クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

本白根山コマクサ 2014 H-26- 7-23

2014-07-24 14:17:13 | 倉渕・長野原・草津・嬬恋
漸く梅雨明け宣言が出て夏空が安定に向かった様なので恒例の本白根コマクサ。
今年で連続5シーズンになるが未だ最盛期にぶつかったことが無い。今年も
群馬観光情報の開花状況が「見頃」と表示されてから一週間も経過しているから
大した期待は出来ないが何となくこれをやらないと爺イの夏シーズンは
始まらない。

自宅から延々と83kを2時間15分も掛けてゴンドラ山麓駅。例年より格段に
駐車車両が多いがこれはコマクサの開花が最盛期の為ではない(9.30)。



未だに続いている草津白根の警戒レベルは「2」に引き上げられたままで
火口より半径1k以内は駐停車禁止・立ち入り禁止になっており「本白根山へ
ハイキングをされるお客様は、白根火山ロープウェイ山麓駅にございます
無料駐車場にお車をお停めいただき、白根火山ロープウェイ(有料)を
ご利用ください」となっているからだ。
湯釜から半径1kmを地形図で計測すると逢ヶ峰に達する。志賀・草津道路は
大駐車場とレストハウスが閉鎖でも9.00-17.00は駐停車なしの通過は
出来るらしい。すると、白根を避ける人が増えるから万座有料道路は大繁盛だな。

山麓駅の駅舎入り口に文学碑。最近、この手のものを追っかけているので
気になって眺めるが達筆碑文も読みも意味も難しいし「一穂」の署名も
記憶に無い。



で、帰宅後に調べた結果は下記。
碑文
「山媛呼」
    
吾妻はや 白根の峯に けむりたつ よひて声あり 古ゆ
これの山媛呼 たきついてゆの おもひに咲くや石楠花        
                       一穂
一穂とは吉田一穂(いっすい) 1898年~1973年の事。「山媛呼」の詩は、
日本武尊と弟橘媛の哀しい伝説に心をひかれて創作したものと言うが
この詩人、言葉が極度に省略されていて短い言葉が多くの事柄を
呑み込んだ前提なので 詩文の解釈はなかなかに難しいとの定説。
北海道生まれ。本名は由雄。少年時代から文学者を志し、若山牧水、
金子光晴などの友人、北原白秋、島木赤彦などの先輩と親交を結んでいた。
碑文は作者の直筆で碑の完成式には本人も出席しているとか。   


ゴンドラ・リフト券、今年は早めの帰宅の必要から展望台・鏡池経由の周回を止めて
リフトも往復にしたのでやや高めの1900円也。



ゴンドラから眺めは何時もの通りだが何となく崩落が進んでいるような
気がする。この支柱も直ぐ近くまで崩落が迫っているが大丈夫?



中学生の団体がリフト脇から登山開始するのを横目にリフト乗り場に
向かう。



リフトに乗りながら振り返ると逢ヶ峰が大きく見える。来初めの頃は
本白根から下山後にこの山を乗り越えて三角点にタッチしてから草津白根に
向かったものだが今ではゴンドラ・リフト・シャトルバスのお世話に
ならないと駄目になってしまっている。



リフト降り口は展望場所だが予報に反して湿度が高いためか
薄曇りのかすみ状態で近くの山しか見えずに残念。



遊歩道との合流点、下方を眺めても人影は無くどうやら今日の観光客は
少ない模様。



僅かな傾斜路を進むと、やがて前方が開けて火口跡の周回路に出た。
正面は展望台2143m。ここの頂上に「日本百名山・本白根」の道標があり
記念撮影のポイントになっているが深田久弥の指した百名山は
三角点のある2165m峰だったらしいのだが。



遥かな彼方にはこれから行く予定の遊歩道の最高点2150m峰。



この火口跡半周の最初の部分にコマクサの群落が広がるが、この場所の
株は如何にも小さくおまけに最盛期過ぎで萎れた様で元気が無い。
この砂礫斜面の右上が本当の本白根2171m峰なんだが登山路は無く
恐らく登る人は稀だろうが積雪時に到達したという記録を
読んだことがある。



火口跡の縁を回りながら花を撮る。コマクサはその花の形が馬(駒)の
顔に似ていることに由来するとのことだし、学名のMakinoは、命名した
日本の植物学者の牧野富太郎の名前である。





花が絶えた周回路、ここは本白根中央火口と言うらしい。



この火口跡の底でも2076mもあるが久弥氏が「古代ローマのコロシアム」と
称したとは某著名サイト記事からの無断受け売り。



途中で振り返ると山腹に歩いて来た細い遊歩道が見えるが人影は少ない。



展望台との分岐を過ぎてやや下った低地を前方の稜線に向かうが
途中に僅かながらも花が見られる。







ヘアピンカーブで反転して2150m地点への稜線に入ると南斜面にはさっきより規模の
大きな群落、花もこちらの株が大きめ。













途中に左の南斜面への下り路が設置してある。写真がまるで登りの
様な写り方だが実際は滑りやすいザラ場のロープ付き急降なのだ。









目的は去年見たこの白いコマクサ。



だが、一番下まで下っても見つからない。同じように白コマクサを
探していたベテラン氏が漸く探し当てて教えてくれたが唯の一株で
花も一輪。ベテラン氏は大雨で流されたかな?とつぶやいていたが
砂礫地帯に定着するこのコマクサは地下に0.5M-1.0Mもの根を張るというから
流されたとは思えない。砂礫が埋めた? この白は若しかすると何かの条件によって
突然現れる変種のような気がするが赤と白とは学名が違うらしいから
同じ株に年によって違う色のものが咲くことは無いな。ーー博識の方、教えてください。



ロープに縋って息切れしながら遊歩道に復帰、相変わらず遊歩道は閑散。



再び上りながら。





遊歩道最高点へのルート。写真では遠くに見えるが実際は数百メートルで高度差も30m位。



さっき脇を通った展望台が良く見える。こちらから見るといっぱしの山塊。



道標二つの前を通過して何時も休憩する万座への下山口のベンチの在る小広場へ。





毎年決まりきっているハエマツの陰で軽食と休憩してコレも定番で登っている笠ヶ岳の
トンガリを見たが霞でボンヤリ。
本日の爺イ、毎年同じものを着ていると写真を見て苦笑いがでる(11.17)。



展望台をもう一度眺めながら下山開始。



これはハクサンシャクナゲらしい。去年は数株見たが今年はこれ一つ。



少し下った平らな位置から振り返って見えるこの山は規制で入れない三角点2165m峰かな。
1976年に登山中だった高崎女子高校の一年生がここで硫化ガスに襲われて
先生一人と生徒二人が死亡した事件があったがそれ以来進入禁止になっている。
良くここで6人が遭難とする人もいるが6人の事故は1971年振子沢ボーリング井戸跡からの
ガス噴出に遭遇したスキー客。現在は源の井戸が埋め立てられているからこの地点は
事故後にも立ち入り禁止などになっていない。
但し、その後にも自己責任と言いながら遊歩道最高点から三角点に行った記録は
複数見ている。今から10数年前までははっきりした踏み跡があり
2150m地点から10数分で楽々と到着していた。地形図から計測すると
2150m地点から直線距離で330m程だが少し下ったこの位置からは巨大で
遠くに見える。
南にある米無山から縦走した健脚者の記事もあったと思う。



再びコマクサの姿を拾いながら下山路を進む。















展望台分岐で一休み。近くで見る北側の岩壁が極めて豪快。



最初の群落地帯で又、コマクサを拾い撮りしながらロープウェイ
山頂駅に帰着(12.40)















予定通り帰路に西群馬病院に入院中の友人を見舞うと言うより激励して帰宅(17,00)。
老骨になってもこんな事が出来る現在の己の健康に感謝。

デジブック 『本白根山のコマクサ』


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