素浪人スーダラLOG

給与生活35年を卒業。
「だからこそ」ワードを懐に、
セカンドキャリアに向け発進準備中。

記憶に思う。東京・新宿。JAZZの街。

2017年07月21日 23時31分41秒 | 記憶に思う
「今、昭和じゃないから」と、最近家族に時々言われる。
@昭和の素浪人は、昭和に生まれ、育ちで、その通りなのだが、
「昭和」感覚を引きずり、知らず知らずの内に「昭和」光線を発しているのだろうか。

今回は、家族の言葉に開き直る。
先日、東京・新宿にオープンしたVR遊園地(体験施設)の記事を投稿したが、
その後に、「新宿」での思い出がとめどなく湧き出してきた。

@昭和の素浪人は、昭和50年代前半に時折、東京・新宿へ出向いた。
田舎から上京して、はじめての一人暮らしの中で、出向いていた。

新宿西口、歌舞伎町、しょうべん横丁、
ジャズ、映画、芝居、酒場、、、、、、

様々な単語が溢れ出てくる。

あの頃、セブンスターが100円、ハイライト80円。
立ち食い蕎麦が、80円。かき揚天ぷら付けて100円。
一日のバイト代の相場は、3,000~4,000円。

そういえば、初バイトは高校2年。
地元ゴルフ場のキャディ。
初日に、ゴルフ場所属ゴルファーの練習ラウンドに付いてキャディ研修。
当日、野鼠のように駈けずり回された。
その後に受け取った報酬、500円。
それでも、人生初めて自分の汗で稼いだ500円。あのワンコインは輝いていた。

上京して、時折通った東京・新宿。
田舎者にとっては、「初めてのコト」、「初めてのモノ」ばかり。

「JAZZ」喫茶。
@昭和の素浪人は音痴で、音楽の素養は全くないが、
本人にとって、何故か、「JAZZ」はクール(かっこいい)だ。
当時も、そして40年経った今も、「JAZZ」はクールだ。
 
田舎にもJAZZ喫茶があり、高校時代に何度か通った。
明るい内装で会話も十分出来る程の遠慮深い音量だった。
が、新宿のそれは、違った。

昭和50年。東京で最初に行った店は、
Jazz喫茶「さむらい(サムライ?)」。
新宿・紀伊国屋書店の向かって左側の小さなビル2階にあった。
今はない。
初めてそのビルに足を踏み入れ、
階段を上ると、爆音が階段中にもれている。今日はライブ?

真っ暗な店内に入ると、ライブの様子なく、スピーカ音源だったことに驚く。
当然会話できない。する人もなく、多くは目を閉じているか、無言で煙草の煙をゆらしていた。

ギラギラネオンの歌舞伎町入口を入って突き当りを左に行けば広場方面だが、その突き当りを右にほんの10m程行ったビルの地下。
JAZZ喫茶「木馬」。
真っ暗な階段を下がりきり入口を入ると、一瞬目がくらむ。
少々長めの廊下状の通路があり、その両サイドにはショ―ケースが置かれ、
なにかが、光の中で輝いていた。その何かは思い出せない。
音量は、そこそこで、会話はかろうじて出来る程度だった。
コーヒ一杯で、穏やかでクールな時間を過ごせた。
しかし、そんな店は、今はない。

直近だが、5、6年程前。
仕事帰りに何度か立ち寄った。
前出の「木馬」があった少々奥のビルの2階。
JAZZバー(喫茶?)「ナルシス」。
入り口奥のカウンター席は5、6人で一杯。
入口近傍にボックス席が1つ、2つだったか。
決して大きくない店。

一番奥の天井近い場所にでかい一対のスピーカが、陣取っている。
ターンテーブル上のレコードから音を貰い、鳴り響く。時に泣く。
スピーカの下には、見事な生花がいつも生けてあった。
日々、活け替えているのだろう。
概ね白が基調だったと思うが、大振りの花が威張ることなく、自然にそこに咲いていた。
この生花はJAZZと調和していた。
なんとも、クールだ。

髪に白さが垣間見れるママが一人で仕切っていた。
 先代の親父様が営んでいた店を急遽引き継ぐことになった当時は大変だったと、聞いた。
決して広くない店に、数千枚(?)のレコード。
一枚、一枚、愛おしむようにレコードを扱っていた。
そのレコードリストは、手書きノートだ。

今もご健在で店を切り盛りされていますように、、、、

新宿は、昭和も今もJAZZの街。
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