団塊オヤジの山歩きブログ 

山歩き写真をメインに掲載します

年度末

2012-03-31 09:18:47 | 番外編

雨水を貯めた新築マンション

 電話機を換えたらネットが繋がらなくなり何とか繋がったが・・・今日は年度末である。大学生の就職内定率も80%、大学を出ても・・・が続いている。年功序列は崩れ歳を経ても給料が上がらないでは生活設計もできない。アメリカンスタンダードもいいが、これじゃ少子化も止められない。公務員志望の安定志向ばかりでは活力も生まれない。何とか閉塞した日本経済を元気にしなければならない。

 4月からは物価スライドで年金も下がる。上がり続ける医療費、延命だけの高度医療なら要らないと子供たちに云ってある。すぐ病院じゃなく『おばあちゃんの知恵袋』の伝承を今一度見直したいものだ。

 15年愛用のわが家FAX電話機、埃が入ったのか紙送りがおかしく手動で何とか印刷している。子供が年度末で安売りしている、振り込め詐欺対策にもなるから買い替えたらとカタログを持ってきた。騙されるだけの蓄えもないがFAXのプリントには閉口している。満期になって衝動買いはしなくなった。テレビもそうだが技術革新?デフレなのか何でも安くなった。10%ポイント引き後で子機1台付きが8,480円だった。

 都内の新築分譲マンション、エントランスの横には雨水を貯めたワイン樽に懐かしい手押しポンプがあるのを見た。大震災から新規マンションにはサバイバルの知恵を絞っている。デジタル製品に慣れてしまったがアナログも知らないと生き残れない団塊世代はまだ物のない脱脂粉乳や継ぎはぎを知っている最後の世代だ。便利な車や電気製品だがでは自身の足だけが頼り、文明の利器は何の役にも立たない。

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達磨山高原4

2012-03-30 06:11:15 | 飲食編

    沼津港魚河岸『丸天』マグロのテールシチュー

 仲間の誰かが満期になる度に新宿から小田急の急行に乗り新松田からは御殿場線に乗り換えて沼津に集まった。沼津港の魚河岸でご苦労さん会をした。最初は一番の先輩で地元に戻ったSちゃんからだった。

 達磨山の帰りには沼津港で晩飯を食べて帰ることにしていた。Sちゃんの自宅に車を置き1台で沼津港へ向った。ロッククライミングで知られる岩山に御用邸の解説を訊きながらのドライブだ。今回は鮨屋より名物海鮮かき揚『丸天』にした。寸又峡からの帰り静岡駅で途中下車し(静岡駅前店は現在ない?)海鮮かき揚丼を注文、隣の席では魚の店でハンバーグ?尋ねるとマグロのテールシチュー1,260円だった。お裾分けしてくれて美味かった。早速刺身の盛り合わせと一緒に注文し宴会が始まった。

 〆の海鮮かき揚げ丼945円は食べ切れなかった。特許取得の円筒の網に入れて揚げるのをテレビで見て出掛けたのは10年?も前だ。http://blog.goo.ne.jp/goowinemeakan/e/af02fcc8b86abe3e4f9e5f30315e7526

  何と決行日以外のだるま山からの富士見はバッチリだ。だるま山からのライブカメラで天気のよい日には覗いている。2年前は鎌倉の源氏山公園で寒い2分咲きサクラの下で宴会をした。今回も好天に恵まれない会だったが年に1回は集まろうと沼津駅で別れ帰途についた。ハイブリットカーの燃費は21kmだった。

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修善寺温泉

2012-03-29 06:12:44 | 温泉巡り編

 桂川の中にある独鈷の湯

 修善寺温泉『独鈷(どっこ)の湯』で知られている。川原で病気の父親の体を洗う少年のために弘法大師が独鈷を用いて岩を砕き、そこから湯が湧出したとされ修善寺温泉の起源だそうだ。独鈷とは密教で用いる法具で鉄製または銅製で、両端がとがった短い棒状のものだ。

 温泉街の中心に修善寺川(通称桂川)が流れ、河岸には温泉宿や飲食店が建ち並んでいる。川中の四阿には、同温泉地のシンボル的存在の『独鈷の湯』があり無料で足湯を楽しめる。至近には地名の由来となった修禅寺があり多くの観光客が訪れる。遊歩道が整備され竹林の小径などが散策の人気スポットになっている。

 温泉街付近には源氏に関する史跡がある。鎌倉幕府の時代には第2代将軍源頼家が修禅寺に幽閉され暗殺されたことで知られる。頼家の墓や頼家の冥福を祈って母である北条政子が建てた指月殿などが残っている

 修禅寺から温泉街をグルっと歩いてみた。和風の温泉旅館が多く竹林の小径の散策路には多くのおばちゃん達グループが歩いていた。桂川沿いの橋の欄干は朱色に塗られて独特の風情がある。わが家のカミさん達は何回も来ている。せさらぎを訊きながらグルっと散策してみた。熱海温泉が専門のオヤジ、この落着いた修善寺温泉がおばちゃん達に人気なのが何となく判る気がした。

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修善寺の修禅寺

2012-03-28 06:13:22 | 山と麓の社寺編

  山門から修禅寺本堂を望む

 修禅寺(しゅぜんじ)は、静岡県伊豆市修善寺にある曹洞宗の寺院で山号は福地山。正式名称は『福地山修禅萬安禅寺(ふくちざんしゅぜんばんなんぜんじ)』だが、略して福地山修禅寺と呼んでいる。夏目漱石の『修善寺の大患』、岡本綺堂の『修善寺物語』で知られているが地名は修善寺でお寺が修禅寺とは知らなかった。

 807年に空海が創建したと伝えられ約470年間は真言宗に属していた。鎌倉時代初期に修禅寺の名称が定着し『修禅寺』と呼ばれた。源頼朝の弟の源範頼と、その息子で鎌倉幕府2代将軍源頼家が当寺に幽閉されこの地で殺害されたことで知られている。1249〜1255年に元の密偵と疑われていた蘭渓道隆が避難のために来住し、それに伴って臨済宗に改宗された。戦乱の被害を受け1409年の大火災で伽藍が全焼し荒廃した。伊豆一国を収めた伊勢新九郎長氏(北条早雲)が、叔父に曹洞宗の寺院として再興させたそうだ。 

 『修善寺物語』源頼家の最後を題材とした戯曲で1908年(明治41年)岡本綺堂が修善寺を訪れたときに作者不明の古いお面をみて、3年後東京明治座で2世市川左団次の夜叉王にて初演され大変好評を博した。歌舞伎作品としては珍しく各国語に翻訳され、パリでフランス人俳優によっても上演された。数々の名台詞をちりばめた傑作である。狭い修善寺温泉街を抜けお寺の駐車場に停めて参詣したが遠来の4人は初めてだった。

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中伊豆温泉

2012-03-27 06:22:29 | しごと編

『湯の国会館』の露天風呂と狩野川

  『伊豆の国市』『伊豆市』が平成の市町村合併で出来たがややこしい。伊豆長岡市・韮山町・大仁町が合併して伊豆の国市修善寺町・中伊豆町・天城湯ヶ島町・土肥町が合併で伊豆市となった。里山班で一緒の沼津東高出身の大先輩伊豆北条市で応募したが僅差で伊豆の国市になったと訊いたが判りにくい。

 狩野川沿いにある伊豆市営の『湯の国会館』に着いた。2時間で800円では昼飯をして温泉に入ってでは時間が足りない。1日フリーの千円とした。広い和室の休憩室には年寄りグループが何組もいた。お茶や湯もあり早速各自持参のおにぎりに熱い味噌汁とチキンラーメンで昼食を先にとった。

 オヤジは個別にワイガヤとやってきたが5人が一同に揃うのは5年ぶりのようだ。全国の一之宮神社巡りをしている物知り博士は家業で早期退職したが、他4人は今時珍しく満期まで勤めあげた。同じ揉まれて生きてきた団塊世代だがヨイショのできない世渡り下手が幸いした

 本音本質を語れば角が立つそんな組織にうんざりしていた仲間達、得意先の後押しが幸いした。休憩所で持参のつまみで駆け出しの頃や誰それのその後の話題で盛り上る。満期後は会社と距離をおき地域奉仕や元会社と縁のない仕事わが道派ばかりだが溌剌とした第二の人生を送っている。一時期出世しても親亀こけて外され流されたのも多い、人生は〆てどうかである。高級店に通っていた元幹部の訃報も伝え訊く。現役時代から粗食に堪えてきたのが幸い?やはり粗食が健康に一番いいとなった。

 

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達磨山高原3

2012-03-26 06:11:07 | 山歩き編

 霧香峠から金冠山

 達磨山(だるまやま)は静岡県沼津市と伊豆市との境界にある982mの80万年前から50万年前の火山活動で形成された火山で大きく侵食されて残った峰の一つ。元は海底火山だったそうだがフィリピンプレートによって運ばれ本州と地続きになった。現在も毎年5cm北へ移動しているそうである。

 今年の2月23日富士山の日も生憎の天気だったようだが伊豆修善寺・だるま山高原レストハウスで『伊豆フェステバル』 が開かれた。Sちゃんから来場者にシカ肉や生ワサビのサービスしている新聞の切り抜きをもらった実行委員長がSちゃんだった。記事では『富士山を一望する素晴らしい景観の下、地元のおいしい食材や特産品をアピールすることが目的。来年も開催したい。』と語っている。何と地元の有名人だ。

 Sちゃんは山に登る格好で待っていたが冷たい雨が降って視界も悪いから山歩きは止めようとなった。ドライブで案内してもらった。達磨山はなだらかな稜線でササにおおわれているから晴れたら360度のパノラマだ。達磨山と金冠山(きんかんやま)816mとの霧香峠からは爆裂火口だったといわれる戸田湾(へたわん)が左下に見える。伊豆半島のおいたちの勉強をさせてもらった。

 屋根のある東屋で湯を沸かして昼メシにしようと探したがやはり寒さは真冬並みだった。防寒装備もイマイチなので温泉に直行して昼にしようと中伊豆温泉へ向った。

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達磨山高原2

2012-03-25 06:00:05 | 山歩き編

日本一の富士といわれている

 達磨山から望む富士山日本一と語る元同僚で地元を愛するSちゃん天候不良で順延に次ぐ順延としたがこれ以上の順延はなしと決行したのだが予報は雨で見事に外れなかった。沼津インターを出てから『だるま山高原レストハウス』には1時間で10:30に着いた。駐車場に停めて外へ出ると真冬並みの寒さで震えた。延期した中で最悪の悪天候だった。地元PR大使Sちゃんが駐車場で待っていた。

 レストハウスから富士山の方角を望むと、かすかに駿河湾が判るくらいで富士山はまったく見えない。元来能弁のSちゃん伊豆のボランテイアガイドをしているので説明も慣れたものである。

  1939年ニューヨーク万博に出展する富士山の撮影地を探していたが、『日本一の富士山の撮影地はここ意外にない。』と行き着いた場所がここ『だるま山』だったそうだ。縦8.2m横32.7mの巨大作品は博覧会会場で大絶賛を博した。当時はモノクロの写真の時代、さくらフィルムの旧小西六が何枚も繋ぎ合わせた。

 レストハウスの中に大きな写真が飾ってあった。晴れればこのように望めたのである。下のモノクロが万博に出展した写真であります。確かに駿河湾が箱庭のように見える。ライブカメラもあるので是非天気のよい日に覗いて頂きたい。

ライブカメラはここ ⇒  http://izutanken.u-izu.com/daruma/top.htm

 

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達磨山高原

2012-03-24 06:03:32 | 山歩き編

東名高速沼津料金所

 2回も天候不良で順延にした伊豆達磨高原ハイク。3回目は天候に関係なく決行とした。おっさん4人(1人は腰痛で断念)が早朝新百合ヶ丘駅に集合。Fさんのハイブリッドカーに便乗した。東名川崎から東名沼津インターまでだが海老名辺りから予報が的中し雨が落ちてきた。厚木インターでは圏央道が御殿場インターでは新東名がもうすぐ開通のようだ。大井松田辺りでは河津サクラが満開だった。

  新幹線は1964年東京オリンピックに間に合わせて完成した。日本最初の高速道路は名神高速で1963年に西宮―栗東間が開通、1965年に全線開通した。東名高速と繋がったのは1969年である。

 1966年高校修学旅行の時に4人が割り勘で名神高速京都東から京都南をタクシーで走ってみた。1968年1年の夏休みに京都から神戸へ遊びに行ったが京都の蒸し暑さにはうんざりした。しかし祇園祭には感動した。神戸出身Yが親父の車に乗ってきて京都南から神戸の垂水まで名神高速〜阪神高速〜神明道路と乗り継いだ。暗くなってから走ったのだがフロントガラスにぶるかるで前が見えなくなったが今は蛾がいなくなった。

  名神は直線が多く単調になって居眠りが多くなるのか事故が多発した。確かに高槻から茨木の長いダウンの直線コースは飽きてしまう。その教訓で東名はゆるやかな曲線にしたそうだ。第二東名の新東名高速が4月14日に御殿場〜三ケ日間が開通するようだ。高い橋脚が並ぶ箱根の山岳地帯、将来メンテで金がかかりそうだ。沼津インターまで1時間で着いた。どしゃ降りで最悪の天気となった。

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梅便り

2012-03-23 06:06:23 | 草花・樹木編

町田市宏善寺の枝垂れ梅

 町田Nさんから枝垂れ梅の写真が送られてきた。さすがのアングルであります。元取引先会社で人生の大先輩、今も地元中学校でテニスコーチをしている。地元写真クラブの世話役で実兄は著名な画家である。3月は卒業式やら撮影に出掛け相も変わらず忙しく動き回っている。これではボケることもないだろう。

 高知ではサクラ開花のニュースがあった。今年はウメとサクラが一緒に楽しめそうである。満期になってから伊豆に戻って地元のPL大使をしている元同僚を元仲間達と尋ねる計画たが2度も天候不良で順延にした。富士見をしながら伊豆高原ハイク、もう天気にかかわらず決行することにしていた。今日は雨予報だが富士山は東京でも眺められる。目的は温泉とサクラエビでの同窓会である。

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幕末ゆかりの道

2012-03-21 06:12:09 | 歴史散策編

小野路の道場に通った布田道

 多摩地方は新撰組局長近藤勇や副長土方歳三等を輩出した地である。日野市万願寺(旧石田村)には土方歳三の生家がある。現在地から東側200Mにあったらしく淺川の氾濫で移転したそうだ。この界隈は『土方』性の家が多い。多摩モノレール『万願寺駅』降りてすぐ近くにある。

 わが家の近くには『いざ鎌倉』鎌倉街道、大山参りの大山道、横浜港までのシルクロード・絹の道の中継地だった旧小野路宿がある。狭かったバス通りを拡幅し宿場町の面影がなくなりがっかりしていたら通りが板塀で当時の街並みが復元されつつある。この地の名主だった小島家には道場があり若き頃の近藤勇や土方歳三が出稽古に出かけたそうだ。道場に通ったと云う布田道が今も残っている。

 大学地域会で小島家の現当主に講演してもらった。丁度NHK大河ドラマ『新撰組』(2004年)の年だったので『新撰組ゆかりの地』としてブームになっていた。小野路の小島家には資料館があり見学(曜日注意)ができる。

 現役時代には中仙道脇街道・川越街道で仕事をした縁で板橋宿はよく散策した。近くの板橋区役所には大学同期もいたので一緒に昼をよくしたものだ。流山で近藤勇が捕われ総督府のあった板橋宿に連行され板橋の刑場で斬首された。JR板橋駅傍に墓がありいつも線香があげられている。

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お彼岸と云えば 

2012-03-20 11:45:04 | 飲食編

当家は大地に絆と記した 

 今日は彼岸の中日当家寿陵墓の掃除に行ったがやっと春の陽気に。散歩がてらに行ける公園墓地は宗教・宗派を問わずで殆ど洋墓だ。芝生墓地がいいと思ったが管理費が高いので一般墓地にした。今月引き落とされた通帳を眺め見栄を張らなくて正解、毎年の管理費も積もれば大きい。北海道の大地に絆と記してある。

 彼岸を調べてみると、煩悩を脱した悟りの境地のことで煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の『此岸(しがん)』と云うのに対して、向う側の岸『彼岸(ひがん)』と云うそうだ。『彼岸会(ひがんえ)』は雑説の一つで、春分・秋分を中日とし前後各3日を合わせた7日間に行われる仏事の事を云うそうである。

 現在は生を終えていった祖先を供養する行事として定着している。お供え物するものに『おはぎ』がある。では『ぼた餅』と『おはぎ』はどこが違うのだろう?餡の本場で育った古里はこし餡『ぼた餅』だった。大阪では粒餡でどっちだったか?春のお彼岸は、冬を越した小豆を使うので皮が固くなっているから皮を取り除くこし餡を使うのでぼた餅、秋は採れたての小豆で皮がやわらかいので粒餡にするのがおはぎと云う説がある。

 どうも彼岸の頃に咲く牡丹(春)萩(秋)に由来するようだ。よって春はぼた餅秋がおはぎが正しい?らしい。しかし買ってきたのを見ると春の彼岸でも『おはぎ』でこし餡だった。おはぎの方が上品な感じがする。どっちでもいいか。渋谷駅地下で買う古里のサザエ食品は『十勝おはぎ』でした。http://www.sazae.co.jp/

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古民家前の梅

2012-03-19 06:16:04 | 草花・樹木編

剪定した梅も咲きました

  近くの古民家のある里山公園へ梅を見に毎週通っている。今年の梅の開花はひと月以上も遅れやっと咲いた。昨年の里山中級講座剪定の実習をした梅の木を撮ってきた。梅は長持ちするから今年は桜と一緒に見られるかもしれない。

 昔から『桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿。』という諺がある。梅は『剪定をしないといけない。』と云う意味で、剪定の必要性を教えたものだ。桜はむやみに伐ると切り口が腐敗し剪定には注意が要る梅の樹は剪定に強く、むしろかなり切り詰めないと徒枝が伸びて樹形が雑然となり実の付き方も悪くなる。花芽は年々枝先へと移動し、実が付く枝は数年で枯れ込んでしまう。実の収穫を目的とするのであれば定期的に枝の更新する必要がいる。『塩梅(あんばい)』と云う梅言葉、これは梅と塩による味付けが美味くいったことを表したものだ。 

 ここの里山公園は別の班が管理している。また移築した寄棟造りと入母屋造りの古民家2棟シルバー人材センターが管理を委託されている。多摩地方の典型的な農家で江戸時代の1800年代の建築と推定されている。土間には竈があり座敷には囲炉裏がある。夏は涼しいが冬は寒そうだ。

 雑木林に囲まれた一帯は四季折々の草花が見られ、鎌倉古道や尾根古道のハイキングロードとして地元に都心や近郊からのハイカーで賑わう。キジも何度か見かけるこの里山はわが家の近くにある。

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神宮前交差点

2012-03-18 06:17:30 | 都心ぶらり編

新ファッションビル4月18日オープン

 表参道と明治通がクロスする神宮前交差点で建替え中のビル足場が外れた。元青山セントラルアパートが建っていたがバブル期に地上げされた。途中で弾け10年程放置されていた。その後に事業用定借でビルが建ちGAPのビルとして知られていた。期間満了で解体し建替え工事中だったが4月18日に新しいファッションのテーマパーク『東急プラザ・表参道原宿』としてオープンする。

 原宿青山地区では空き店舗も多く消費不況が続いている。しかしここは1等地だけにテナントがすべて決まっているようだ。地下1階、地上7階のフロアにアパレルや雑貨、ライフスタイルショップなど旬のファッションをトータルでまとめ出店テナントは全27店舗が出揃った。注目は、日本初上陸のカジュアルブランド『アメリカンイーグルアウトフィッターズや世界最大級のグローバル旗艦店になる『トミー ヒルフィガー、新業態で初出店となる『ザ・シェルター トーキョー の大型旗艦3店舗が入るそうだ。ネットとリアルの融合による次世代型ショップ『ユーモア・ショップバイ エイ・ネット』 をはじめとした新業態店、人気シュー『「ミネトンカ」 の直営店、東急ハンズが展開するライフスタイルショップ『ハンズビー』 など都心ならびにエリア初となる店舗も多数出店する。


現在、公式フェイスブックでは、メルマガ会員に登録すると、東急プラザ表参道原宿のお得な情報や旬のイベントのお知らせなど、会員限定のニュースが届くので、ぜひチェックしてみてはとPRしている。だがオヤジ達には知らない店ばかりで縁のないビルのようだ。

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研修の講師

2012-03-17 08:03:50 | しごと編

1909年東京の地図(真ん中の縦の線が山手線で左が現在の明治神宮)

 公務員に転進する元会社の若手研修F講師とおんちで飲んだ。満期翌年の新卒入社だから接点はないのだが駆け出しの大阪時代に知り合った企業研修のFさんが縁だった。1年半程前にFさんから若手達と飲もうと誘いがあって飲み会した以来である。

  Fさんとは38年程前に数度研修を受けたが大阪駅前の事業部に転勤し更に東京転勤で疎遠になった。15年後谷のアパレル仲介で知られる不動産会社で偶然再会した。隣のパーテーションのテーブルから訊いたことのある声がした・・・何とFさんだった。夕方からの社員研修にきていたのだ。

  入社し3日・研修、3ヶ月・配属先と仕事、3年・1人立ち、13年・どこまで行けるかで悩む。最初の商社では3ヶ月で決めた。後は転進の軍資金を貯め1年後に転職したと。満期までいた会社で留まったのは顧客だった。やり終えたら次にやってみたい事業部へ、そして花の東京へ希望転勤とマイペース。やりたい地域の古地図を探し地名の由来を辿り、こんな作品を残したいと語って顧客が後押ししてもらい深い絆となったからだ。

  しかし今や市場は過剰ストックが続いている。建設不動産業界は不況にデフレで値下げの時代。遅れてきた不動産会社社長のMちゃんテナント埋まらずストレス太りしていた。プロが運用で失敗する、素人に看板で信用させ狂うと自己責任では無責任だ。人口減少で10年先20年先は推して知るべし。甘い『たら、れば』予測で垂れ流した国家財政や年金運用の轍を踏ませてはならない。また農耕民族が狩猟民族にはなれない。人員過剰の業界は荒れた山野に新たなビジネスを見い出せとoyaziは提言している。

 

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『銀の匙(さじ)』

2012-03-16 06:08:11 | 北海道編

舞台は大蝦夷農業高校

 高校や大学入試も一段落、昨日は卒業式の晴れ姿を見かける。そしてもうすぐ入学式を迎える。オヤジのように東京に憧れ上京する者、大都会を嫌って地方の学校に行く者と様々である。我が家の次男は親の逆で高校から北海道へ遊学した。甥子から中古車を譲ってもらい北の大地の隅々を走り回っていた。スキーはインストラクターの資格までとって帰ってきた。

 商売柄か本を読ませたら特急並みの速さで読み切ってしまうのがライターの長男、面白いからと文庫本をよく渡されるが長編物は目が疲れて時間がかかってしまう。先日これも面白いからとコミック本を渡された。漫画は見ないのだが手塚治虫の『アドルフに告ぐ』や北アルプス山岳救助隊の物語で映画にもなった『岳』には嵌って揃えている。『岳』は山歩きのバイブルなのでもある。

  渡されたコミック本は豚丼の古里・帯広が舞台である。登場する『大蝦夷農業高校』は管内道内各地から農業後継者の子弟が集うのだが、札幌からサラリーマンの子弟が入学したのである。生徒達の繰り広げられる人間模様に自然と動物との触れ合いがユーモアに富んだ描写で画かれている。

  実在の農業高校OBが原作者のようだ。次男が札幌郊外の全寮制の酪農学科に遊学したときに訊いた話とダブってしまう。北海道農業の理想と厳しい現実を涙と笑いで画かれている。当家の次男は酪農から造園林学へと転進した。農工定期戦野次合戦には笑ったが実話である。面白いので是非詠んでもらいたい。

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