日々の細道

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ラ深夜便・オーケストラを支え30年東響前楽団長金山茂人

2008年05月16日 | Weblog

 一昨夜、昨夜のと2回、朝4時5分から、NHKラジオ深夜便〔こころの時代〕「オーケストラを支えて30年(1~2)」東京交響楽団・前楽団長金山茂人さんのお話を聴きました。

 富山・立山での生い立ちから、バイオリン奏者として楽団入団、演奏家から、楽団をマネージメントする楽団長としての活躍まで。30年間、東京管弦楽団を支えてきた苦労話やオーケストラにまつわる諸々のエピソードなど、楽しいお話でした。

 金山さんの語り口調は、明るく、迫力があり、声を聴いているだけで、金山さんのこれまでのご苦労がわかるようでした。

 スポンサー探しや金繰りに奔走して、時には、屈辱も味わわれたようですが、プライドを失わず、毅然として、立ち向かったといいます。

 これまで幾度なく遭遇した、東京管弦楽団の危機には、不思議と良い支援者が現れ、救われたと、金山さんは述懐。金山さんの力強い口調が、スポンサー説得に威力を発揮したのでしょう。


 東京交響楽団は、NHK交響楽団、読売日本交響楽団と並び、日本を代表するオーケストラです。東京交響楽団は、創立以来、常に「チャレンジ精神」をモットーに、邦人作品、外国人の新旧作を含め、大曲、難曲、日本初演を行い、注目を浴びてきました。

 経営戦略にも、そのチャレンジ精神が活かされて、1988年からは、株式会社すかいらーく代表取締役の東京交響楽団理事長就任により、財政基盤が固まって、1999年には、新潟市との準フランチャイズ提携、2004年には、川崎市とフランチャイズ提携を行いました。

 また、世界コンサート・ツアー、フランス・オーヴィディス社との録音契約、CD のワールド・リリースなど数々の積極的な海外進出活動を通して、「アジア圏で最も注目すべき交響楽団」と紹介されるほどに。

 東京交響楽団は、演奏レベル、演奏会プログラム企画力、経営力ともに、全てが順調であるかのように見えますが、 金山さんは、「民間団体の悲哀。今まで本当にいろいろなことがあった」と、創立以来の歩みを振り返ります。

 金山さんは、日本のプロオーケストラには、大きく3つの種類があると。

一つは、
①「安定型交響楽団」と呼ばれるもので、楽団員が固定され、大型のシングルスポンサーがバックについているため、財源元も安定している。N響、読売日本交響楽団などがその例。

二つ目は、京都市交響楽団のように地方自治体によって支えられている、
②「地方型オーケストラ」である。財政的に安定していると言えるが、オーケストラに必ずしも詳しくない公務員が地方自治体から出向し、事務局の担当になることがあるという問題点も指摘されている。

三つ目は、
③「自主運営型オーケストラ」である。東京交響楽団はこのカテゴリーに当てはまる。運営を特定のスポンサーに依存することなく、入場料収入を主たる財政基盤として運営されるため、黒字を出すことは難しい。

 近年では、国からの直接支援がほとんどない地方自治体のオーケストラの運営が、特に厳しさを増しているという。

*大阪のオーケストラも、頼みの大阪府や大阪市が財政難の上に、実利優先の風土と相まって存廃のピンチ。


 東京交響楽団は、1946(昭和21)年、近衛秀麿と上田仁を常任指揮者に迎え、東宝交響楽団の名で創立し、翌年の1947年から本格的なシンフォニー・コンサートを開始。

 当時は、娯楽の少ない時代背景もあって、オペラ伴奏を年間130公演、バレエ伴奏80公演をこなすというような、過密スケジュールだった。

 しかし、経営母体である東宝株式会社の財政不振から東宝交響楽団は解
散を余儀なくされた。その後、1951年に上田仁と斉藤秀雄を常任指揮者として、東京交響楽団と改称、再結成し、今日に至っている。

 1956年には、財団法人の認可を受け「財団法人東京交響楽団」となった。財団法人として生まれ変わった楽団は、当時、映画にかわって成長しつつあった民間のテレビ局や東芝レコードなどと専属契約を結び、財政的にも安定した運営がなされていた。

 しかし、1964 年に、いわゆる「昭和40 年不況」の影響を東京交響楽団も受けることとなった。

 開局以来東京交響楽団を専属にしていたTBSが経営難を理由に東京交響楽団との契約を打ち切り、更に、東芝も援助を停止し、その他の多くのスポンサーが撤退してしまった。

 東京交響楽団は、これらの財政的困難により財団法人を休眠状態(事実上の解散)とし、楽員管理による自主オーケストラに転身した。

 1976年、金山茂人さんが楽団代表になり、その後、楽団長に就任した。
 この年に、初めて北米(アメリカ、カナダ、メキシコ)で海外公演を行い、以後、アジア、ヨーロッパでも公演活動を行う。

 1980年、理事長にペンシルロケットで有名な糸川英夫氏、楽団長に金山さんを選出し、再び財団法人格を復活させる。

 1987年には、東京交響楽団の活動を向上させる目的で、アマチュアだが、非常にレベルが高い専属の東響コーラスを設立。この合唱団によって、東京交響楽団のレパートリーの幅が大きく広がった。

 1988年、横川端氏(「株式会社すかいらーく」代表取締役会長)の理事長就任により、資本金1億円で、東京交響楽団の支援を目的とした、「株式会社すかいらーく東京交響楽団」が設立され、財政基盤が強化された。
 これは、「すかいらーく」の23番目の子会社であり、財団法人東京交響楽団のマネジメント業務を請け負い、チケット販売や出資金の運用などで得た収益を演奏会のつど楽団に配分する組織であった。

 「食文化も音楽文化も同じである。21世紀は文化が大事にされる時代になる。」というのが横川端氏の理念で、子会社を設立した理由は、単なるスポンサーという立場では弱いので、両者の関係を濃くするためだった。

 しかも、親会社すかいらーくが、東京交響楽団に役員や社員を派遣することはなく、自由度が高いものであった。

 定期演奏会のプログラム上に、「私たち、すかいらーくグループは、東京交響楽団を応援しております。」という文章が記載されていたが、これは、
すかいらーくから依頼されたものではなく、東京交響楽団から、せめて、これぐらいはさせてほしいとお願いして、PRのために載せていたという。

 すかいらーく東京交響楽団を母体とした支援方法は、世界にも例を見ない珍しい方法と高く評価され、1992年に、第2回メセナ大賞を受賞した。

 しかし、現行の株式会社制度の性格に馴染まないなどの指摘を大蔵省(現、財務省)から受けたため、すかいらーく東京交響楽団は、2003年に解散し、現在は、すかいらーくから直接援助を得ている。

 金山さんは、「すかいらーくが、大スポンサーになってから、東京交響楽団は、生まれ変わった。新しいことへチャレンジすることができるようになった。」と語ります。

 特に、すかいらーくがスポンサーとなって以来、各種音楽賞をほぼ毎年受賞するようになり、これまで、日本の音楽賞の90パーセント以上において受賞したということに。

 金山氏さんは、「お金はかかったが、名誉は保たれた。」と語り、さらに、「オーケストラというのは、お金の音。お金がないと良い音が出ない。」と付け加えました。


 ドイツのベルリンフィル、オーストリーのウインフィルは、国や自治体の支援があり、金のかけようが日本と桁違いに違います。

 良いオーケストラは金がかかり、民間の財布だけでは限度がある。サポートには、政府や自治体の支援が必須。

 音楽文化の土壌の違いはあるが、現状、日本の公的支援は何とも貧しい。政府、自治体も文化には関心が薄いが、国民も目先の実利優先で、関心が薄い。

 かっては、軍事優先、戦後は経済優先の国策は、文化はマニアの世界と軽視。人間の円滑な社会生活には教養文化のバックボーンが必要なのに。

 また、日本のオーケストラが世界一流レベルに到達との風評について、金山さんは、コントラバスなどの低音は、日本人ではどうしても真似出来ないといいます。

 西欧の伝統文化に裏付けされた、西洋音楽の芸術性は、技術だけでは表現できないということでしょう。

 オーケストラの楽団員一人一人が、オラガ大将の気分で、自分がオーケストラを背負っているという、音楽家気質にも驚きました。有能な組織の一人一人がそうした自覚を持っているので、組織としても活発に動ける。

 今の公務員はじめ組織の一員には、いい話です。
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3 コメント

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有難うございました。 (田口)
2008-08-01 07:34:03
今朝(2008/08/01)偶々金山氏の「こころの時代」再放送の終わりの部分を聞いたのですが、内容、威勢のいい話し振りでグイグイと引き込まれました。そうなると聞き漏らした分をどうしても知りたいと思っていた所、このブログにたどり着き聞き漏らしの部分を知る事が出来ました。
しかし、よく話しの内容を間違いなくまとめていますね。ビックリしています。録音、メモをされているのですか?
いづれにしても助かりました。ありがとうございました。
感謝 (モリタ)
2009-08-11 23:34:07
以前、ラジオ深夜便で聞いて、感銘を受けました。
何か手掛りがないかと探したら、このブログに辿り着きました。
ありがとうございます。
初めまして (一郎)
2012-12-06 18:19:07
11月30日だったか
「明日へのことばで」放送された
第九に関する話のことを調べていたとき
こちらのブログを知りました
2008年5月に放送されていたんですね

詳細な記述に圧倒されました
また訪問して
他の記事をゆっくり
読ませていただこうと思っています
どうかよろしくお願いいたします

この12月で
「前期高齢者」ということになります
いまのところパソコンに向かうのが日課
52歳から始めましたから10数年
まだ飽きずに続けています

後になりましたが
九州は長崎生まれで福岡育ち
京都在住40年の
いまだにチョンガー
このチョンガーって朝鮮の言葉だそうで

余談になりましたが
韓流のドラマにはまっているということを
暗にほのめかしたかったようです
でもチョンガーのことを知ったのはずっと昔
関西芸術座の新屋英子さんの一人芝居「身世打鈴」で

2010年の5月で
こちらのブログがストップしているのに気がつきました
記事一覧から気になるタイトルを少しだけ読みました
初めて目にした記事があまりに詳細だったもので
ストップしているのが残念でなりません

そういうわけで
今後も出来るだけお伺いして
コメントさせていただこうと思っています
といってもあきっぽい性格
いつまで続くか分かりませんが

ご迷惑かもしれませんが
どうかよろしくお願いいたします
それではまた
ごきげんよう
ありがとうございました

一郎


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