こちら噂の情報局

メディアの片隅に生息する新聞記者OBが、独断偏見勝手気ままに綴ります※文中はすべて敬称略。

「おばあちゃんち」と「おじいちゃんち」

2016-11-22 | ウェブログ

新聞は広告も目を通した方がいい。
古い新聞広告は時代を映している。

時の流れに一番敏感なのが広告だ、と思う。
新聞記者にならなかったら、CMプロデューサーになりたかった。
直木賞作家・朝井リョウの広告エッセイが読ませた。



タイトルは「おばあちゃんち」で叶う夢。
長いので要約して紹介しよう。

「お小遣いがほしい、おやつを食べたい、久しぶりに集まったイトコたちと二階にある埃っぽい部屋で遊びたい―私にとって『おばあちゃんち』は、そんないくつかの夢をいっぺんに叶えてくれる場所だった」

そんな書き出しでエッセイは始まる。

家を建てたのは爺ちゃんなのに、なんで「おばあちゃんち」なのか、と突っ込みたくなる。
「けっ!器の小さな男」我が山の神にののしられそう。
だから、そこんとこは横に置いといて



うちにも我が一軒家に孫が襲来する。

可愛いけれど、いつまで可愛いんだろうか?
孫の親でもある娘らも都合のいい時だけやってくる。
頼みごとをする。
家にあるものをすぐに持って帰る。

まあ、すぐにあげてしまうのではあるが。
買い物に行っても、幼児の服や、おもちゃなどの売り場をうろうろ。
「こんなちっぽけな布使って、なんでこんなに高いんや」
毒づきながらもついついショッピングカートに放り込む。

エッセイは続く。
「ある日、実家から歩いて十分ほどの場所にある一軒家で暮らしていた祖母が、うちに移り住むことが決まった。私が小学生のころだった」

朝井の祖母は夫に先立たれ一人暮らしなのだろう。
そこへ孫らが遊びにいく。
おもちゃやお菓子、たまには小遣いもくれる。
さぞ楽しい場所だったはずだ。

やがておばあちゃんは体調を崩す。
朝井の両親が引き取り、同居する。
きっとおばあちゃんは一軒家を売って、生活費を渡したのだろう。
おばあちゃんちは「客間の一部屋」をあてがわれる。
孫たちは、家に行かなくても、家の中に「おばあちゃんち」がある。



ところがおばあちゃんはほとんどベッドの上。
ある日、母に言われた。
「おばあちゃん呼んできて。ご飯だよ」。
部屋に行った。
すぐ起き上がると思ったおばあちゃんは孫の手を何も言わず握った。
すぐ起き上がらなかった。

お腹が空いていた孫は「早く手を離して欲しい」と思った。
あれだけ可愛がってくれたおばあちゃん。
でも、孫は空腹には勝てなかった。
幼子は時に残酷だ。

「手を握られながら、私は、家の中にできた『おばあちゃんち』と記憶の中にある『おばあちゃんち』は別物なんだということを、やっと理解していった。目の前にいるこの人にお小遣いをねだったり、おやつを作ってもらったり、遊び相手になってもらったり、そういう時間はもう終わったのだと、小さな夢が叶い続ける魔法はもう解けたのだと」

子供は損得勘定で接しているのではない。
現実が優先する。
そこに気遣いはない。
だから、孫とは「素っ裸」で接することが出来る。
赤塚不二夫ではないけれど。

育ちゆく孫と老いが加速するジジババ。
「これでいいのだ」


「歩いて十分の一軒家、実家の客間、車でないと行けない施設。体調が悪くなるたび、『おばあちゃんち』は、どんどん場所を変えていった」




きっとありふれた光景なのだろう。
ひと昔前なら大世帯で、3世代同居は珍しいものでなかった。
今では核家族。

世代が移り変わり、時が過ぎ行く。
それでも我が家族の「おじいちゃんち」「おばあちゃんち」はある。

「お前たちの世話にはなりたくない」
我が両親はそう言った。
現に私も断固そう思う。

37歳の若い作家のエッセイが実に味わい深い。






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