昨日は黒門小学校のクラス会を1年半ぶりで、新年会として清澄庭園の涼亭で先生の娘さんの付添いも含めて、23人の参加で開かれました。 3年時の米田健治先生が、昨年末に93歳で天に還られてしまったため、黙とうする事から始まりました。
清澄庭園は紀伊国屋文左衛門の屋敷跡を、岩崎彌太郎を経て現在は東京都の公園施設として、利用されております。 池に突き出たように建てられている平屋の涼亭で、出前のあさり御膳を食べながら懇親を深めました。
自前で真空管テレビを持ち込んで、授業に臨んでくれた柿沼先生の影響で、今でも企業の研究者を相手に講演会を開いている小駒益弘上智大学名誉教授が、自分がプラズマの研究者になったのですと、感謝の気持ちを表しました。
私も先生の授業で、鉱石ラジオを作ってラジオ放送を聴いた記憶があります。 卒業時に一人一人に墨の字で書いたものをくれました。 私には、鶏口となるも牛尾となるなかれ と云う文書でした。
不思議なもので何かあると、その一文を思い出すのです。 次回の幹事も私にやれといわれ、又お世話をさせてもらう事になりました。 楽しいひと時でした。