団塊オヤジの山歩きブログ 

山歩き写真をメインに掲載します

回教寺院

2012-05-29 06:07:23 | 山と麓の社寺編

代々木上原のモスク

  世界三大宗教の中でも馴染みの薄いのが回教のイスラム教である。しかし東京にも回教寺院があるのです。小田急線代々木上原駅近くにの渋谷区大山町で井の頭通りに面している。東京ジャーミーと呼ばれるオスマン様式による礼拝堂(モスク)だ

 前身である東京回教学院以来、東京モスク、代々木モスクなどとも呼ばれていた。『ジャーミー』とはトルコ語で金曜礼拝を含む1日5回の礼拝が行われる大きなモスク『人の集まる場所』を意味するアラビア語になる

 モスクの礼拝者は東京やその周辺に居住し、日本企業に勤務または日本でビジネスを営むイスラム教国の人々で、パキスタン、インドネシア、マレーシア、トルコ、バングラデシュ、日本、中央アジアやアフリカの人々だそうである。毎日の礼拝は5〜10人だが金曜は350〜400人に、祭日だと550〜600人にもなるようだ。断食明け祭り・犠牲祭の礼拝では1500〜2000人にも増える。

 東京回教学院1938年にタタール人のためのモスクとして設立された。同モスクが老朽化のため取り壊された後に亡命タタール人たちがトルコ国籍を取得していた縁からトルコ宗務庁の援助によってオスマン様式で2000年に再建された。井の頭通りの拡幅もあって何度か工事中から異文化の建物を見学していた。初めて御茶ノ水のニコライ堂を見た時の感動だった。

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里山の野草

2012-05-27 06:14:31 | 里山編

 ハイキングロード沿いでの下草刈り

 里山もまばゆい新緑で気持ちがよい野草の成長も早いから管理者にとっては良し悪しである。葛(くず)は伸びると刈り払い機の歯に弦が絡み厄介なのである。わが里山班の都道法面側には秋の七草自然園にしてある。観察用に囲って残してある自然園(30坪)以外は短いうちにと根から刈り取った。

 シャガキンランギンランも咲いている。キツネノボタンニセアカシアサラサドウダン一斉に開花する。ニホンタンポポはセイヨウタンポポに取って代わった。剪定したアジサイ、今年はどうだろうか。まだ野草の名前は覚えきれない。わが里山班には樹木に野草博士がいるので助かる。

 蝶もモンシロチョウにアゲハチョウ位か知らなかったがヒカゲチョウが舞っていた。巣箱を沢山かけたのだが時期が遅かったので巣作りには間に合わなかったようだ。

  昨日は観察園の草取り、どんぐりから植えたクヌギが芽を出したのでプランターから鉢植えに、会員が持参したカボチャの苗8本を土手側に植える班。ハイキング古道沿いの枝落ちしたのを拾い集め境界柵に沿って並べ積み(落ち葉囲いもいっぱいになり里山の中で自然循環させるのだ。)してから刈り払い機4台下草刈をした。天気も良かったのでハイカー家族連れにグループと多かった。久し振りに暑い汗をかいた。現役時代の冷や汗?と違って身体を動かしてかく汗は気持ちがいい

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京阪電車2

2012-05-26 06:25:26 | 山歩き編

 京阪伏見稲荷駅ホーム

 駅舎が寺社風で印象のあったのがJR奈良駅だった。新駅舎になったようだが古都の玄関口にぴったりの寺院風だった。出雲大社の大社駅もシンメトリの素晴らしい駅舎だったが鉄道は廃線?になったようだ。こじんまりしたのでは高尾山薬王院で知られるJR中央線高尾駅も雰囲気がある。

 JR成田駅舎は成田山新勝寺をイメージしている。成田山と云えば京阪電車の寝屋川市香里園に成田山大阪別院があり交通安全祈願で知られている。京阪沿線(北河内地域)は大阪の鬼門にあたり住宅地としては人気がなく他の私鉄沿線のような宅地開発が進まなかった。そこで京阪電鉄は成田山新勝寺に大阪別院の建立を依頼、1934年に創建し沿線での高級住宅地として開発できたと大阪時代に訊いた。

 よく下車する明治神宮の西参道口となる小田急線参宮橋駅ホームは神宮駅の雰囲気がある。京阪伏見稲荷駅朱色の柱が並ぶホームだ。京阪特急で何度か通過した時にホームの壁が朱色に見えた記憶はあったがこんなにも色鮮やかなホームだったのだ。千本鳥居のイメージなのだろう。京阪電車には昨年、大阪の大江橋駅から乗り京橋で特急京阪三條まで乗って以来だから1年振りだった。

  京阪電車は環状線京橋駅からで守口市までが高架複々線区間で早かった。現在は寝屋川信号所までになっているようだ。大阪時代は京橋から先は縁のなかった京阪沿線だったが、淀屋橋から京橋まではホームグランド。しかし電車でなく歩いていた区間だった。

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相模国総社

2012-05-25 06:14:19 | 山と麓の社寺編

 大磯町国府本郷・六所神社

 大化改新が645年、地方には国府がおかれ国司が任国するとその国の有力大社を参拝する制度があったそうだ。相模国の国府は大磯に置かれ(異説もあるようだが)一之宮が八方除けの寒川神社二之宮が二宮の川匂神社三之宮は伊勢原の比々田神社四之宮が平塚の前鳥神社八幡宮平塚八幡宮、そして大磯国府本郷の相模総社六所神社に集まり5月5日に相模国府祭(さがみこうのまち)がある。

 国司の巡拝を国府近くの神社分霊・合祀するのが総社の起源になるそうだ。各神社の神輿を以って国府に集まるようにした。これが国府祭のはじまりとされている。見舞いに行った東海大大磯病院の近くだったので参拝してきた。大きな神社ではなかった。現本殿は小田原北条家が戦国時代に造営したもの。

 武蔵国の武蔵総社府中大国魂神社六所宮とも云われ武蔵一之宮から六之宮が分祀されている。例大祭のくらやみ祭のクライマックスは5月5日に六社と総社の神輿が練り歩く。

 各地方の総社がどこになるのか調べてみたが不明の所も多いようだ全国の一之宮巡りをしている藤沢の物知り博士から、昨日は天気が良かったので新東名で遠州一之宮の小国神社まで行って御朱印をもらったとメールが入った。誘ってくれれば便乗したのに残念。今度総社のことも教えてもらうことにしよう。

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大磯と云えば

2012-05-23 06:11:55 | あちこちぶらり編

JR大磯駅    

 大磯と云えば吉田茂邸があり、引退後も『大磯詣で』があったことで知られる。私邸へ帰るのに第三京浜道路を造った?とも云われている。大磯で最期を迎えたそうだが残念ながら2009年に焼失した。大磯町は神奈川県の南部で北東部には高麗山 、北西部には鷹取山という小丘陵は大磯丘陵とよばれる。相模総社六所神社がある、駅舎も駅前も素朴なローカル線の雰囲気がする。

 相模国府が置かれ、明治中期から昭和にかけては要人の避暑・避寒地として知られていた。ここ大磯には8人もの宰相が別荘もしくは邸宅を構えていたそうだ。その8人とは伊藤博文・山県有朋・大隈重信・西園寺公望・寺内正毅・原敬・加藤高明・吉田茂だ。また三井・三菱・浅野・大倉・古河らの財閥や長州・土佐などの藩閥、梨本宮ら宮家文人達が別荘を構えて大いに繁栄したそうだ。

 藤沢・辻堂・茅ヶ崎・平塚まで下車したことはあるが次は小田原になってしまう。ポン友の東海大大磯病院への見舞の帰りに大磯町内を車で走ってみた。戦後は別荘も企業の保養所や研修所となったり手放され分譲地やマンションになった。公開されている邸宅は少なくなっている。

 10年程前、渋谷でビルを建築した縁で旧華族の大磯別邸の売却話が持ち込まれた。担当部署に回したので現地を見に行かなかったが今になると悔やまれる。駅前からの通りには大磯ビーチ・湘南発祥の地の看板があった。東海道松並木通りに大磯プリンスホテルでも知られている。

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金環蝕と云えば

2012-05-22 06:11:19 | しごと編

代々木公園も暗くなった

 昨日は金環日食でどこも大騒ぎだった。天体ショー代々木公園で観ようといつもより30分早く出た。芝生の広場にはすごい人で溢れていた。うす雲がかかると肉眼でもはっきり金環食が判った。

 『金環蝕』と云えば社会人になってから見た映画を思い出す。東京オリンピックの時は高校生で所得倍増の池田内閣の頃だ。その頃の汚職事件をモデルにした映画だった。石川達三原作、山本薩夫監督で1975年に大映で製作し何故か東宝で封切された。社会人になって初めて見た映画だったと思う。

 学生の頃から会社四季報や財閥史に会社関連の本を好んで買っていた。また文芸小説より企業・経済小説が面白かった。派閥争いの中をどう渡り歩き結末がどうなったか。太く短くか細く長いのがいいのか・・イエスマンの茶坊主にはなりたくなかった。マイペースでも生き残れるのか?結局マイペースの会社人生だった。和して同ぜず?同じて和せずとマイペースの参考にしたものだ。

 金環日食と『金環蝕』との違いは判らないが、原作者は金色の輪よりも、中の黒い月が廻りの金の輪をドンドン蝕んでいくことを作品テーマにしていたのだろうか。政治と金派閥争いそれに加担する企業賄賂に談合の世界を見て嫌になったものだ。しかし小説や映画の話ではなく現実の世界だったのだ。

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『Shall we ダンス?』2

2012-05-21 06:10:19 | ダンス編

  これはプロデモです      

 GWに日比谷の『東宝ダンス』に誘われていた。東京駅舎や丸の内周辺を散策してから遅れて入った。学生時代にオープンしたホールで43周年となっていた。ダンス界で知られるビッグバンドオールデイーズデイキシー懐メロ歌謡のナンバーを生バンで聴くだけでも楽しい。

 16年前の1996年、映画『Shall we ダンス?』は映画の街・調布の角川大映撮影所(旧大映撮影所)で撮られた。映画の中での教室で入門者に教えていた『たま子先生』、女優で声優にナレーターのマルチ女優の草村礼子女史。そのシーンが今も目に浮かぶ。その『たま子先生』が入ってきたのだ。

 念のためご本人確認をした。『たま子先生ですよね!』。『ハイっ、そうですよ!』よく来られるようでしたネ。踊ってもらうことになった。軽〜いテンションのラテンにモダン、気張らない大人の踊りでした。懐かしい映画音楽で4曲も踊ってもらい感謝であります。

 昨日は地元の連盟パーテイに、久し振りだったが他所でもあるのか少なかった。最近の競技会は出場者も少なくなり10年程前の6割になっているそうだ。入門者クラスが少なく中上級クラスばかりの中膨れ状態らしい。ダンス界だけではないのかもしれないが何か対策を考えなくては10年後にどうなるのかと心配する。ペアだけではない誰とでも楽しめるソシアルダンスの再復活を望んでいる者であります。

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見舞い

2012-05-20 06:05:04 | 同窓仲間編

東海大大磯病院から大磯プリンスホテルを望む

 昨年の春は大震災で中止とした5人組温泉旅行、今年の幹事Uから連絡がない。5月の予定も詰まってきたので電話をすると、カミサンの入院が5月に予定あり、決めかねていたと。昨年に続き2度目の入院じゃ大変だから今回は中止にしようとなった。近場3人で去年の『ほったらかし温泉・こっちの湯』に行こうかとメールを入れると藤沢Mから15日に手術入院することになったとメールが入った。

 しばらく大人しいと思ったら悪化していたのだ。金曜見舞い行く予定だったが先週土曜に上階の水漏れ事故で物入れベニヤの張替え工事となり昨日の土曜日になった。東海大病院と云うので伊勢原かと思ったら大磯だった。駅から遠いので横浜Sが車を出すことになり小田急線愛甲石田で待ち合わせた。大山登りで伊勢原にはよく下車するのだが愛甲石田は初めてだった。

 Mは3年前に心筋梗塞で平塚共済病院に緊急入院した前歴がある。成人病3大疾病を総ナメしたモサである。厚木小田原道路に入るとすぐだった。3時間の手術だったようだが元気で来週には退院できる。お互いガタのくる年代である。5階の展望食堂でダベっていたらアッと云う間に1時間半が経った。

 途中長男が顔出しに来た、10年程前の祖母の葬儀以来だから大学生だったのに立派になった。195cmのジャンボで親父の若い頃に似てきた。7月には『ほったらかし温泉』に行けそうだ。暑い時期の天空の露天風呂も又いいだろう。小高い眺望のいい病院で大磯プリンスホテルの先には湘南の海が望めた

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優れもの2

2012-05-19 06:02:21 | 里山編

ポイズン リムーバー

 暦の上では立夏も過ぎ樹木草花の成長著しい時節あります。里山歩きで怖いのがスズメ蜂や毒蛇に遭遇することである。山歩き用の帽子の上に覆う虫除けネットはもっている。ヘビは子供の頃から苦手で触るのも嫌である。『マムシに注意』、『スズメバチに注意』の看板をよく見かける。わが里山管理地にも看板を立てかけてあるがまだ出くわしたことはない。

 里山講座で毒虫や毒蛇に噛まれたときの初期対応の注射器の紹介があった。刺された処に吸引する注射器なのである。医師の手当前までに毒が体内に廻らせないようにする応急処置用だ。

  昨年新宿東急ハンズで購入し里山用のザックに三角巾と一緒に入れてある。2年前に枝が混みあったツバキの剪定をしたら、腕に首やお腹廻りに発疹が出て皮膚科に走った事がある。ツバキには毒蛾の巣があり皮膚に小さい針が刺さると発疹するのだ。皮膚科の医者が語るには、皮膚科を開業する場所はツバキの多い地域が繁盛すると云われていると笑って軟膏を処方してくれた。全治2週間だった。

  里山では樹木草花だけではなく虫達の勉強もすることになる。サバイバルグッズのひとつに加えたい優れものでお奨め、3,150円で舶来である。先週の里山ボランテイア腐葉土観察園にリヤカーで運んだカブトムシ幼虫を3匹みつけたので孫達に育てさせることにした。が今年は何故か少ない。

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阪神電車

2012-05-18 06:13:13 | 乗物編

阪神梅田駅

 甲陽園から阪急電車で三宮まで行き神戸南京街で晩飯の予定だったがツマガリケーキで腹もいっぱい。阪神電車で大阪に戻るのは止めて阪急で梅田まで戻った。横浜Sお初天神を知らないと云うので梅新まで歩き無事帰還の報告をした。西梅田からの帰りのバスまで時間もあるので王将の餃子を食べようと探した。京都のではなく大阪の王将だった。京都と大阪とで本家と元祖ともめていたのを思い出す。ダンス『ワールド』のあった跡地はまだ駐車場のままだった。泉の広場から日本一?の梅田地下街に入った。

 梅田の地下街には全国の土産店が並んでいる通りがある。ここで土産を買ってカラ出張?すると訊かされたことがある。阪神梅田駅ではタイガースの試合帰りでタイガースハッピやタオルを持った試合帰りのお客がどっと出てきた。タイガースと高校野球の甲子園球場のある阪神電鉄だ。一日の乗降者数は18万人だ。

 阪神電車阪神間の海側の工業地帯を走る路線で東京では京急電車になるだろう。神戸の阪神御影駅前に得意先があって定年後のぶらり旅で寄ったが美味かった漬物屋は閉めていた。神戸三宮まで仕事でよく通った。北野異人館の神戸華僑の方とも知り合いになってよく中国のお土産をもらったものだ。

 神戸法務局へ行った時に満車で前の通りの空いていたスペースに路駐、次に行ったら警官が立っていた。見上げると代紋が架かっていてビックリ。以来神戸へは電車にした。急ぎ時は早いJR新快速だが普段は阪神特急だ。JRで清算すると往復で新聞代が浮いた。阪神電車は阪神間の下町を走る電車、山の手を走るライバルの阪急電車と経営統合したのには驚いた。西梅田界隈も大阪時代の面影がすっかりなくなっていた。

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阪急電車2

2012-05-16 06:09:04 | 乗物編

梅田ターミナル駅

 大阪時代は阪急宝塚線に1年、国鉄時代の吹田に2年、所帯を持った茨木で3年、阪急千里線には10年間住んでいた。子供達も千里時代は今もよく覚えている。阪急梅田まで30分の通勤電車が懐かしい

 学生時代は京都と神戸へ遊びに行ったが大阪は素通りだった。初めて大阪に赴任し阪急梅田駅のズラっと並んだホームを見てびっくりした。また国鉄だけが大阪駅で私鉄に地下鉄は梅田駅とややこしい。一時梅田(大阪)と表示していたのだが・・・関西は共存共栄の東京と違い独立独歩の私鉄王国だったのだ。

 甲陽園の『ツマガリ』でシュークリームにショートケーキを2個も食べさせてもらったので満腹となった。神戸の南京街まで行くのを止めて梅田に戻ることにした。特急が夙川にも止まるようになっていた。大阪時代からマルーン色の阪急電車は内装が木目調で格調のある車両だった。昔は阪急デパートの横にホームがあったそうだ。 国鉄東海道線の上になったり下になったりしたそうだ。1971年に現在の位置に移った。

 京阪神急行電鉄阪急電鉄となり阪急梅田駅の一日の乗降者数は約55万とJR大阪駅に次ぐ数になっている。10面9線のホームから神戸線、宝塚線、京都線が一斉にスタートする。10分置きに特急と急行が並んでスタートするのは関東の私鉄にはない。阪急梅田駅南海電車難波駅だけだろう。

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西宮・ボートパーク

2012-05-14 06:06:27 | 沖縄編

ラグーン440と西宮大橋 

 昨日の17時過ぎに無事西宮ボートパーク着岸したとメールが入った。西宮ヨットハーバーのそばにあるそうだ。フネと六甲山をバックに撮ってとメールを送っていた。やはり豪華な双胴型の大型クルーザーですね。大阪時代には隣の尼崎海釣り公園に子供達と釣りにいったが西宮の浜に行ったことはない。フネのオーナーにも西宮の山の手甲陽園『ツマガリ』に行ってもらいたいものだ。

 ヨットハーバーとはヨットやモーターボート等のレジャー用の船(プレジャーボート)の係留や保管する港湾施設マリーナとも呼ばれる。ボートパークも神戸マリーナと並んであるがどう違うのか判らない。この界隈は西日本最大のヨットハーバーらしい。8年程前に平塚港からモータークルーザーでトローリングをしたが波が高くて酔ってしまい懲りた。やはり山育ちには足が地に着いていないと安心できない。

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西宮・甲陽園

2012-05-13 06:40:41 | 飲食編

ケーキハウス『ツマガリ』本店

 古都散策の1週間前に西宮・甲陽園ケーキハウス『ツマガリ』の専務(奥さん)に電話、ケーキが食べたいので来週寄るから。18時半までに入ってと云われたので、『都をどり』を3部に繰り上京都河原町から阪急の特急に乗り十三で神戸線の特急に乗り換えた。今は夙川にも特急が停まるようだ。桜の名所・夙川沿いは満開3年振りの甲陽園、お店の前でガードマンが交通整理をしていた。

 店舗は今も創業以来15坪のお店と工房だ。閉店間際だがお客が並んで商品も少なくなっていた。『ツマガリ』大丸梅田店と神戸店にもあるが焼き菓子とクッキーで生ケーキはここ本店だけ、今も近畿一円から買いにくる。2階の喫茶コーナーは満席、3階の応接室に案内された。元近鉄の鈴木啓示氏が近所で津曲社長とはゴルフ仲間、ユニフォームや表彰状まで飾ってあった。クッキーの『啓示くん』は彼の事だ。笑福亭鶴瓶師匠も近所に住んでいてお土産にもよく使ってもらうお得意さんらしい。

  洋菓子界の有名店で有名人の津曲さん、目の届く甲陽園・本店の廻りにいくつもの工房を配している。今や職人社員が250人の大所帯になっている。2人の弟子が『料理の達人』に選ばれたそうだ。早速超人気の焼きたてシュークリームをパクリ、皮がパリパリで美味い。定番のイチゴのショートケーキチーズケーキも食べたら腹いっぱいだ。26年前ハーフダウンの難しい店舗に入って頂き感謝。甲陽園を有名にした津曲さん、通販では全国から注文が入る。   ホームページは  http://www.tsumagari.co.jp/

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航海便り

2012-05-12 06:03:02 | 沖縄編

 室戸岬沖を航行中

 室戸岬沖航行中の写真をメールで送ってくれた。岬をかわしたら向かい風に、潮に乗って9ノット(時速17km位)で快走。だがかなり荒れているので徳島県の日和佐港で天候回復を待つそうだ。

  明後日には西宮に着けそうだと記していた。やはり双胴船(そうどうせん)・カタマランだった。Catamaranとは、通常の船体・ハル(Hull)2つを甲板で平行に繋いだフネのことだ。ラーク号と同じ双胴船だがかなり大きいようで船内は豪華ホテル並みらしい。

 西宮ヨットハーバーに着いたら全景の勇姿を撮って送ってもらうこにしよう。

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『春の小川』

2012-05-11 06:20:51 | 音楽・芸能編

小田急線『代々木八幡』と『参宮橋』の間にあった歌碑

 原宿の神宮前に今は亡くなられたが地元で生まれた得意先から渋谷川には田圃があって水車もあったと訊かされていた。確かに隠田神社があるくらいだ。水車の主にも会って話を訊いたことがあった。

 早めに家を出て2〜3駅手前からコースを変えながら仕事先まで歩いている。先日小田急線代々木八幡駅から参宮橋へ線路沿いを歩いていると歌碑に出会った。1912年に発表の文部省唱歌だった。作詞者がこの辺りに家族と住みこの田園地帯に流れていた小川を謳ったのだ。長野県中野市出身の国文学者の高野辰之。この小川は宇田川の支流で河骨川と呼ばれたが1964年に暗渠となって面影はないが・・・

   一   春の小川は、さらさら行くよ           ニ      春の小川は、さらさら行くよ

       岸のすみれや、れんげの花に                 えびやめだかや、小ぶなのむれに

       すがたやさしく、色うつくしく                        今日も一日ひなたでおよぎ

       咲けよ咲けよと、ささやきながら                   遊べ遊べと、ささやきながら

高野辰之は『故郷』、『朧月夜』、『もみじ』、『春よこい』も作詞したそうである。都心には無くなった里山を唄ったものだ。これらの唱歌は今も唄われているのだろうか。わが地元の多摩丘陵にはまだ何とか残されている。土曜日には里山を次の世代に引き継ごうと汗を流しているのであります。

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