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星野仙一“団塊”70歳急死

2018-01-06 | 日記

「夢」
星野仙一が色紙に必ず記す。
闘将といわれた男が4日朝、亡くなった。
すい臓がん、70歳。
私と2つしか違わない。

死のわずか10日前。
かつて編集局長会で知り合ったライバル紙のMが、師走の都内で星野と言葉を交わしていた。
星野は10月26日のドラフト会議にも出席。
12月1日には大阪で殿堂入りパーティーもしている。
急死、といっていい。
球団副会長をしていた楽天の発表によると。
16年7月に急性膵炎を発症。
検査の結果、膵臓がんが判った。
年末年始はハワイ旅行を計画していたが、体調悪化で取りやめた。
年末に入院、年明けて娘2人に看取られ、眠るように他界した。

◆NHK15年4月「サンデースポーツ」星野、ON対談◆

阪神監督時代にもシーズン途中、高血圧で体調を崩し休養したことがあった。
監督退任の理由になった。
監督復帰した楽天では、24連勝無敗のマー君を擁して日本一にもなった。
14年に腰痛、黄色靱帯骨化症などの手術。
監督退任の遠因となった。
思えば阪神、楽天と体調不良が原因の監督退任。
病気知らずの闘将と思われがちだが、意外に繊細。
母子家庭で育った典型的なわがままな性格。
だが、一方で甘え上手で「ジジ殺し」といわれた。
盟友田淵幸一がいった。
「星野は政治家に向いている」
WBC監督就任へ執念を燃やした。

王総監督にして星野ジャパンを目論んだ。
人望は王、資金集めは星野。
ナベツネに根回しし、政財界を巻き込むしたたかさがあった。
星野の悔いは北京五輪でメダルを逃したことだろう。
一挙に評価を下げた。
巨人監督も目前で実現しなかった。

違った意味で星野は清原に似ている。
ドラフトで巨人入りを確信していた。
読み上げられた名前が「島野修」
スカウトに1位を確約され、待っていた星野は耳を疑った。
「島は星の間違いじゃないんか!」
島野は神奈川・武相高投手で、後年オリックスの着ぐるみブレービー。

プロ野球人生はこうしてスタートした。
熱狂的G党の星野が、打倒巨人に燃えた。
で、晩年に巨人に迎えられようとした。

星野の代名詞、鉄拳制裁。
日馬富士も真っ青な指導法を知らないものはいない。
時代がずれていたら「闘将」の名はない。
ただの超パワハラ暴力監督、乱暴監督になっている。

それにしても侍ジャパン監督経験者は病も背負う。
日の丸を背負うのは、それほど重圧なのか?

WBC第1回監督の王貞治は胃がん。
バルセロナ五輪監督だった長嶋茂雄は脳溢血。
そして北京五輪監督だった星野仙一はすい臓がん。

球界には黄金世代があり、星野の世代もそうだった。
以下がそうだ。

長嶋世代(昭和10~11年生まれ)◆ 長嶋茂雄、野村克也、杉浦忠、仰木彬、梶本隆夫、土橋正幸、本屋敷錦吾、近藤和彦、皆川睦雄、宅和本司ら。

黄金ドラフト世代(昭和22年生まれ)◆ 星野仙一、田淵幸一、山本浩二、有藤通世、衣笠祥雄、富田勝、山崎裕之、池永正明ら

江川世代(昭和30~31年生まれ)◆ 江川卓、掛布雅之、遠藤一彦、大野豊、達川光男、中尾孝義、山倉和博、平野謙ら

KK世代(昭和42~43年生まれ)◆ 桑田真澄、清原和博、佐々木主浩、田中幸雄、佐々岡真司、野田浩司、デニー友利、渡辺智男ら。
イチロー世代(昭和48~49年生まれ)◆イチロー、中村紀洋、石井一久、松中信彦、小笠原道大、三浦大輔、黒木知宏、坪井智哉ら。
松坂世代(昭和55~56年生まれ)◆ 松坂大輔、和田毅、藤川球児、杉内俊哉、村田修一、新垣渚、東出輝裕、森本稀哲ら。
ハンカチ世代(昭和63~64年生まれ)◆斎藤佑樹、田中将大前田健太、坂本勇人、澤村拓一、吉川光夫、大石達也、秋山翔吾、柳田悠岐ら。
赤字=監督経験者。青字=メジャー経験者

【追悼コメントまとめ】
叶えたい18年Vの夢
▼立花陽三(楽天・代表取締役社長)「病気のことは16年夏にお伺いしました。そこからチームの闘いと同時に、病との闘いも始まりました。しかし、星野さんは苦しい姿を周囲に一切見せず、チームを強くすることだけを考え闘って下さいました。その姿を見てきたからこそ、2017年は何としてでも優勝したかった。先ほど18年の優勝を星野さんと約束してきました。監督・選手・スタッフ・職員一丸となって星野さんの夢を叶えたいと思います」
対戦するのが楽しみだった
対戦が楽しみだった
▼長嶋茂雄「余りに突然、残念です。打倒巨人を前面に闘志満々でぶつかってきた投手だからこそ、私も負けずに『さあ仙ちゃん、来い』と心燃やすことが出来た。対戦が本当に楽しみだった」

親友が亡くなるとキツイ

▼田淵幸一「本当の身近にいる親友がいなくなると、こんなにきついもんかな。残念、さびしい。その言葉だけです」
大きすぎるショック
▼山本浩二「ショックが大きすぎて、本当につらいです。良きライバルというか、お互いに思っていたから、ここまで来たと思う。本当に早すぎる」

 こんなに急に亡くなるとは
▼王貞治
(ソフトバンク会長)「闘志を全面に出した、攻撃的な投球は、勝負していて、とてもやりがいのある投手でした。殿堂入りパーティーでお会いしましたが、こんなに急に亡くなられるとは、とにかく残念でなりません」

メジャー入り応援してくれた
▼田中将大(ヤンキース投手)「あまりに突然のことで信じられません。楽天で日本一になり、星野監督を胴上げ出来たことは、野球人生の大切な思い出です。メジャーでプレーすることを応援して下さいましたし、感謝の気持ちでいっぱいです。心よりご冥福をお祈りいたします」
急死に強いショック
江本孟紀(解説者)「半年に一度ぐらい会っていたが、最近は痩せていた。身体が悪いとは聞いていた。昨年末に会った時は元気そうだった。私の体のことを心配。『体調どう?』と聞いてきた。私が星野さんに尋ねると、『体調はイマイチやな』と笑っていた。パーティ会場の入り口で会って立ち話し、一緒に記念撮影をしたのが、最後になってしまった。こんな急に亡くなるとは思わなかった。知った時、強いショックを受けた。私と星野さんは昭和22年生まれの同い年。明大のキャプテンでサード側のコーチボックスに立っていた星野さんの姿をよく覚えている。プロに入って長い付き合いとなった」

仏の顔と鬼の顔
▼原辰徳(元巨人監督)「信じられない。仏の顔と、勝負師の鬼の顔をいつも持ち合わせていた。メリハリの強さを尊敬していた。殿堂入りパーティーで『よく来てくれた。感謝する』と声をかけて頂いたことが印象に残っている。13年の日本シリーズでイーグルスと3勝3敗になった決戦。全力で戦い我々が敗れ、胴上げを見ました。全力で戦って、心の中で拍手を送っていました。(03年の原退任時、甲子園で)『もう一度勉強して戻ってこい。くじけるな』と言っていただいた。その言葉にすべてが集約されていて、明日への活力になっていた」

強引な移籍で優勝を味わえた
▼金本知憲
(阪神監督)「ウソであってほしい。いまだに受け入れられないという感じはあります。(阪神移籍は)根気よく、執念を持って僕のことを説得。嫌がる僕を強引に近い形で。そのおかげで2回優勝させてもらった。星野さんが監督をやってなかったら、03年も05年もまず優勝はなかった。本当にいい思いをさせてもらったのは星野さんのおかげ。関西の父親代わりみたいな方でした」
恩返しできていない
▼栗山英樹
(日ハム監督)「ショックで、何も言葉がありません。現役引退後から星野さんに大変お世話になってきた。評論家時代には『お前、誰のお陰でメシを食えてると思ってんじゃ。(復帰し)野球界に恩返しをしろ』と言われていた。監督としても教わることは多かった。振り返れば、まだ星野さんへ何一つ恩返しが出来ていません。あんなに優しい方が、ああいうスタイルにしないといけなかったということ。ある意味、優しいからこそ人を怒ることが出来たんだと思っています」
今でも呼ばれるような気がする
▼嶋基宏
(楽天捕手)「信じられません。今でも大きな声で『嶋!』と呼ばれるような気がする。教えて頂いた『闘う姿勢』を忘れず今年こそ東北を熱くします。いつか監督のような厳しさの中に愛情のある人間になりたいです」
負けじと頑張ってこれた
▼堀内恒夫
(元巨人投手)「ピンとこないっていうか信じられない。長嶋さん、王さんに立ち向かっていく姿が、一番最初に目に浮かぶ。現役の頃に『お前はONと対戦出来なくて残念だったな』って言われた。俺は『日本で1、2番の打者と対戦しなくていいなんて、一番幸せじゃないですか!』そう言い返したことがある。星野さん、中日には「背番号20星野仙一」というエースがいて、私も負けじと頑張ってこれました。本当にありがとうございました」
今の時代には必要な人
▼宮本慎也
(星野ジャパン主将)「野球人として、そして何よりも指導者として尊敬しているのでショックです。今の時代には必要な方だと思いますので、惜しくてなりません。オリンピックで一緒に戦わせてもらいましたので、星野監督の野球に対する思いを微力ながら伝えていきたいと思います」
最大の恩師の死、早過ぎる
▼山本昌広
(前中日投手)「体調が優れないとは聞いていた。でも、殿堂入りパーティーでお会いしていたので、突然のことでびっくりしている。2軍時代からお世話になった最大の恩師です。本当に早すぎる。残念でならない」
豪快で繊細な星野さん
▼桂文枝
(上方落語協会会長)「突然の訃報に言葉もありません。昨年の、確か6月にお会いした時はとてもお元気でしたのに、信じられません。星野さんは豪快で繊細。思い出すのは、01年オフ阪神監督就任パーティーで、ビールの乾杯は今はしません。優勝の時にとっておきますといって、見事、2年後にリーグ優勝を果したことが、昨日のように思い出されます。お疲れ様でした」
再生タイガースの創始者
▼月亭八方
(落語家)「残念です。生まれ変わったタイガースの創始者。星野さん、ありがとうございました」 

星野仙一(ほしの・せんいち)1947年1月22日-2018年1月4日、すい臓がん、享年70。岡山・倉敷生まれ。倉敷商⇒明大⇒中日(68年ドラ1)「巨人キラー」として巨人戦35勝。74年最多セーブ、沢村賞。82年引退。通算500試合146勝121敗34セーブ、防御率3・60。87年、中日監督。02年、阪神監督。11年、楽天監督。監督通算1181勝(歴代10位)。中日で88、99年、阪神で03年にリーグ優勝。楽天で13年に日本一。03、13年正力賞。16年から楽天球団副会長。17年野球殿堂入り。家族は97年に他界した扶沙子夫人(享年51)、長女・千華(69年生)、二女・和華(71年生)。芦屋市在住。180センチ。右投右打。

 



2 コメント

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Unknown (ボス)
2018-01-06 21:34:29
70歳は若すぎる死

江夏と共に好きな選手だったが・・・残念!
野球が好きだったんだろうね
Re:Unknown (こちウワ男)
2018-01-06 22:32:25
ボスさん、年違わないですもんね。人の寿命は分からない。強く見える人ほどポキッと折れるように感じる。サッチー、星野と続いた訃報。

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