クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

第60回 牧水まつり 中之条逍遥 その1 H-28-10-20

2016-10-21 19:07:38 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
昨日の雨が嘘の様に晴れ渡った10/20、中之条・暮坂峠の「牧水まつり」に
出かけた。今年が60回目なのに参加するのは初めてだ。

牧水の『みなかみ紀行』には、1922年10月14日に沼津の自宅を出発し、
長野県、群馬県、栃木県をまわり、11月5日に帰着するまでの24日間の旅のうち、
長野県の佐久から栃木県の日光湯元温泉までの紀行が綴られその中に
多くの詩歌がちりばめられている。
その経路は次の資料が分かりやすいので転載させていただく。
某サイトより借用の経路図



「みなかみ紀行」の「みなかみ」とは利根源流のことだったが、平成大合併で
月夜野町、水上町、新治村が合併した時には水源の町としてこの「みなかみ」を
新町名にしたので平仮名の町名となった。(群馬では他にみどり市)

牧水は旅の途中で草津温泉から花敷温泉経由で沢渡温泉への道を辿っているが
その時にここの暮坂峠を越えている。
紀行文の中では「--ひろびろとした枯芒の原、立枯の楢の打續いた
暮坂峠の大きな澤に出た。峠を越えて約三里、正午近く澤渡温泉に着きーー」
と有るだけで峠自体の情景描写はないが「枯野の旅」という詩を残しているので
それを記念するため1957年に「牧水詩碑保存会」が詩碑を建てたのである。
「枯野の旅」が刻まれた碑の上に、マントを羽織った旅姿の牧水像で
現在は中之条町歴史と民俗の博物館に展示されており現地には1987年に
作り替えられた銅製レプリカだったが今は盗難にあってしまって存在しない。

「枯野の旅」  若山牧水

 乾きたる 落葉のなかに栗の實を
 濕りたる 朽葉がしたに橡の實を 
 とりどりに 拾ふともなく拾ひもちて
 今日の山路を越えて來ぬ

 長かりしけふの山路 樂しかりしけふの山路
 殘りたる紅葉は照りて 餌に餓うる鷹もぞ啼きし

 上野の草津の湯より 澤渡の湯に越ゆる路
 名も寂し暮坂峠

今年の七月ごろある事件が報じられた。
この銅像が盗まれ県警吾妻署が窃盗事件として捜査しているというもので
高さ1.2mの銅像の足首の部分を刃物で切断したとみられるとか。
8月頃、犯人が逮捕後に起訴されたとNHKが伝えたが像はどうなっているのか?
確かめたかった。
保存会の話では「美術品としての価値は高い」が、一般的に足首が欠けた
銅像の価値は低下すると言う。また、溶かしても数万円相当にしかならないそうだから
窃盗の目的が分からない。

余談になるが、牧水の当初の予定は沼津の自宅から佐久に行き佐久新聞社主催の
短歌会に出席したあと、高崎を経て沼田に向かい、片品川沿線を日光へだったが
短歌会のあと、急遽予定を変更して「小諸懐古園・星野温泉・嬬恋・草津温泉
花敷温泉・暮坂峠・沢渡温泉・四万温泉・中之条・沼田ーーー」になったと
記録されている。
このやや気まぐれな予定変更が無ければ暮坂峠を越えることはなく「枯野の旅」
は生まれなかったことになる。

さて、本題に戻ると式典の開始がam.11.00と言うことで現地までの65kmを二時間と
想定して出発。別名日陰道のr-35を西進して「植栗」で右折してR-145(長野原ー沼田)に入り
R-353(桐生ー柏崎)に乗り換えて四万方面へ進み、トンネルの先で左折して
r-55(中之条ー草津)を西進暮坂峠に向かう。
沢渡バイパスは沿道に赤いサルビアが繋がり目を楽しませる。



やがて沢渡温泉の東口、看板に釣られて温泉街を走るが、台地から下り道に
かけてが温泉中心街と見られるが午前中のせいか、人影もなくひっそり。



左前方の小山の奥に有笠山(820m)、この登山口からは家ノ鞍山(1022m)にも通ずる。



次いで右手には古界名山(1131m)の南面岸壁が見えるが登路は北西面だから
あの崖を直登する訳ではない。



仙人窟入り口を通過、途中の休止中の筈の老人ホームの道標も残っている。
この「老人健康村美ら寿」は1972 年、自給自足をしながら充実した老後の生活を
できる施設をつくろうという呼びかけによって設立されたが今は休止状態。



暮坂峠はここから約10kの蛇行山道を登って榛名湖畔とほぼ同じ標高の1088mの
ところにある。途中で大岩不動尊前を通過するがここは帰路に寄る予定。
峠に着くと早くも関係者や観客で広い駐車場は一杯で苦労して隅に潜り込み。
意外にも「紅葉真っ盛りの中でーー」の筈が大外れで殆ど見られない。
最近の暖気で相当遅れ気味か?すると今月末から予定している紅葉巡りは
一週間以上ずらさなければならないかも。



直ぐに歌碑の所に行って見たが遠めにも銅像が無いと直ぐ分かる。どうやら今日は
肝心の銅像無しでのセレモニーになるようだ。



直ぐ脇に盗難の経緯を記した建て看板。保存会はこの盗難と今月の会長逝去という
不幸に見舞われている。



手前に半月形の石碑、銘を見ると「若山喜志子」とあるので牧水夫人(1968年没)。
牧水と同じく歌人で「創作」の主宰者、歌集に『無花集』『白梅集』等。

「碑の上に 刻まれて立つ旅すがた 生きていま
                そこに立つかと思ひし」




歌碑に近寄ってみた。像は右の台柱の上に立っていた筈。



かっての姿。



下の歌碑碑文は鏡面仕上げの為、背景が写りこんで角度の工夫はしたものの
これが精一杯。因みに全国の牧水歌碑は288基で関東では53基、群馬は
27基。中でも草津・中之条が16基、その他では老神・水上・磯部の各二基のほかは
5町村で五基。



歌碑の後ろの高みに登って背後から見ると足首部分からの切り取りの痕跡が
はっきりと見えたが足場の悪い斜面の3mもある歌碑の上に立つ推定70kの
銅像をどうやって切り取って運んだんだろうか?



準備が始まったので邪魔しないように一旦、下に降りると「暮坂峠頂上」の道標。



県道の反対側には茶屋風の建屋があり、一般参加らしい方々がコーヒーを飲みながら
開始を待っている。



定刻まじかになると関係者のみ歌碑の斜面に集まり始めるが、爺イも関係者の
振りをして斜面に陣取る。



歌碑の横に関係者が一列にずらっと並ぶ。このお偉いさんたちが全員挨拶要員
だったらと不安になったが挨拶は数人で大多数は指名紹介だけで済んだ。



茶屋前には一般参加の人が見守る。



逝去された町田前会長さんの冥福を祈って黙祷。



山本副会長(中之条側)の開会の辞動画
(動画を途中で止めるには画面左下の縦二本棒をクリック、終わってから
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開会挨拶


市川副会長(草津側)さんの献酒。



中之条町長さんのご挨拶。



山本副会長さんの「枯野の旅」歌詞の朗読

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朗読


市川副会長さんの閉会の辞でセレモニーは終了。
その後は中之条吟詠会・あかしやコーラスなど等のアトラクションが続く。
その中の一つあかしやコーラスが「枯野の旅」を歌う。
(動画を途中で止めるには画面左下の縦二本棒をクリック、終わってから
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あかしやコーラス


こちらはイベント恒例の無料きのこ汁を振舞われてご満悦。



最後は市川副会長さんに挨拶して峠を下り大岩不動尊に向かった。
この方は草津・一井ホテルの経営者。



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