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メディアの片隅に生息する新聞記者OBが、独断偏見勝手気ままに綴ります※文中はすべて敬称略。

訃報スペンサー 88歳だったか?

2017-01-04 | ウェブログ

灰色球団の阪急ブレーブスを変えた男。
ダリル・スペンサー
我が中学~高校生のころに活躍した助っ人。

あの長嶋茂雄を「面白い人」という世代。
今の人は知らないだろう。


188センチ、当時としては大柄で、いかにもアメリカンといった風情。
豪快なバッティング、スラィデング。
関西の野球少年には強烈な記憶がある。

訃報に接して、まず、年齢に驚いた。
もう、88歳だったのだ。

こちらも齢重ねるはずだ。

ちょうど東京五輪開催の前後にスペンサーは活躍した。



特に65年は野村克也の三冠王の壁になった。
終盤の本塁打争いには徹底した四球攻め。
8打席連続四球((当時の日本記録)という姑息な日本野球の洗礼を浴びた。

付け加えれば、9打席目は敬遠のボールを打ったことだ。
これで記録をストップ。
手を出していなければ、どこまで四球記録が 延びたか。

今でも覚えているのは、バットのグリップを上にして打席に立ったシーン。
直接対決となった南海戦。
露骨な敬遠に業を煮やしたのだ。
後に長嶋茂雄が同じようなことをして話題になった。

スペンサーはこの年38本塁打、打率.311はともに2位。
だが、通算成績を見ると意外に突出していない。

激しいスライディングは特に話題になった。
スペンサーはジャイアンツ、カージナルス、ドジャースなどで通算105本塁打を重ねた。
さすが元メジャーリーガーの評。

闘争心むき出しにスパイクの歯を上に滑り込んだ、といわれた。
ホームベースには格闘技さながらの突進。

実際には「怪我をするからスパイクの歯を向けるのはやめろ」といっていた。
後に同僚で世界の盗塁王になった福本豊が教えてくれた。
「相手には家族がいるんだ」
スペンサーの闘争心をイメージ化する記事のいい加減さだ。

相手打者、投手の癖を見抜くのがうまかった。
福本や長池徳二らがそのことを学んで成長した。
長池はその後、名コーチとしても成功した。
ドクター・ベースボールと呼ばれる。

ライバルの野村はいう。
「日本野球を変えたのはスペンサーとブレイザーだ」

 ◆ダリル・スペンサー1928年7月13日ー17年1月2日。米国カンザス州生まれ。52年ジャイアンツでメジャーデユー⇒カージナルス⇒ドジャース⇒レッズ⇒64年阪急。内野手。65年。野村三冠王の前に立ちふさがる38本塁打。8打席連続四球の当時日本記録。シーズン2週間を残し交通事故で脚を骨折。四球と事故がなければ野村の戦後初の3冠王はなかった。67年、38歳で30本塁打、パ初制覇の原動力になった。巨人との日本シリーズでMVP。40歳で退団。2年間コーチ。7年間通算731試合615安打391打点152本塁打、打率.275。MLB10年通算105本塁打。188センチ、右投右打。

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