教育落書き帳

教育とは何か…子どもの視点を尊重し、親、伴走者、市民の立場から語ります。子どもを語ることは未来への信頼と希望を語ること。

フリースクールって何? どんなところ?─(2)

2010年03月07日 | フリースクール

フリースクールって何? どんなところ?─(2)

※こういう記事を掲載するに当たって、ひと言だけ注意し
願いして置きたいことがある。
 私が子どもの育ちや教育の問題、とりわけ不登校の子ども達の問題について積極的に発言するようになってから、15年の歳月が経った。子どもの教育自体に関わったのはそのずっと前からであるが、この問題にライフワークとして関わるようになったのは、我が子達が学校に行くようになってからであり、そしてそのために子どもや親の目線から考える月刊の教育雑誌「ニコラ」の編集発行人となってからである。現在運営している「フリースクール・ぱいでぃあ」はさらにその実践の過程から生まれたものであった。
 だから、私はいつも不登校の子ども達やその親御さんと共にあったし、教育雑誌の記者として編集者として発行人として、常に言葉や映像の生まれる現場から情報を発信することを旨としてきた。だから、教育関係の記事をものする新聞記者さんとも知り合いになったし、その記者が現場からどういう記事を発信したかも時には興味を持って見ることもあった。しかし、大学の先生やその方面の専門家や評論家のように机上から語ることは極力避けてきた(2003年頃からよみうり教育メールの相談回答者を担当したり2008年頃は新聞の本誌にも数回登場したが、何かの役に立てばという関わりにすぎない))
。視野に限界もあるし、時には偏りもあるかもしれない。しかし、それも承知で現場第一主義に徹してきた。
 ところが、この15年の過程で、かつて私が言っていたことではないか──というような言葉をいろいろな場面で目にするようになった。これは教育分野の研究をされている方の言葉にも見ることがあるし、余所のフリースクール等の宣伝にも使われていることがある。例えば「遊びの教育学」などという考察はその一つかもしれない。当時、そういう人はまだいなかったように思う。
 ただ、私は大学人のように論文を発表してそれで評価されることは考えていない(現場の人間はそんな時間もないしゆとりもない。ただしそれに比肩する論理力や説得力は必要だ。それよりもあまり現場を知らない先生の発言をよく見かける)、著作権だの盗用だのと目くじらを立てるつもりもない。「お使いになるならどうぞ」という思いもある。しかし、引用したり借用したりするなら、少なくともそのコトワリを入れるのは礼儀ではないのか(そういう引用の断りを入れてくれる人もいる)。そんな思いがしている。

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Q. 「体験入学」は全日でなければいけませんか? 半日ではダメですか?
A.
 「体験入学」に大きな決まりはありません。お子さんに自分の目で見、肌で感じてもらうのが第一の目的です。ここが自分づくりに相応しい学び場&活動の場であるかどうか、本人の希望に沿って体験してもらいます。もう気持ちが固まっている場合には、体験入学を経ないで入学をすることも可能です。
 体験入学は3~4日ですが、その間に教科学習・スポーツ等の身体活動・他のぱいでぃあ活動・生徒同士の交流……などをおおよそ体験できるようになっています。まだ決められないということであれば、延長も可能です。そこで体感したことを通して、今後どうするかを自分で考えてください。
 体験入学の結果、「ぱいでぃあ」でやりたいということになれば、そこで初めて正式な入学手続きに入ります。入学するかどうかは、もちろん本人の意志で決まることになります。

Q. 正式に入学すると、「学校」の方はどうなりますか?
A. 
入学した後は、他の生徒たちと同じ活動に参加することになります。
 差支えがなければ、在籍校には「ぱいでぃあ」で活動することになった旨を連絡し、「ぱいでぃあ」での勉学や活動を学校での出席日数や日々の活動に換算してもらい、通学定期の証明書(電車等利用者)等も発行してもらうことになります。
 これは原則的には在籍する学校長の裁量になりますが、「ぱいでぃあ」では設立当初から子どもの学習権を保証するための基本原則としてこれをお願いしてきました。その後、文科省自身も「不登校はどこの家庭でも起こり得る」と公式に認めるようになりました。今では当たり前のこととして希望者全員が認められるようになり、「ぱいでぃあ」の申し出を断った学校はありません。
 ちなみに、フリースクールは通常の学校に代わる民間の代替の教育機関というのが本来の設立の趣旨・目的であり、一般の学校で授業が行われている月曜日から金曜日までの昼間の時間帯に同じように運営されています。ここが学校教育の補完・補強の意味合いが強く学校が終わった放課後や夕方から夜の時間に営まれている学習塾や進学塾とは根本的に異なるところです。また、計算してみればよく分かることですが、進学塾等の時間単価に比べて非常に安価なのが一般的です(中には、法外な入学金を設けたり、授業料等の費用を半年~一年分前納させたりするところもありますが、それは不登校の子どもという弱みに付け込んだ教育ビジネスの姿で、本来のフリースクールのあり方とは趣旨が違うように思います)。

Q. 教科学習以外の活動を教えてください。
A.
 「教科学習を大事にするフリースクール」というのが「ぱいでぃあ」の特徴の一つです。それ以外に、むしろそれ以上に重視しているのが「心と体と感性」づくりです。「ぱいでぃあ」ではこれらを総称して「ぱいでぃあ活動」と呼んでいます。
 教科学習は遅れていても後でやり直しができます。しかし、「心づくり」や「身体づくり」、「感性を養うこと」などはやり直しは効かないのです。それが義務教育の、成長期の段階の子どもたちであればことは重大です。この時期、育ちの環境に欠けたものがあると、子どもは欠けたまま成長することになります。そして、学校を離れた不登校の子どもたちの場合はそのリスクがとても高くなります。これが教育の大事さであり、怖さです。
 そこで、「ぱいでぃあ」では「心づくり」や「身体づくり」、「感性づくり」に教科学習と同様のウエイトをおいて関わっています。
(1)「ぱいでぃあ」では、改まったカウンセリングの時間は特別に設けなくても、日々の活動や心遣いの行動の全てがカウンセリングだと考えています。むしろ、カウンセリングという非日常的な空間の中で子どもたちがどれだけの本音を語るだろうかとも思います。学校でいい生徒を演じるように、カウンセリングの場でもよそ行きの仮面を被った良い相談者になるか全く逆の態度をとるようになるか…どちらかではないでしょうか。子どもたちの本音はむしろ何気ない会話やふとした仕草の中に出るものです。私たちスタッフの感性がそれに反応できるセンサーを持っているかどうか、が試されているとも言えます。
(2)身体活動は主にスポーツを通じて行います。2面のテニスコートやサッカーコートがある広い運動場が活動の舞台ですが、泥警(ドロケイ)やバドミントン、ソフトボール、バレーボール、魚捕り、縄跳び、鉄棒などを行う他の場所もあります。また、卓球やバレーボールを行うときは公民館の室内運動場を使うこともあります。
 こういう身体活動は成長期にある小中学生には欠かせません。こういう活動を通じて、それまでは固まっていた身体もほどけ、教室の座学では見られない様々な個性や特徴を見せてくれます。身体は子どもたちにとって言葉以上に雄弁なのです。そして、ほとんどの子どもたちは身体を動かすのがとても好きです。
(3)この他にも「ぱいでぃあ活動」として「感性を養う」様々な活動があります。餅つき・お好み焼き・焼きそば・おでん・カレー・パンづくり・ケーキづくり・クッキーづくりなどの「料理講座」もその一つですが、ミニ凧&巨大凧づくり、自然の枯れ木や葉っぱを用いた自然工作、紙クラフト、粘土細工、仕掛けおもちゃ作りなどの「ものづくり講座」、自然のスケッチ、漫画作文や落書き講座などもあり、いろいろな機会を捉えて自由に感性を羽ばたかせる試みを行っています。

Q. 毎月の校外社会体験学習について教えてください。
A.
 先に述べた活動を総称して「ぱいでぃあ活動」と呼んでいますが、この中には毎月の社会体験学習の実践もあります。この活動は「フリースクール・ぱいでぃあ」の基本理念(遊学統合とフレネ教育法)に基づくものです。私たちのフリースクールの名称となっている「ぱいでぃあ」という言葉自体も学問・教養を意味する「パイデイア」と自立した遊びを意味する「パイディア」という語から付けたものです。その基本理念とは平たく言えば次のようなものです。
 ①「何でも見てやろう、体験してやろう!」
 「遊びと学びは同根のもの」「遊びもまた学びである」という考えがあります。「ぱいでぃあ活動」の「物の不思議さ」にふれること、「物との対話」(物づくり)もこの中に含まれます。人は先ず五感を通して考えるのです。高度な抽象思考もこの上に成り立ちます。小中学という義務教育段階の子どもたちにはこういう感性づくりが欠かせません。この時期は人間の土台(OS)となる五感に裏打ちされた器づくりの大事な時期だと思います。
 ②「書を捨てて街や野山に出よう!」
 一見、教科学習と矛盾するような言い方ですが、学問を築いた先人たちはみな自然や人間の営みから学び、今日の文化文明を築いたのです。書物はその結果として生まれたものに過ぎません。ですから、書物を通した頭での理解以前に身体や体験を通した理解がとても大切です。そして、その上に子どもたちは、次代を担うに相応しい学びをすることが望ましいのです。
 ③「本はどこにでも開いている」
 学校の教師や親御さんや子どもたちの中には「教える→覚える」ことが勉強だと思っている人が多いようです。では、これほど教育熱が高まり、学習塾が栄えて、子どもたちは朝から晩まで勉強漬けになっていながら、なぜ日本では「学力低下」が叫ばれ、将来へ夢も希望も持たない子どもたちが続出しているのでしょうか
 本来、「記憶することと考えることは別」なはずなのに、日本の学校の子どもたちはひたすら記憶マシーンとなることを求められ(悪しき偏差値主義の弊害)、物事を深く「考えないし、考えてはいけない環境」に置かれています。本当のところ、子どもたちは全身を使って、五感をフル稼働させていっぱい考えたいのです。ところが今、そういう環境は「ぱいでぃあ」のような一部の教育機関など、ごく限られた教育活動の中にしかないのかも知れません。
 本当に考える勉強、感じる学びは教科書の中だけにあるのではないですね。もし、学ぶ気になれば、周りの全ては不思議に満ちていて、「なぜだろう?」と考える学びの対象になります。触れるもの、見聞するものが全てが学びの対象──そういうことを出来る限り実践していきたと思っています。
 それで「ぱいでぃあ活動」の一環としての毎月の社会体験活動は、子どもたちが美術館や博物館をはじめ様々なイベントや自然体験等を、自らの五感を通して感じ&学ぶと共に自らも小さな社会人として参加する活動となっています。これは社会から保護され半ば隔離された状態の学校的学びからは決して得られない貴重な営みです。そして、こういう活動は学校を離れた子どもたちが自己回復を遂げ、自己実現をして行くための優れた方法ともなっています。

Q. お昼の食事やお昼休みはどうなっていますか。
A.
 食育という観点からも昼食の時間は大事にしています。お昼休みは12時~1時までたっぷり1時間とっています。ゆっくり食事する人にも十分な時間だと思います。食事は各自お弁当を持参することをお勧めしていますが、前のスーパーで買うこともできます。都合の良い方をお選びください。
 食事の後は自由時間です。近くの公園に散歩に行く人もいれば、好きな本や漫画(「こち亀」や「クレヨンしんちゃん」「コボちゃん」「コナン」「ブラックジャック」などが人気です)を読む人、将棋や囲碁やアルゴなどの対局ゲームを楽しんだり、みんなでトランプやウノ、人生ゲームなどを楽しんだり、その時によってやることも様々です。でも、楽しいことはいいことですね。このリラックスタイムはとても貴重だと思っています。

Q. 「ぱいでぃあ」にイジメはありませんか?
A.
 「イジメはありません」と言えば、それは「私は嘘をついたことがありません」と言うことと同じで、嘘っぽいですね。「イジメが起きないように絶えず注意しています」という方が正確でしょうか。
 というのは、「イジメ」を受けた経験があるということは、かつてそういう環境の中に身を置き、無意識のうちにそういう空気に染まっていたということで、イジメられていた子自身が何かの折にイジメる側に回る確率が高くなるのです。放っておくと、イジメられた子同士の間でイジメが起きることもあります。ところが、イジメられていた子どもは自分が被害者であることには非常に敏感でありながら、もしかすると逆に自分が加害者になっているかもしれないということにはとても鈍感なことがあります。そこで、イジメが起きない人間関係の結び方を身に付けることがとても大事になります。そういうスキルを日々の活動の中で自然に体得していくようにしています。
 その結果、「ぱいでぃあ」ではイジメにあって苦しむというようなことはまず起きないようになっています。誰もが安心できる空間が確保されています。

Q. 「ぱいでぃあ」にはどんな校則がありますか?
A.
 「ぱいでぃあ」には「みんなの約束」という大事な決まりごとはありますが、校則というものはありません。その「みんなの約束」の中で一番大事なことは「自分が嫌なことは人にしないこと」ということです。
 その他はほとんど「社会常識」的な簡単な約束事です。これらは人を縛るためのものではなく、みんなが楽しく過ごせるためのルールですね。これもみんなとの話し合いの中で決めて行きます。

Q. 「ぱいでぃあ」の重視する「予防教育」ってなんですか?
A. 
ひとことで言えば、不登校になった子ども達を「ひきこもり」に移行させないための教育的関わりということです。
 「引きこもりKHJ親の会」の全国組織とも繋がりがあり、「ぱいでぃあ」でも「ぱいでぃあ広場」という引きこもりの当事者の集いを開いていましたが、その半数以上が一流四大の大学生の引きこもりでした。そして、そのほとんどの人たちは過去に不登校の経験を持ちながら解決を先送りしてきた人たちでした。
 全国には100万人とも150万人とも言われる引きこもりの人数ですが、正確な統計はありません(でも、注意してみれば町内を「には必ず数人はその該当者らしき人たちを目にするはずです)。心身に障害を持っている人はまた別かもしれませんが、日本の教育風土がそういう人たちを生み出してきた事実は否めません。不登校も引きこもりも日本の近代教育システムが作り出したと言っていいところが多分にあるのです。だからといって、放置しておくわけにはいきません。
 不登校から引きこもりへ移行した青年たちはきっと無念なことだろうと思います。人として生まれ、将来へ様々な可能性を抱いてたはず。また、国家も様々な人材を活かせないばかりか生活保護等で一生その人を面倒見ていかなければならない。両者にとって何の益もない膨大な損失です。
 そこで「ぱいでぃあ」は学校教育からはじき出され、未来を閉ざされるかもしれない不登校になった子ども達に、自尊感情を回復し、自分の人生に誇りを持ち、自分づくりに励み、「人として生きてあることの喜び」を享受できるようになってほしいと願っています。そして、そういう子ども達への支援が結果として「予防教育」になるのではないかと考えています。
 「ぱいでぃあ」活動のモットーに、「生きる喜び 学ぶ楽しさ」とありますが、そういう願いを込めた言葉なのです。

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フリースクールって何? どんなところ?─(1)

2010年03月04日 | フリースクール

フリースクールって何? どんなところ?─(1)

 こういう事柄に通じている人もいれば、そんな素朴な疑問を持っている人もいるかもしれません。そこで今回、フリースクール活動の一つ、私たちの「ぱいでぃあ」について、そういう率直な疑問に答えてみたいと思います。
 なお、これは、不登校になった本人と親御さんが、学校外の学び場・活動の場、将来につながる育ちの場としてフリースクールを探していることを想定して書いています。ご了承ください。
 ただし、質問等があれば可能な範囲でお答えします。

Q. フリースクールって、どんなところ?
A. フリースクールは市民が作った、子どもが主人公の自由な校風のスクールです。
 主に学校に行きたくても行けない(不登校の)子どもたちや学校に行きたくない(登校拒否の)子どもたち、日本の学校教育で学びたくない(帰国子女の)子どもたちや自分主体の自由な学びや活動をしたい子どもたちなどが通っています。

Q. 学校との違いはなんですか?
A.
 「学校」は文部科学省が定めた規則に従って運営されている教育機関で、親の委託を受けて税金で営まれています。ですから、主体は教員であることが多く、ふだん子どもたちはその規則に従って生活することになります。
 「フリースクール」は運営する人たちが意見もお金も出し合って、子ども主体の学び場&活動の場を作っています。ですから、子どもの意見を一番大事に考え、子どもたちの自主的な活動や自治活動を尊重しています。

Q. 「フリースクール・ぱいでぃあ」って、どんなところ?
A.
 「ぱいでぃあ」は、主に小学生や中学生など公立・私立の義務教育段階の子どもたちが通っているフリースクールです。
 「ぱいでぃあ」ではこの時期の育ちや教育が将来を決める一番大事な時期と考えています。もし、この時期の育ちの環境に問題があると、子どもはその歪みを一生背負って生きなければならなくなることもあります。ですから、学校を離れた子どもたちの育ちや学びの環境をとても重視しています。
 そこで、「ぱいでぃあ」では、そういう子どもたちが心も体も頭脳も健やかに育ち、やがて社会人として自立して行ける豊かな感覚(コモンセンス)を持てるよう、最大限の努力をしています。

Q. 勉強が不安です。「ぱいでぃあ」ではしっかりやってもらえますか?
A.
 お任せください。しかし、これは「ぱいでぃあ」のような学びを重視しているフリースクールだから言えることであって、どのフリースクールでも同じということではありません。(中には、「学びの学園」などと謳っていても、実際は養護学校レベルの勉強しかしないというところもあります。フリースクールによって支援する生徒の対象が違うということです。しかし、そこにはそこの持ち味があるのだと思っています)
 「ぱいでぃあ」に通う中で気付かれることと思いますが、学校に行っていた時のような「教えられ→覚える」という受身の勉強の姿勢ではなく、「自ら考え→自ら解く」という何事にも主体的能動的な姿勢になっているお子さんを発見することでしょう。朝、「ぱいでぃあ」にやって来ると、誰に命令されることもなく学びのモードに入る子どもたちの姿があります。しかも、そこにはみだりに他人の領分を侵さないという暗黙のルールも働いています。
 しかし、これは結果としてそうなるのであって、まずは、居場所&癒しの場として、その子の心身の状態をしっかりと受け止めることが始まりであり、どの子にとっても無理のない心の回復や自立心の向上を図っていきます。


Q. 学校に行かず、「ぱいでぃあ」に勉強を任せていても大丈夫でしょうか?
A.
 大事なご質問ですね。きっと「ぱいでぃあ」の卒業生やOBの活躍を見れば安心して頂けるのではないかと思います。「ぱいでぃあ」はそういう意味では多少の実績のあるフリースクールです。 
 お子さんが「ぱいでぃあ」に来るまでどうであったか、今の状態がどうであるかによって異なりますが、基本的に「大丈夫ですよ」と言えます。今までにもいろいろな子どもたちが「勉強出来るフリースクール」を求めて「ぱいでぃあ」に転校して来ています。
 実際の成果は進学・進路のデータ(別表)をご覧ください。学校を離れた子どもたちではあっても、何ら臆することはありません。むしろ「ぱいでぃあ」にやって来て自分のリズムに合わせて伸び伸び生き生きと勉学に取り組んでいる姿があります。公立や私立の有名進学校、専修学校、定時制高校、通信制高校、通信制サポート校など、それぞれの実力と希望に合わせて進学して行きます。また、最近は中学受験で私立中高一貫校へ進学する子どもたちも増えて来ました。また、何名かの特に頑張った子の場合には「ぱいでぃあ」の校長推薦という形で有名進学校へも進学しています。
 ただし、「ぱいでぃあ」はあくまでも独立したフリースクールであり、サポート校付属の中等部ではありませんから、サポート校の高等部に進学すればそれで良しとする指導は行いません。中学受験にせよ高校受験にせよ、子どもたちにはその希望と実力に合った進学先を自由に選んで挑戦して欲しいと思っています。そのために「ぱいでぃあ」は可能な限りの教育的支援を惜しまないつもりです。

Q. 卒業生・OBの動向を教えてください。
A.
 「フリースクール・ぱいでぃあ」を設立したのは2000年2月、その5年前の1995年から教育雑誌「ニコラ」の活動を開始していますから、計15年ほど学校を離れた子どもたちの教育活動に関わって来たことになりますが、ここでは「ぱいでぃあ」の卒業生・OBに限定してお話したいと思います。
 こういう不況の中、今年も有名企業に就職した人や映画制作など夢実現に向けて励む人、自分のセンスを活かして美の世界や数理の世界に進んだ人、教育や福祉の世界で頑張っている人、いま大学生活を謳歌している人など、様々です。もともと学校では満たされない個性豊かな子どもたちだったのです。
 そういう卒業生・OBを見て改めて感じることは、夢は持たなければ実現しないこと、夢は持つだけでは実現しないこと、夢は追い求めてこそ意味があること、そして、「ぱいでいあ」を飛び立った子どもたちの多くは夢を成し遂げていく子どもたちであるということです。その熱意に比べればペーパー上の学歴はあまり重要ではないとも言えそうです。

Q.「ぱいでぃあ」には進学保証制度のようなものはありますか。
A.
 不登校になると学校に行けないことも心配ですが、「これで人生お終いではないか」「もう先がないのではないか」「ずっと引きこもってしまったらどうしよう」と色々心配になりますね。
 でも、大丈夫です。「ぱいでぃあ」には「学習成果・進学保証制度」というのがあります。お子さんが自立し、希望の進路進学に向けて羽ばたいていくようになることを自信を持って保証する制度です。これは進学実績のないフリースクールでは不可能なことです。
 そのために、「ぱいでぃあ」では一人ひとりに合った個別対応の自立プログラムを作成し、子ども・親・ぱいでぃあの三位一体の結び付きの中でそれを実践し、自己実現を支援していきます。その結果、ほとんどのお子さんは中学・高校・大学等へ進学したり、社会参加を遂げ、自己実現を成し遂げています。ちなみに、今年も有名大学や進学したり有名企業に就職した人たちがいます。

Q. 「フリースクール・ぱいでぃあ」の学びについて書いた文書があれば、参考までに紹介してください。
A.
 いろいろありますが、その中で二つほど紹介しておきます。
 (もっと詳しくお知りになりたい方は、「いきいきニコラ」か「フリースクール・ぱいでぃあ」のサイトの記事「行ってみないかこんな『学校』」(ハート出版)などをご覧下さい。なお、教育雑誌「ニコラ」については後日、保存版としてPDFファイルの形で復刻の予定です)
(1)「ぱいでぃあでの学び①」=フリースクールでの学び
(2)「ぱいでぃあでの学び②」=「学力低下」論議について
(3)「Play-Study-Workの結びつき」=教育の営みは「公」(public)の営み

Q. 学校復帰のための働きかけはありますか?
A.
 学校に戻りたいか戻りたくないか、戻る気はあるかないか、は基本的に本人が決めることだと思っています。止めもしませんし強制もしません。ただ一般的に、元いた学校やクラスに戻ろうとすることは大変なプレッシャーであろうと思います。
 「ぱいでぃあ」に通うようになった子どもはみるみる雰囲気になじみ元気になっていくのが普通です。「ぱいでぃあ」には自分が受け入れられ認められているという思いになれる環境があるからです。ここは私たちスタッフやアシスタントだけでなく、子どもたち全員で作り上げていく空間なのです。
 ところが、親御さんや学校の先生は「ぱいでぃあ」でそんなに元気になった子どもの様子をみると、「そんなに元気なら学校に戻ろう!」と働きかけます。で、周りから言われて本人もその気になります(不登校の子は特に周りに気を使うのです)。でも、それは「ぱいでぃあ」にいるから元気なのであって、まだ本当に気丈になったわけではないということが多いのです。
 その結果、子どもはまた「できない自分」を体験し、更に深手を負うことにもなります。子どもの行動は親御さんを喜ばせたい一心の行動であって、必ずしも本心から生じたものではないのです。ですから、まずはじっくりとお子さんの本音と付き合い、片言の向こう側から聞こえてくる子どもの本心(声なき声)に耳を傾けることがとても大事です。

Q. 「教育相談」では、どんなことを話しますか?
A.
 「ぱいでぃあ」では入学する前に「教育相談」や「体験入学」があります。たいていは「教育相談」で初めて互いを知り合うことになりますが、「どうして学校に行かなくなったのか」「フリースクールに何を求めるか」「ぱいでぃあはどんなフリースクールか」…などを、お子さんの話せる範囲で、また受け止められる範囲で話し合うことになります。
 中には、「本人は相談にも行けない」とか「相談に来るのがやっと」、「相談に来ても目を合わせられない」…というように、学校に行けなくなったことでひどく落ち込み、マイナス感情や自己卑下でいっぱいになってやって来る子もいます。ですから、それぞれのお子さんの状況に合ったお話から入り、それぞれの接点を見つけていくことになります。
 インターネットの発達した現在、「ぱいでぃあ」に来られる前に、ここがどういうフリースクールであるかを「フリースクール・ぱいでぃあ」や「いきいきニコラ」のサイト等でお調べになった方が多いですね。でも、稀に対象外の方(完全な非行系など)が来られる場合もあります。そういう場合には、その子に相応しい場などを紹介することになります(そういう子の場合、ナイーブ系に劣らず時にはそれ以上に周りの支援が必要なことがあります。放置しておくことはできません。でも、同居は不可能なのです)。

(次回に続く)

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