坊主も走る、といわれる師走。
町中ではクリスマスの飾りや音楽が背中を気ぜわしく押す。
我がファミリーも、御多分にもれない。
二女のお腹に孫が宿る一方、94歳の高齢の義母が病に伏せる。
2か月近く入院した義母が、2日に退院、自宅に戻る。
ベッドで座ることもできない状態だけに、身の回りの世話は大変だ。
運動が出来ていないので、血液の循環は悪くなる一方。
高齢もあるだろうが、痴呆が出始めている。
「まだらボケ」といって、正常と異常を行きつ戻りつしている。
やがて、身内の判別がつかなくなる。
2010年7月に92歳で他界した母は痴呆になった時は「天使」か、と思うほど笑顔を絶やさなかった。
義母は、点滴コードを自ら引き抜いたり、痛みどめの「注射を打て」など、看護師を罵倒するようだ。
もどかしさにイライラが募るのだろう。
どちらがいい、悪いではない。
脳の仕組みがどうなっているのだろうか。
痴呆にもタイプがある。
「私のサイフはどこへ?」
「あの人が盗んでいった」
などなど、暴力的だったり、疑心暗鬼だったり、夜中徘徊したり、とさまざま。
義母は入院するまでは頭もしっかりしていたのだが、治療を受ける中で、激変していった。
高齢者の骨折が重病につながる、というのはこういうことなのだ。
先日NHKスペシャルで、痴呆800万人と報じていた。
大阪府の人口に匹敵する恐るべき数字だ。
しかも、独居だけでなく、身内もいない(見捨てられた)痴呆老人が、全国に散らばっている。
ゴミ屋敷だったっり、介護サービスを拒否したりして、社会問題化している。
社会問題とは、痴呆老人の一人住まいによって、火の用心を無視できない。
その点からいうと、義母は幸せかもしれない。
何とかしようという家族がいるわけだから。
といっても、介護する子供たち(家人の兄姉)も60を超えている「老々介護」なのだ。