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メディアの片隅に生息する新聞記者OBが、独断偏見勝手気ままに綴ります※文中はすべて敬称略。

松方弘樹は高倉健大嫌い

2017-02-08 | ウェブログ

遺言のような松方弘樹伝が8日、出版された。

『無冠の男 松方弘樹伝』(講談社)



亡くなる1年前に作家・伊藤彰彦(56)が20時間のインタビューをまとめた。
伊藤は映画史研究家でもある。

過去にも松方に関する著書もあり、あけすけに話していて実に面白い。

その中で松方は高倉健、NHKをぶったぎり。
東映やくざ映画と本物のやくざとの交流もぶっちゃけている。
亡くなっているから本人はいい。

今のコンプライアンス絶対社会では、真っ青になる話しが暴露されている。

遊び人伝説数々の松方が「遺言」の中で大の健さん嫌いをぶちまけて興味深い。
「男・高倉健は虚像だよ」
「健さんはものすごくバリアを張る人で、ぜんぜん男らしくない」
どういうことか?

松方は、こういっている。
ざっと要約する。

「僕は鶴田浩二さんに似ていたから可愛がられた」
「健さんからすると(僕は)余計なんです」
「東映は二本立てでやってきた」
「片岡千恵蔵×市川右太衛門。大川橋蔵×中村錦之助。鶴田浩二×高倉健。両雄が並び立ってきた会社です」
「僕は鶴田派だったから、健さんは自分のセリフをいきなり僕にフってきたり、試写会で揶揄したりする」
「鶴田さんはからかうがストレート」
「文ちゃん(菅原文太)も芝居にあれこれ言うが男らしい」

遊び人の松方からすれば気が合わなかったのだろう。
実に赤裸々で興味深い。

ヒロポン(覚せい剤)使用についても話している。
今の時代にやっている、という訳ではない。
森光子、藤田まことや浅草の芸人らも戦後の混乱期に使用していた。



写真のように新聞広告にも掲載される時代のこと。
笑ってはいけないけれど「疲労防止と快復に!」なんて。
まるでユンケルかリポビタンD並み。

ヒロポン中毒は多くの有能な芸人、役者を死なせてきた。

話を戻そう。

松方の父は時代劇俳優の近衛十四郎、母・水川八重子は人気役者。
時代劇がGHQマッカーサー指令で禁止。
路頭に迷った父は「近衛十四郎一座」を結成して全国巡業した。

この時代のヒロポンについて松方が衝撃の発言。
「父親と母親がヒロポンを打ってた」
「ヒロポンは薬局で売ってた」
「疲れた時に打つビタミン剤みたいなもの」
列車の中で自分たちが打ったついでに僕にも打ったらしい」
「小学校上がったばかりの子供にです」
「それで僕が『列車から飛び降りる!』ってスーパーマンみたいな格好したって」

いやはや無茶苦茶な時代だ。



やくざについても、こういっている。
興業の世界は地元の親分衆と切っても切れない。
ボクシングやプロレスの世界もそうだった。
我々は間接的に聞いたり、見たりしてきた。
それを白日の下に曝すと、社会問題化するのは間違いない。

松方の発言はそれを裏付ける。
『仁義なき戦い』など70年代の東映やくざ路線出演者は、とりわけ関係が深かった。

現場はみんなやくざ屋さんが仕切ってくれた」
「現在とは時代が違います」
「撮影所で今日はどこかの組の親分が来るな、というのはなんとなく判った」
「撮影所の人よけ、とかでお世話になった地元の親分」
「中島源之介さん(京都中島連合会会長)、僕らのころは図越利一さん(京都三代目会津小鉄会会長)は着流しで颯爽と試写に来た」
「俳優会館完成の時、名前が入った立派な姿見を寄贈してもらった」
「実際にモデルの方に会って、役作りの参考にさせてもらった」

特攻隊上がりの鶴田浩二はミナミのショーに出演時、地元やくざに挨拶しなかった。
報復に顔を切られた。
そういった類の事件は表ざたにならなかっただけで、数多くあった。

もう、松方のような俳優は時代に合わなくなった。
時の流れに逝った、とでもいうしかない。

芸能史の裏側を読むようで、実に興味深い本だった。

伊藤彰彦
1960年生まれ。映画製作者、映画史研究家。慶應大学文学部。デビュー出版は『映画の奈落 北陸代理戦争事件』(国書刊行会)。

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