
先生からのお問い合わせがあったので、自論を少しだけ書きます。
私は小さいころから体が小さく、いじめられそうになりました。特にクラス替えの時など。
こどもたちの間でいじめるかいじめられるかを見定めます。
私は負けん気が強かったのでいじめられませんでした。反抗してなめられないことと、クラスの中で何でもいいから一目おかれるようにしていればいじめには合いません。
むしろいじめられる子を見ると間に入っていましたし、ほっときませんでした。
そのことで自分がいじめられそうになっても、引き下がらず、みんなと仲良くやっていたことを思い出します。人事ではなく自分だったら・・と自分事のように目配り気配りしたもんです。
先生もその一部始終をきちんと見ていて、いざ出番だというときまでじっと観察し、我慢して子供たちの世界のことは子供たちで解決できるよう見守っていてくれた感じがありました。そこには愛がありました。
子供たちの間に入るタイミングを知っていました。
先生に対しても子供心に畏敬の念がありましたし、尊敬の心も自然とありました。
今はどうでしょうか?
いじめは子供の問題ではありません。
大人の世界の一端です。
会社でも意地悪やいじめ的なものはいくらでもあります。
いじめをなくそうなんて子供たちにいえますか。
いじめとどう付き合うか、それを子供なりに考えて解決することの能力を身につけることが大切です。
いじめのない世界は理想ですが、憎しみやねたみという感情がある限りなくならない気がします。
そして命の大切さ、目上の人に対して感謝の心、個人、その人の宿命と運命に対しての配慮の心を幼少期から教育する大人でなければなりません。
今起こっている問題は、幼児期の親のしつけ方で決まるものだと思います。
先生の問題ではありません。その前の段階の躾です。
よいこと悪いことの判断力、悪いことをすることは人間ですからあるでしょうが、自生する心、反省する心から生まれてくる知恵を身につけさせることです。
でもこんなこと書いている自分は偉くもなんともないです。
悪いことばかりしてます?生意気言ってすみませんでいた。