幕24連勝、日本シリーズでストップしたが、昨年からレギュラーシーズン通算30連勝。
向かうところ敵なしで、創設わずか9年の楽天イーグルスを日本一まで押し上げた。
タレント里田まいという伴侶まで手に入れ、公私ともに充実。
順風満帆というのは、この男のためにあると言ってもいいぐらいの勢いだった。

日本から世界(メジャー)へ飛び出す準備OK。
野茂やゴジラ松井(FA)らと違って、選手会を筆頭に日本球界も珍しく後押しする段階でストップがかかってしまった。
FAを待たず、ポスティングシステムを利用して、今オフに海を渡るのは、決定的だった。

ところが、そのポスティング新制度が、ここにきて日米間改定交渉で不調に終わり、暗礁に乗り上げた。



このままでは、来季も楽天・田中将大のままで、日本のマウンドに立つ。
本人は否定するだろうが、日本シリーズで160球完投後、第7戦で連投志願したのも、仙台のファンに「最後のマウンド」を見せたかったはずだ。
ハシゴを外された気分だろうが、それは、それで日本の球界にとっては嬉しいことかもしれない。
ダルビッシュについで、田中将大が本場のマウンドでどれくらい活躍できるか、も見てみたい。

メジャー投手の最高の栄誉サイ・ヤング賞(日本の沢村賞)にダルと岩隈がノミネートされた。
残念ながら受賞は逃がしたが、まだ、日本人投手の夢は残った。
メジャーのマウンドに立つだけで、ビッグニュースだったマッシー(村上雅則=南海→SFジャイアンツ)の時代(1964年)とは隔世の感がある。
この二人に加え黒田、そして来年の復活を期待できる松坂ら日本投手の実力を見せつけてほしい、というのも偽らざる夢だ。
         
首位打者はイチロー(2度)、ワールドシリーズMVPはゴジラ松井、新人王は野茂、イチロー、大魔神佐々木、盗塁王はイチロー、奪三振王は野茂(2度)、ダルビッシュ・・・。
ちなみに、野手ではシーズンMVP、本塁打王、打点王などのまだ夢が残っている。

投手は若いうちに挑戦させてやりたい。
FA権利獲得まで待てば、田中将大は28歳になる。

挑戦するなら、肩の消耗の少ない25歳のピーク時の今でしょ!

【NEWS抜粋】大リーグ機構(MLB)ロバート・マンフレッド最高執行責任者は14日(日本時間15日)、ポスティングシステム新制度案を取り下げ、修正案を提出すると発表した。




◆ロサンゼルス・タイムズ電子版「田中の移籍が危機に陥った。多くのオーナーが入札制度自体の廃止を願っている」
◆ニューズデー電子版「(パイレーツ提案の)入札金額を年俸総額に組み込むのは労使協定に反するため、実現しそうにない」 



【ポスティングシステム】98年末に日米球界で取り交わされた入札制度。最高入札額の球団に独占交渉権。日本プロ野球選手が海外フリーエージェント権を待たずに米国メジャーへ移籍出来る。海外FA権利は10年在籍で獲得出来るが、その補完的システム。米球団が移籍金額を入札、選手の所属球団が受諾すれば米球団は選手との独占交渉権(30日間)を獲得。契約成立すれば米球団は球団に落札額を支払う。選手に移籍先を選ぶ自由はない。その後、協定を更新してきたが、昨年限りで失効。第1号適用者は、00年オフのイチロー(オリックス→マリナーズ)で、マリナーズが1312万5000ドル(約14億1800万円=当時)で落札。




龍馬祭きょう2年連続秋雨開催

2013-11-15 | 日記

冷たい雨がしとしと降っている。
異常気象で短い秋を通り抜け、早々と冬に突入したかのように寒い。
盆地・古都の京都はさぞかし寒かろう。

146年前のこの日は、どうだったのだろうか。
1867年(慶応3年)11月15日、幕末の英傑・坂本龍馬が33歳の誕生日の日に暗殺された。

龍馬死して1世紀半後の京都・東山 霊山護国神社は、今年もにぎわっている。

太鼓の音、三味線の音・・。
全国から龍馬ファンが集う「龍馬祭」なるイベントが開かれている。
昨年は木曜日、今年は金曜日だが、しのつく雨は同じ。
涙雨なのだろうか。

高校2年生で司馬遼太郎「竜馬がゆく」に出会って以来半世紀の“龍馬教”だ。
当ブログで何度も記したが、無信心で、無宗教を父や親戚に疎まれてきた。

BS放送では、この日に合わせたのか?「歴史ヒストリー」など龍馬ものが目立つ。

「世の人は われを何とも 言わば言へ 我が成すことは 我のみぞ知る」
周りから理解されないけれど、自分のことはわかっている。信じて貫け。
好きな龍馬語録の一つだ。

「丸くとも ひと角あれや人心 あまりまろき(丸く)は 転びやすきぞ」
丸くなって大人になるもよいけれど、角がなくなれば 魅力がなくなるぞ、の語録も我が意を得たり、だ。

「天下に事を成すものは ねぶと(おでき腫物)もよくよく腫れずては 針へは膿を付けもふさず候」
何事も、時期を見て行動しないと うまくいかないこと。龍馬語録にある。
       
小泉純一郎元総理が「原発ゼロ」を打ち出した。
推進派だった小泉元総理が「考え方は変わる。それが何が悪い」と言い放った。

「変節漢」「日和見」とも龍馬は、当時言われた。
人に会うたびに言うことが違った。
斬新な考え方に、周囲はついていけなかった。
「情報の人」だったから、人に逢い、考え方を取り入れる。

その場その場で、ころころ言い方が変わったが「国を洗濯致さねば」という信念だけは貫いた。

小泉元首相が龍馬足りえるのか、は分からない。

話を戻す。
わが青春時代。
大晦日には友人らと年毎に下駄を鳴らして、八坂神社を抜けて霊山護国神社にある龍馬の墓に酒をかけに参った。
京都市街を一望出来る絶好の位置だった。

昔と違うのは入場料が300円(子供200円)也の改札口のようなゲートがある。
「経済人」龍馬も苦笑いしている。



イベントは龍馬没後約50年の大正5年(1916年)にスタート。

死の直前、龍馬は中岡慎太郎(陸援隊隊長)と「腹が減った」と使いに出し、食べる前にあの世に旅立った因縁の「しゃも鍋」が大きな鍋で振る舞われる。

今年は94歳の義母の入院騒ぎで、参加出来なかった。
来年は、参加できるのだろうか。
























































































藤浪いい子になるな!

2013-11-13 | 日記
タイガース秋季キャンプで阪神・藤浪晋太郎投手(19)が、投球フォーム修正に取り組んでいる。
高卒新人で10勝(6敗)したピッチャーは、そうそういない。
踏み出す足がインステップすると、ボールがシュート回転する。
必要以上に体をひねり、肩肘を壊しやすい。
などの理由で矯正するらしい。
本人は戸惑っている。
「投げる感覚が(以前のフォームと)全然違う」
日本のコーチは、自分の手柄にしたいのか、仕事をしていると見せたいのか、やたら選手をいじり倒す。
言うことを聞かないと、干される。
だからコーチされる方は取り組まざるを得ない。
「インステップ投法」は本当に悪いのか?
メジャー中継を見ていても、向こうの投手の体は一塁側に倒れる、三塁側によれる。
だが、剛速球を投げ込む。
インステップ投手は、ヤマほどいる。
上半身の筋力が違う、と指摘するむきもある。
だが、個性豊かなピッチャーが多くて、見ていて楽しい。
「いいところを伸ばし、欠点を矯正する」
藤浪でいえば、197センチの長身から繰り出す剛速球が、インステップで打者の体に向かってこられれば恐怖だ。
シュート回転が「悪い」というなら、それを修正すればいいだけ。
        
オリックス新人時代のイチローは、コーチに打撃フォームをいじられた。
しかし、断固拒否して2軍に落とされた。
ゴジラ松井は、3000安打の大打者・張本勲にすり足打法を指示されたが聞く耳を持たなかった。
結果は、ご存じのとおり、球史に残る選手になった。
いい意味での頑固さは必要だ。
昔、大阪・北陽からドラフト1位で近鉄入りした寺前正雄という右腕がいた。
甲子園制覇こそしなかったが、90年センバツ4強。
準決勝の新田戦で延長17回を投げ抜き17三振奪うなど、実力に加えてイケメン投手として、藤浪と同じくらいマンモスを騒がせた。
186センチの長身から左のグラブを高く大きく広げ、真っ向から投げ降ろす。
ダイナミックなフォームから140キロ台の速球と大きく割れるカーブが魅力だった。
アルバトロス(アホウドリ)投法と名付けられた。
「将来のエースや」キャンプで見た仰木監督が認めた逸材。
当時の恩師・松岡英孝北陽監督は「彼のフォームをいじらないでくれ」との条件をプロ側に出した。

素直な好青年だった寺前を心配して、注文を出していた。
だが、無理だった。

制球がつかない。
走られる。
などの注文がつけられ、手柄を立てたいコーチ陣にいじり倒され、混乱した寺前は持ち味を殺された。
前年、同じ近鉄ドラ1で入団した野茂英雄は、トルネード投法の改造を指示されたが、突っぱねた。

フォームをバラバラにされた寺前は、結局、阪神へ移籍するなどしたが、まだ、20代半ばの若さで退団した。
藤浪が、寺前の二の前にならなければ、というのは杞憂だろうか。