クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

金剛萱周回  H-23-10-7

2011-10-08 13:34:28 | 妙義・下仁田・富岡・南牧
好天気に誘われて下仁田の金剛萱(788m)を予定した。この山へは2006年に行って
いるが往路も復路も迷走してスッキリしないのできっちりと歩くため5年振りの
リベンジという訳。

下仁田市街地からR-172で青倉を通過して小河原の「明照院」を目指す。この県道は
「小平・下仁田線」とはいうものの、神流の小平まで開通しているわけでもなく
間の山岳地帯は未開通、丁度吉井を通るR-71と同じ形の未完成県道だ。

途中には「下仁田ジオパーク」の幟が目立つ。ジオパークとは自然遺産や文化遺産を
有する地域が、それらの様々な遺産を有機的に結びつけて保全や教育、ツーリズムに
利用しながら地域の持続的な経済発展を目指す仕組みで全国20ヶ所、下仁田は
先月に認定されたばかりだが、群馬では初らしい。

小さな橋で青倉川の右岸に渡り、明照院や保育園前を通過して左への作業道が
始まる角のF氏宅にお願いして駐車させて貰う。道が狭く他にスペースが無いから。

作業道の名は「金剛萱線」、一寸登ってから振り返りで集落を見下ろす(9.11)。
ここの標高は約300mだから目標との標高差は488m、だが道中が長いので急峻箇所は
極く僅かで年寄り向きのハイキングコース。



出だしで栗の実が大量に落ちていた。しめたと思って拾おうとしたら中身は無くて
イガばかり。まあ、山中では無いのでそんな上手い話は無いな。



道は沢の左岸だが大きな堰堤もある。多分この道は堰堤建設用だったんだろう。



最初は直線的な道。



20分も歩くと流石に九十九折り道になり山裾を丹念に回るようになる。角度が大きいので
直進距離は中々稼げないようだ。



前回、早く左折しすぎて山中を迷走したので今度は脇道には目も呉れずに前進。
漸く地元の人に聞いていた大きな丁字路にぶつかって左折する(9.58)。



右の草茫々の道は道標に「桑原3号」とあり、これは西に向かって金剛萱下山道に使う
「作業道・塩の宮線」にぶつかるはず。



山手の斜面に「白石工業」とのコンクリート柱、私有地なのかな?



やがて「金剛萱線」の道標が始めて現れる。



途中は樹葉が濃くて周囲は全く見えない道中だが極く僅かの区間だけ左の谷側が開けて
妙義他の山の景観。





スタートから一時間以上も歩いた頃、左から「桑原5号」が合流する。前回は迷走の末に
ここに到達した場所(10.21)。



何回も切り返しの様な曲がりを繰り返し、最後と思われるカーブを通過。前方200mが
地形図上の作業道終点のはず。



再び道標、もう出口も近い印。



そして分岐、叢の中を直進が続いているが本道は右に急旋回。



林の中に「300山」でも紹介されていた廃屋。



こんな道で100m程も戻り気味。この辺から「金剛萱遺跡」発掘の痕跡を探しながら
行くが何も見つからない。この金剛萱北面標高700mの台地では近年、旧石器時代の
石器が発見されその発掘・研究が徐々に進行中と聞いているから。



やがてぐるっと回り込んだ形で広大なこんにゃく畑に到着(10.52)。
この葉はこんにゃくのものらしい。



厳重に電牧で囲まれた畑の通路を通って南の高みから一望。しかし、茫々たる草が
目に付き、整然と植えられた他のこんにゃく畑を見た目には奇異にすら感ずる。
この畑の取入れが終わった後にこの平地でも遺跡の発掘が行われたとの
記録もある。



この畑の南部分は山地がスパツと切り崩されているが、そこから黒色火山灰土層に
おおわれた厚いローム層の露頭が新たに発見されたらしく「下仁田ローム層」
といわれ、第四紀(約200万年前~現在まで)の歴史がばっちり記録されている重要な
露頭だということらしい。但し、それに関する表示は一切無く、電牧が厳重で
近づくことも出来ない。

小休止の後、再出発、前回はこの南への正面の藪を突破したのだか、今回は道探し。



畑東南端のこの小屋の右手に道らしきもの発見。



侵入すると草が多いがしっかりした道が大きく右に旋回しながら続いていた。



道は稜線に向かって進み、直下で途絶えるが稜線まで等高線二本程度。



短いが急斜面を乗り切ると待望の稜線に難なく到着(11.16)。金剛萱と東峰の鞍部だ。



目の前には多分登山用と思われる目印。この稜線を東に抜ければ栗山地区。



西への稜線はコブ付きのアツプダウンがやや厳しいが、ルートは明確。



二つ目の大コブかな、と思って乗り切ったらそこは小さな頂上だつた(11.37)。
石像仏・石宮多数で信仰の山を思わせる。これは東からで石像二体。



西から見ると石像一体と石宮が四つ。



更に西に一寸下がって石宮二つ。



樹葉が邪魔して展望角度は極めて狭い。小沢岳?



三角点は三等で点名・浅間山 787.98m





標識は一枚、かつて存在した「778m」と誤記されていたものは無くなっている。



本日の爺イ。昼食と十分な休憩。



石像物の基石にこんな家紋らしきもの。下部分は「丸に三つ引き」と思うが
その上に山型が二つ付くのは何と言うのか判らない。



下山は周回なので北に向かって急降、見慣れたブルー紐が幾つか目に入る。
どうやらこっちが表参道に該当するらしく10分ぐらいの間に幾つもの
石像仏や石宮に遭遇する。











暫くの下りでこの突起を越えると前面は広く幾つもの小尾根が派生している。



ここで余計な発想。往路で見た「桑原3号」がこの北を走っているはずなので
探りに出かけた。地形図を見る限りでは等高線が重なるほどの急斜面だが
二本ほど探検。だが、とても歯の立つ代物ではない。転落しないうちに降参して
先ほど、確認しておいた横走りの踏み跡まで100mも登り返し。
この踏み跡は前回も使ったが前回は最後まで確かめずに尾根を下って迷走したので
そのリベンジ。



踏み跡を忠実に辿ると西に旋回するように大きな窪の上を通過して二つ南の稜線着。
この稜線なら下に断崖は無いと見極めて下る。やがて明瞭な「道」と言える
ラインにぶつかりそのまま進む。



こんなプラ杭も出てきて安心。



やがて道なりでストンと作業道に下り立った。見上げるとはっきり判る摺り跡。



作業道は左へも伸びているが草茫々(13.13)。



行く手の右への下りはこんな鋭角に曲がる角だつた。



往路と同じく蛇行の激しい道を下ると右から別の道が合流、表示は無いがこれが
さっき狙った桑原3号線の末端だろう。



何の変哲も無い道を下ると車が一台、放置車かとも思ったが良く見たら現役。



左手に初めて「塩の宮線」の道標を見ると



突然、目の前に広場風の場所。多分、工事車両や資材置き場だろう(13.53)。



ここからも結構長い道中が続く。左の山を眺めたり



カーブミラーを使って自分の姿を写したりで気を紛らわす。



何とか、下界に到着すると「しかのゆはし」で青倉川の流れを見る。



と、在る筈の物が無い。「鹿の湯」が更地になって消滅しているのだ。



後はR-172で約1K程先の駐車場まで歩く。花や



渓流を眺めながら。



天台宗「明照院」前を通過。



入り口にあった奪衣婆に「間もなくお世話になります」と丁重に挨拶。



F氏宅に到着が14.20。お茶に呼ばれて雑談の後にゆっくり走行。帰路の途中で
碓東小信号を右折して、小林山の裏山に向かって今月の10日までの
「鼻高花の丘」見物。

























歩行距離15.000歩のハイキングだつた。

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2 コメント

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金剛萱 (砂女)
2011-12-24 23:54:55
ご無沙汰しています。

23日に金剛萱へ登ってきました。クタビレ爺イさんが下山に使った道を鹿の湯橋から登路にして、下りは作業道やもう余り歩かれていないような山道を辿り、ひとつ下流の橋へ。
でも登りの山道へ入ってからの急傾斜!クタビレ爺イさんの健脚をみんなで誉め称えながら歩きました ^^。

次々と現われる石像も面白く、狭い頂上に立ち並ぶ石祠や像も想像以上で、もうすっかり冬枯れた景色の中に浮かぶ急峻な山々の姿や突然開けるあの平坦地の不思議さも堪能して、楽しい山行でした。
西上州の山、病みつきになりそうです。
re:金剛萱 (爺イ)
2011-12-26 09:28:33
砂女さん
桐生のお歴々の金剛萱記事は拝見しました。
あの石造物の配置からすると鹿ノ湯橋からの
ルートが表参道みたいなものなんでしょう。
下仁田南部には低山ながらびっしりと等高線の混み合った山が多くあり地形図眺めて
辿れそうなルートを探すのも楽しいものです。
今月は近くの石造物探訪で過ごしましたが
年が明けたら恒例になっている吉井の里山巡り
の予定です。
あにねこさん、桐生みどりさん達に宜しく。

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