
昨日、「300山」の横田氏から電話。用件は以前から依頼していた
倉渕の三角点山・「高尾」への登路を確認してきたというもの。
横田氏は16日に行って来たらしい。かねてより権田館辺りから
見えるこの山の姿が気に入っていたそうだ。
要領を仕入れたので爺イも早速出動。実はこの三角点にタッチすれば、
高崎地区三角点140点(吉井地区21を含む)全てを尋ねた事になるのだが、
登路が難しそうなので一番後回しになっていた代物。
R-29・R-406で倉渕地区を西進、権田信号から左折してR-54に入る。
信号から2.8Kで隋原集落、右のこの店が目印で細道へ左折。

道は戻り気味に南進し、約1Kでこの看板脇の空スペースに駐車。

西への道が付いているので取りあえず山手に向かう。

正面に三角点山884m、確かに低山の割には形が良い。
目標までの水平直線距離は1.07kだが、曲がりを加味すれば1.5k位。
歩行標高差は300m。(11.30)

気楽に道なりに進むとアレアレ、畑の柵で行き止まり。

位置を計測すると矢張り地形図の実線より50m程の北側に居る。
一寸戻ってこの檻から左に開けている荒地を横断して作業道に出る。

ダラダラと登るとやがて二股分岐、迷わず右の山手に向かう。

斜面を蛇行しながら登るが、左が雑木林、右が杉林。間もなく
四つ角、右角に石宮。銘は文化元年(1804)。

この年はロシア使節のレザノフが通商を求めて長崎に来た年。幕府の
焦らし作戦で一旦はアジア基地に引き上げたが、1806年に帰国するとき、
部下たちが北海道を攻撃する。北方の守りに目覚めた幕府が松前奉行を
設置したり間宮林蔵に二回に亘る樺太探検をさせたりする時代。
高田屋嘉兵衛がロシアに囚われたのは1812年。
この四つ角は直進、前方に横田氏の付けたキラキラする目印。
林間の細道は踏み跡も判るが倒木が多くて足に絡まるので厄介。
目印はこんな物が絶えず目に入る。


かなり進むと前方にコブ状の地形、どうやら別尾根に合流する
らしい。
傾斜もきつくなるが再び現われた作業道に合流。作業道なのか?
何か、昔の城址の堀の感じもする。薄い笹藪も現われる。

急傾斜が終わると前面の大きな山に突き当たり、左に大きく回って
蛇行が始まり、山裾をぐるぐる周る。そろそろ、垂れている尾根を
探して東南鞍部に行かなくてはならない。幾本かの垂れをパスして
進むと、右斜面にこの目印発見。踏み跡が急斜面を直登している。

迷わず急傾斜の尾根を登って台地着。目の前に熊のマーキング。
一瞬ギクリとするが、剥けた傷跡が変色しているのでさして
新しくは無いし今まで糞も見ていないのでやや安堵。

北に向きを変えて鞍部着、ここからは直線距離170m、等高線7本。
急に笹が多くなるが、この間のお勉強を思い出してよく観察すると
これは「ミヤコ笹」。

笹は上に行くほど濃くなり頂上手前はまるで笹藪。石宮の所で
頂上着。刈り払いもされていなく広場も無い藪の頂点(12.41)。

近くに三等三角点、點名・高尾 883.85m 三等にしては一辺が長くて
どう見ても旧タイプ。 N-36-27-20-3 E-138-44-12-2


アレッ 全く無名の山に予想外の頂上標識。珍しくも竹を二つ割りに
した形。
「高尾―――」までは読めるが、次は「岳」の感じ。その右の
文字は薄い跡だけで読み取れない。 こんな山で「岳」とはピンと
来ないが著名な「高尾山」に遠慮したのかな?
そう云えば中ノ条の「高野山」もご本家に遠慮して「タカヤサン」。

隣のリボンに書き込み。「2009-11-16 安中 S.Y」は横田氏のサイン。

周囲の枯れ枝が邪魔して展望は写真にならず。一枚だけ。

本日の爺イ。休憩・軽食中に風が強くなり、さっさと下山。

目印のお陰で無事に迷わず帰着(13.51)。東のこの山は多分榛名山塊。

此れで旧の高崎・吉井・群馬町・箕郷・榛東・榛名町・倉渕・吉岡町の
三角点は終わったので今冬は安中(松井田含む)に挑戦予定。

倉渕の三角点山・「高尾」への登路を確認してきたというもの。
横田氏は16日に行って来たらしい。かねてより権田館辺りから
見えるこの山の姿が気に入っていたそうだ。
要領を仕入れたので爺イも早速出動。実はこの三角点にタッチすれば、
高崎地区三角点140点(吉井地区21を含む)全てを尋ねた事になるのだが、
登路が難しそうなので一番後回しになっていた代物。
R-29・R-406で倉渕地区を西進、権田信号から左折してR-54に入る。
信号から2.8Kで隋原集落、右のこの店が目印で細道へ左折。

道は戻り気味に南進し、約1Kでこの看板脇の空スペースに駐車。

西への道が付いているので取りあえず山手に向かう。

正面に三角点山884m、確かに低山の割には形が良い。
目標までの水平直線距離は1.07kだが、曲がりを加味すれば1.5k位。
歩行標高差は300m。(11.30)

気楽に道なりに進むとアレアレ、畑の柵で行き止まり。

位置を計測すると矢張り地形図の実線より50m程の北側に居る。
一寸戻ってこの檻から左に開けている荒地を横断して作業道に出る。

ダラダラと登るとやがて二股分岐、迷わず右の山手に向かう。

斜面を蛇行しながら登るが、左が雑木林、右が杉林。間もなく
四つ角、右角に石宮。銘は文化元年(1804)。

この年はロシア使節のレザノフが通商を求めて長崎に来た年。幕府の
焦らし作戦で一旦はアジア基地に引き上げたが、1806年に帰国するとき、
部下たちが北海道を攻撃する。北方の守りに目覚めた幕府が松前奉行を
設置したり間宮林蔵に二回に亘る樺太探検をさせたりする時代。
高田屋嘉兵衛がロシアに囚われたのは1812年。
この四つ角は直進、前方に横田氏の付けたキラキラする目印。
林間の細道は踏み跡も判るが倒木が多くて足に絡まるので厄介。
目印はこんな物が絶えず目に入る。


かなり進むと前方にコブ状の地形、どうやら別尾根に合流する
らしい。
傾斜もきつくなるが再び現われた作業道に合流。作業道なのか?
何か、昔の城址の堀の感じもする。薄い笹藪も現われる。

急傾斜が終わると前面の大きな山に突き当たり、左に大きく回って
蛇行が始まり、山裾をぐるぐる周る。そろそろ、垂れている尾根を
探して東南鞍部に行かなくてはならない。幾本かの垂れをパスして
進むと、右斜面にこの目印発見。踏み跡が急斜面を直登している。

迷わず急傾斜の尾根を登って台地着。目の前に熊のマーキング。
一瞬ギクリとするが、剥けた傷跡が変色しているのでさして
新しくは無いし今まで糞も見ていないのでやや安堵。

北に向きを変えて鞍部着、ここからは直線距離170m、等高線7本。
急に笹が多くなるが、この間のお勉強を思い出してよく観察すると
これは「ミヤコ笹」。

笹は上に行くほど濃くなり頂上手前はまるで笹藪。石宮の所で
頂上着。刈り払いもされていなく広場も無い藪の頂点(12.41)。

近くに三等三角点、點名・高尾 883.85m 三等にしては一辺が長くて
どう見ても旧タイプ。 N-36-27-20-3 E-138-44-12-2


アレッ 全く無名の山に予想外の頂上標識。珍しくも竹を二つ割りに
した形。
「高尾―――」までは読めるが、次は「岳」の感じ。その右の
文字は薄い跡だけで読み取れない。 こんな山で「岳」とはピンと
来ないが著名な「高尾山」に遠慮したのかな?
そう云えば中ノ条の「高野山」もご本家に遠慮して「タカヤサン」。

隣のリボンに書き込み。「2009-11-16 安中 S.Y」は横田氏のサイン。

周囲の枯れ枝が邪魔して展望は写真にならず。一枚だけ。

本日の爺イ。休憩・軽食中に風が強くなり、さっさと下山。

目印のお陰で無事に迷わず帰着(13.51)。東のこの山は多分榛名山塊。

此れで旧の高崎・吉井・群馬町・箕郷・榛東・榛名町・倉渕・吉岡町の
三角点は終わったので今冬は安中(松井田含む)に挑戦予定。












そんでもって 私が住むところが 大倉嶽と言う場所なのですが どこかに 大倉嶽という 山があるはずだ! と この地を訪れた どっかの先生が言っていた
と
義父に良く聞かされます(笑)
現代では岳に書き換えられているとすれば大倉岳?
山と岳に付いては爺イは未だ頭の中が
スッキリしていません。
こんな記事も読んではいるのですが。
http://www.j-real.com/honmakaina/R8.html
とか
http://blog.livedoor.jp/nonnkikunn/archives/15325456.html
は如何でしょうか?
明治二十二年の合併で「伊参村」に統合されるまで「蟻川」地区は
「蟻川邨」、面白い事に、今の蟻川岳の西に「蟻川嶽」、東北に「大倉嶽」という「小字」がありますね。「嶽」の付く小字が一つの山の両側にあるとは珍しいのですが、それなりの呼称の山があった筈。
だが、近辺には蟻川岳が一つだけ。そこで爺イの勝手な推論を二つ。
(1)同じ山なのに見上げる地域によって呼び名が違った。
西の蟻川嶽地域の人は「蟻川嶽」と呼び、東の大倉嶽地域の人は「大倉嶽」と呼んだ。これは「名知良久」の事を小字に「名智良久」を持つ北の「平村」では「名知良久山」、同じく小字に「名字楽」を持つ南の「青山村」では「名字楽山」と呼んだ事と同じか?
(2)現在の蟻川岳の二つの峰に夫々名が付いていた?
大倉嶽地区から蟻川岳を見ると南峰が近くて大きく見えるのか?
そして蟻川嶽地区からは三角点のあるピークが大きくて近い、或いは南峰は陰になって見えない?
いずれにしても、三角点ピークが蟻川岳、南峰が大倉岳だったが
「大字蟻川」の名のもとに何時の間にか蟻川岳に統一か?
お〜ちゃんのお住まいが「大倉嶽」と聞いてのお遊びでした。
大倉嶽地区からは 山の真ん中が一番高く見えます。
蟻川嶽地区からは どうだったかなぁ。