団塊オヤジの山歩きブログ 

山歩き写真をメインに掲載します

再び海軍壕へ

2017-04-28 05:34:25 | 沖縄編

     ここで玉砕した

 フライトまで時間があるので前回寄った海軍壕へ再度行くことにした。ゆいレール奥武山公園で降り豊見城の小高い丘までタクシーに乗った。琉球王国時代には船の来航を知らせる烽火を上げた丘だそうだ。

 大戦末期に山根部隊によって掘られた横穴司令部壕は総延長で450mあった。艦砲射撃に耐え持久戦を続けるため地下陣地には4000人の兵士が収容できたそうだ。先ず沖縄戦のビデオを見た。1945326日慶良間諸島、41日に沖縄本島、伊江島には4月16日に上陸し地上戦となった。

  沖縄海軍司令官だった太田実少将は海軍次官に沖縄県民の献身的な作戦協力を記した電報を打ち幹部6名と共に613日玉砕した。幕僚室にはその時の手りゅう弾の破片跡が残っている。陸軍32軍の牛島中将司令官は623日自決、72日沖縄戦が終結した。沖縄戦による戦没者は20万人、沖縄県出身の軍人軍属戦闘参加者85千、一般島民37千、県外軍人軍属66千、米軍125百人に及んだ。

 大きな犠牲の下で現在の平和がもたされた。しかし羹に懲りずに歴史は繰り返されそうとしている。沖縄に行ったら立ち寄ってもらいたい旧海軍壕跡であります。

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カラオケ映像

2017-04-27 05:33:21 | 同窓仲間編

    伊江のグスクが背景に

  銀座線外苑前で降り週4日通った青山時代に週一は寄った北海道ラーメンの店へ1年半振りで入った。昼を摂ってから神宮球場だ。何!?東六の4回戦目の試合で母校戦は一日順延となっていた。止む無くシニアは無料になる外野席で慶立戦を観戦した。外野席に入ったのは予備校時代の早慶戦以来だ。

  当時は芝生席だった。陽射しが強く日焼けしてしまった。7回の両校エールと校歌を聞いてから球場を後にし時間があるので青山通りを4人で渋谷まで歩くことにした。建替中のエイベックスビルが完成しそうだ。

  通り抜けしていた都営青山アパートが解体中だった。渋谷駅地下のフードショーでホカホカの十勝大名とたこ焼を買い込み16:00には始まった。伊江島のスナックで伊江島の映像が出た『島人の宝』を入れたが映像は違っていた。エリアでカラオケ映像が違うらしい。『芭蕉布』を入れたら伊江のグスクが表れた。

  遅れて1700に中国語の唄に嵌まっているKが入って来た。この春からサンデー毎日となった槍ヶ岳山荘の現当主と高校同期の信州出身F、グリークラブ出のような正統派の歌い方だ。サンデー毎日になってから早く行って次の客が来るまで騒ぐのが恒例になっている。

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月イチは都心へ

2017-04-26 05:36:28 | 都心ぶらり編

    GINZA SIXの屋上から

 ポカポカ陽気になった。4ヶ月毎の健康チェック月で新宿東口の献血センターへ行くことにした。大学同期に神宮での母校応援メールを打った。Kちゃんが献血も付き合うと返信があった。東京に戻って61回目の献血になる。健康チェックと社会奉仕の可能年齢までは残り14ヶ月となった。

 早めに出て初台からスタートし中野坂上までの山手通り沿いに建築した6棟のビル、テナントの入居状況を確認したかったのだ。ロッテ本社前の交差点で後輩同僚とバッタリ、子会社の代表になっていた。1棟が1フロア空いていたが他は満室でホットした。引退から9年オーナーに現場からご無沙汰と電話した。

 結局中野坂上から青梅街道を折れ新宿東口献血センターまで歩いた。20日にオープンした銀座6の視察目的もあった。丸ノ内線に乗り銀座4丁目で降りた。G6はすごい人だ。吹き抜けを確認してから屋上に、銀座通りの先には帝国ホテル、隣が東京宝塚劇場、大きな建物は完成間近の新日比谷プロジェクトビルだ。

 エレベータ―で下り地下3階の渋谷から移転した観世能楽堂も確認した。712階まではオフィスフロアになっている。松坂屋の社章を付けた社員が来店者の案内・整理をしている。百貨店ではない新しい形態の複合商業施設になっていた。どんどん変わる都心を見ておかないと時代に取り残されてしまう。

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那覇のホテルで

2017-04-25 05:37:25 | 沖縄編

    大学同期と4年振り

 ぴったり30分で本島の本部港に着いた。伊是名島との連絡船がある運天港始発の840那覇空港行きのバスに乗った。前回来た時は名護バスターミナルで乗り換えたから便利になった。

 12:00に大学同期の弁護士M城と昼飯を食べることにしていた。大阪のSちゃんは13:30の便で帰阪するので県庁前で別れた。待ち合わせ場所をPCにメールしてあったらしいが再確認の電話を入れた。時間があったので県庁と市役所内を視察してから歩いてANAクラウンプラザホテル沖縄ハーバービューに向かった。

 1972年米軍の交流施設が返還された跡地に建てられたそうだ。ザックを担いだ胡散臭いオヤジ3人がロビーで待っていたが従業員の仕草からも格式ある名門ホテルのようだ。。M城とは4年前の同期会以来であります。銀座の合同法律事務所にいたが十数年前に出身地の沖縄へ戻った。

 ネクタイの〆方を忘れたオヤジ達だがパリッとスーツに身を包みホテルでは顔のようだった。精悍な老?紳士、現役は違うなあと煽てた。日本料理『和泉』で会席を頂き感謝です。沖縄返還闘争でサンデー毎日の表紙に載った石垣出身のT原を知っていた。上京した時は同期の渋谷おんちへ行くことを約束した。

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伊江を後に

2017-04-24 05:35:29 | 沖縄編

      民泊のおばちゃん達が

 4:30散歩に出かけた。そろそろ晴れるだろうと期待したが星を見つけることができなかった。530に全員を起こし帰り支度をした。裏手にバナナの樹があり青いが採って皮を剝いて食べてみた。甘く美味かった。

 630に民宿の女将が車で迎えにきた。歩くと30分近くかかる離れだった。先週の島1周マラソン会場となった公園にはまだテントが張ってあった。朝飯を食べていると続々修学旅行生が港へ向かって行った。

 8:00出航の1便は丸亀西中生でいっぱいになった。甲板にでると民泊のおばちゃん達が手を振っている。感激して泣いている女子中学生達、伊江での『おもてなし』に感動したようだ。おじい達も感謝であります。

 ヨット生活をしていたラーク氏は島の変人・奇人と云われる有名人?だった。おばちゃん達と混じって手を振るラーク氏、島に馴染んでいるのがよく判ります。来年の新年会に上京することを約束して島を離れた。

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琉球衣装で

2017-04-23 05:38:44 | 沖縄編

      おじい達と合コン?

 伊江の景勝地・伊江ビーチに行くと修学旅行生が順にダイビングの体験中だった。おじい達には寒かったが中学生は元気で頼もしかった。前回も寄った隣接する反戦平和資料館、生々しい地上戦の資料と写真に身が震える。反戦と平和を考えさせられた。

 自転車組は長閑な葉タバコ畑を眺めながら民宿のある伊江港へと走った。民宿の隣りの観光案内所では琉球衣装で写真が撮れる。民泊のおばちゃん達が車で入れ替わり来て記念写真を撮り大きな横断幕に寄せ書きをする。孫のような丸亀西中の女子生徒さんがおじい達と一緒に写真を撮ってくれ感謝です。

 伊江島の人達の心使いが判ります。四国の丸亀と云えば大阪時代に丸亀高から阪大の建築を出た後輩同僚がいた。東京時代はK大時代からディキシーバンドを組んでいた松山東出身のM先輩がいたなあ。

 食後は伊江の綺麗どこの店へ行くことに、早すぎたのか最初の店は開いていなかった。葉タバコ畑の前にあるスナック『フレンド』が開いていた。埼玉に10数年いた民泊の大将が入って来た。泡盛を差し入れて頂き感謝です。大将は唄が上手い!『島人ぬ宝』、『花』をリクエストし伊江ナイトは大盛り上がりだった。

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グスク(城山)登頂

2017-04-22 05:36:00 | 沖縄編

  レストハウスから

 アシストではないので城山の中腹にあるレストハウスまで押すはめになった。ラーク氏と膝を痛めているO場氏はレストハウスで待つことになった。3人で島のシンボル城山(地元ではグスク、タッチューと云う)に登り始めた。標高172.2mの岩山だ。レストハウスから291段あるそうだから山頂まで70m程だろう。

 2度休憩をとって登頂、雨がパラついてきた。東眼下のパッチワーク畑の先には本島が望める。距離にして9kmだ。9年前にここから撮った写真を渋谷おんちに掛けてある。エメラルドグリーンのサンゴ礁に囲まれた伊江島、西眼下にもパッチワークの畑、その中に滑走路が見てとれる。先が東シナ海であります。

 修学旅行で来島した香川県丸亀西中の生徒が次々と登ってきて山頂はいっぱいになった。携帯が鳴った。下から写真を撮るから手を振れと、判るかな??

 山頂から見えたドーム屋根は体育館だろう。9年前にはなかった。伊江ビーチに向かう前にドームに寄った。年寄り達がゲートボールをしていた。大学の後輩で巨人の阿部慎之助のミットにバットが飾ってあった。尋ねると毎年沖縄キャンプにくると来島し東京ドーム仕様のドーム体育館建設に尽力したそうだ。

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昼飯で雨宿り

2017-04-21 05:40:37 | 沖縄編

     ハイビスカス園で 

 前回来た時は10月だった。風が強かったのでサイクリングを止め歩いて島を1周した。雨は止まないが山歩き用のゴアテックスのレインスーツを着ていたので雨を通さない。Kちゃんは耐水圧が1万のようなので途中から浸み込んでしまった。理系のSちゃん、100均のビニールカッパじゃまったく役立たない。

 100万輪の伊江ゆり祭で知られるリリーフィールド公園、白いテッポウユリが咲き始めていた。昼は雨宿りを兼ねてゴルフ場のレストランで豪華なランチとなった。雨でコースを廻っているのはいなかった。入学式があったようで親子連れでまもなくいっぱいになった。

 先週の島一周マラソン大会には4600人の島に2600人の参加があったそうだ。隣りのハイビスカス園に入った。ハイビスカスの花は赤だけではなくいろんな色がある。花びらが写真のように大きいことを知った。

 ゆっくりと雨宿りしていたら雨も上がったようだ。サトウキビ畑の先に島のシンボル城山172.2mが近づいてきた。前回来た時に歩きながら神戸のKJヤンに電話をした。ザワワザワワと音がして聞き取りにくいと云った。サトウキビ同士が風で擦れる音だった。唄の通りだなあと納得したものだ。

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伊江上陸海岸

2017-04-20 05:33:37 | 沖縄編

    GIビーチ

 港の待合室で朝ドラを見てからタマレンタルで自転車を借りて島一周22kmのスタートであります。平坦な島だから問題ない。島で亡くなった米軍従軍記者の碑を左に見て時計回りで島を巡ることにした。

 1945326日慶良間諸島に、41日には沖縄本島、伊江島には416日米軍が上陸した。上陸海岸のGIビーチに寄ってから9年前にも寄った洞窟のニャティア洞へ、伊江島戦では防空壕になったので千人ガマと云われる。綺麗なサンゴ礁に囲まれた伊江島は6日間の激戦となり島民軍人3,500人が亡くなった。

 本降りになって来たので山歩き用のゴアテックスのレインスーツを着こんだ。大阪のSちゃんは100均のカッパでは役立たずラーク氏の軽自動車で膝故障のOさんと伴走することになった。西の灯台まで行ったが米軍演習地の中でフェンスの先だった。オスプレィの訓練地でもあります。

 戦後島の67%が米軍基地となった。1972年本土復帰したが現在も35.2%が米軍の訓練地となっている。米軍補助飛行場の横を快走、島の水源で60mの断崖から湧き水の出るワジー(湧出海岸)に向かった。黒牛の牧場がいくつかあった。前回島踊の練習をしていた公民館の周りは葉タバコ畑で花が咲き始めていた。

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民宿『ぎぼ』さん

2017-04-19 05:35:13 | 沖縄編

    女将のライブも

 東京との時差が30分以上はあるだろうか?1900でも明るい。民宿の食堂で1830から宴会であります。伊江の家庭料理・定番のゴーヤ料理に海ぶどうも並んだ。肉は伊江牛か?食堂に三線がいくつも飾ってあったので弾いてみた。三味線とは違った沖縄独特の音色がいい。女将にお願いして三線ライブとなった。

 ヨット住いだったラーク船長を救ってくれたのが民宿『ぎぼ』の女将のようだ。離れに居候させてもらっている。高齢者には多すぎたので余ったオカズは折りに入れてもらいラーク氏の離れまで車で送ってもらった。

 順番でシャワーに入り2次会となった。沖縄ではシャワーだけでバスタブに入る習慣がなく浴槽のない家が殆どらしい。ゲストハウスのような迷惑をかけないようにKちゃんには念をおした。

 出発前の週間予報が芳しくなかったので雨カッパと傘を持参するようにメールで配信しておいた。明日は島一周のサイクリングなのだが予報通り雨らしい。最も天気の安定する時期を選定したはずだったのだが・・・。まあ日焼けしないからいいことにしよう。

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ラーク号の今

2017-04-18 05:38:23 | 沖縄編

     難破船?のようだ

 ワンボックスカーを返し17:00の最終便に乗船した。伊江小麦で伊江の村興しをしているタマレンタル社長と一緒になった。渋谷代官山での伊江ナイト以来であります。30分で伊江港に着いた。

  下船してから『ラーク号の今』を確認した。十数年前には颯爽と伊江港に入港した双胴帆船ラーク号、9年前に往訪した時には陸にあがっていたが凛々しかった。ヨットで2泊した。キャビンの寝室からタラップを登りハッチを開くとサザンクロス(南十字星)がどれか判らなかったが満天の星だった。

  2年前の連続台風で2艘を繋ぐデッキが破損し本体も含め修復不能となり難破船の様になっていた。船体にはラーク(ひばり)の文字が読み取れる。凛々しさの片鱗は消え人生の末路とダブってしまいそうだ。

 大阪時代の先輩同僚のラーク船長ことK野氏は以後ラーク氏と呼称変更になった。カミさんの大阪へ戻ると思っていたがこの地に今も留まっている。この地で骨を埋める気なのか?外見は元気だが間もなく後期高齢者の仲間入りをする。何とかお互いが健在なうちに訪ねることができて目出度目出度しでした。

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北山を巡る

2017-04-17 05:36:06 | 沖縄編

      今帰仁(なきじん)城跡

 本部港には定刻の900に着岸したが伊江島行き9:00出港の定期1便は出航してしまった。何と不親切で思いやりがないと憤った。下船したのはやはりオヤジ達だけで地元の利用者がいないようだ。

 乗り継ぎが難しそうだったので伊江からラーク氏に1便で来てもらいオヤジ5人で北山を巡ることにしていた。O場プロドライバーで伊江島と海洋博の地を左に見ながら今帰仁城跡へ向かった。1314世紀頃北山を支配していた城跡だが中山を治めていた尚氏が三山を統一し琉球王国が450年続いた。

 琉球国王尚氏生誕地の伊是名島と今帰仁村運天港とは定期船で結ばれている。古宇利島を繋ぐ大橋を渡って一周し本島の最北端国頭村の辺戸岬へ向かった。何もなかったがかすかに与論島が望めた。

 道の駅で昼を摂り辺野古視察に向かった。キャンプシュラブ前にはテントがいくつもあり反対派の住民達が手を振ってくれた。サンゴ礁に囲まれた辺野古海岸、沖縄基地の現実と難しさを知った。伊江行3便に間に合わなくなり、前回も寄った省資源・省エネ設計で知られる1981年に完成した名護市役所見学をした。

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鹿児島航路2

2017-04-16 05:40:00 | 沖縄編

     東シナ海に浮かぶグスク

 那覇港と鹿児島港を結ぶ鹿児島航路はマリックスラインとマルエーフェリーとが相互に運航する貨客船であります。本部~与論~沖永良部~徳之島~奄美大島を経由し鹿児島と25.5時間で結ぶ。生活物資の入ったコンテナの積み下ろしがあるので各港で2050分停泊する。

 最大旅客数は700800名、因みに2等旅客運賃は鹿児島港まで14,610円だ。オヤジ達が下船する本部港までは2時間で1,950円だが本部まで乗る人はいないようだ。船は50008000tクラスだから青函連絡船と同じクラスになる。鉄道連絡船の青函連絡船は旅客が1200名、貨物は貨車のままで乗せていた。

 テレビのある休憩コーナーで朝ドラを観ながら弁当を食べた。顎髭の精悍な中年おじさん、尋ねると熊本生まれで沖縄の仕事を終え地元熊本に戻るそうだ。震災関係の仕事で熊本地震の時は震源地にいて何が起きたのか判らなかったそうだ。何でもバウンドしながらあっちこっちにと飛んだらしい。

 東には沖縄本島、西には東シナ海に慶良間諸島が見える。天候の安定する時期を選んだのに曇天で雨がパラパラと・・・。前方に尖がり帽の島が見えてきた。旅の目的地・伊江島のシンボル・城山(グスク)だ。

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鹿児島航路

2017-04-15 05:38:10 | 沖縄編

      マリックスラインで本部港へ     

 9年前は県庁前のホテルに泊まり朝食前に港まで散策した。鹿児島行フェリーが出航するところだった。今回は鹿児島から乗ろうかと調べたが時間と費用も高くつくのでさわりだけの那覇港から本部港まで乗船することにした。7:00出航なのでホテルでは朝食にありつけない。

 ラーク氏が上京時前泊する素泊まり宿を紹介してもらい予約、朝飯は船上でコンビニ弁当とした。素泊り2千円とは有難い。あっぱりしゃんから宿のベース沖縄までぶらぶら千鳥足で向かった。何とラブホテル街に入った。ラブホテルを改装した簡易宿泊所で今はゲストハウスと云うらしい。

 30人の靴が並び満室らしく若い女の子も多く殆どが外人だった。オヤジ部屋は2段ベッドの4人部屋、大阪から初参加のSちゃんがこれじゃ寝られないとぶつぶつ・・・柔だと非常時に生き残れない、山小屋もこんなんだと諭した。シャワーだけなので汗を流し早寝のオヤジは23時には床に就いた。

 OさんとSちゃんはドイツからの親子4人と談話室で国際交流できたようだ3時頃トイレに行きたくなった。大学同期のK原が40分もシャワー室に籠って出て来ない。しびれを切らし見たくもない物をみせられ隣で用足しをしたが、長風呂?で迷惑し旅行中ひんしゅくものだった。

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沖縄居酒屋で

2017-04-14 05:37:57 | 沖縄編

      『あっぱりしゃん』のライブ

 初日は那覇泊だ。那覇市には石垣出身で10数年前に戻った大学同期の弁護士M城がいる。お薦めの沖縄居酒屋をいくつかメールで教えてもらった。宿に近い店『ゆうなんぎぃ』に東京から予約を入れたが日曜は生憎休みだった。同じ石垣出身の店で近くの『あっぱりしゃん』を紹介してくれた。 

 早く着いたので1時間早くならないか電話を入れたが先客があり予約の時間まで国際通りをぶらぶらすることにした。島唄ライブの店がいくつかあったので宿には1時間遅くなると電話を入れた。

 店内はいっぱいだった。沖縄料理ばかりを注文した。ゴーヤだけでもいろんな料理があるものだ。下戸のオヤジに泡盛はきつかった。店の意味をきくと本島では『ちゅらさん』だが八重山地方の方言で綺麗、可愛いと云う意味らしい。

 石垣出身のオーナー、三線ライブが始まった。島人の宝、花など30分のライブ、隣は東京から今治出身の組、カウンターには兵庫県川西市から来た若いOLの組、客も店の娘も一緒になっての島踊りとなって大盛り上がりになった。島唄ライブはここで十分となり腰を据えての飲み会になった。

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