タビトリプ

旅行大好き、ブログで旅日記を作りたい

北海道ドライブ・・室蘭、積丹、余市、稚内 サロマ湖 旭川

2018年07月16日 | 国内ドライブ

北海道ドライブ・・室蘭、積丹、余市、稚内 サロマ湖 旭川 (2018.6)

北摂地震が起こった数日後、すでに予約していた北海道旅行に出かけた

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行程

1日目・・夕方千歳着のフライト・・・・・・・千歳泊

2日目・・室蘭経由 支笏湖 洞爺湖  ・・支笏湖泊

3日目・・有珠山 羊蹄山 ニセコ・・・・・・岩内泊

4日目・・積丹半島 余市ニッカ見学  ・・・小樽泊

5日目・・小樽観光 オロロンラインを北上・・稚内泊

6日目・・オホーツク海をドライブ・・・・サロマ湖泊

7日目・・旭川へ動物園 ・・・・・・・・・ 旭川泊

8日目・・美瑛 富良野 夕張・・・・・・・・千歳泊

9日目・・レンタカーを返却  大阪へフライト

 

1日目

夕方新千歳空港着  レンタカーを借りて、ビジネスホテル泊

 

2日目

千歳からは海岸沿いのR36を走る JR室蘭本線と並行する国道である
  期待した海岸は、車高が低い為草や家に隠れて見えない

途中に見える建物に煙突が並ぶ 冬の寒さを思う

 

観光情報が欲しいのでJR登別駅に行く
大きな熊が迎えてくれたが、パンフレットの殆どは外国語だった

  

JR室蘭新駅 立派だったが列車の本数は少ない

地球岬 室蘭半島にある壮大な名前の岬から太平洋を見る 

   

昭和新山の三松正夫記念館へ
岩山の新山は迫力あり、今も水蒸気が上がっていた

 

一人で新山の観測を続けた記録は充実していた
 

外国の観光客のバスが並ぶが、資料館の中には日本人だけ

洞爺湖に面するウィンザーホテルでお茶をする
2002年にサミットが行われて高級ホテル。ロビーから洞爺湖が見渡せる



   
 

羊蹄山見ながら宿泊地に向かう 北海道の道路沿いは大きな蕗の葉が茂る

   

2日目  走行距離=258km

3日目

ニセコはスキーリゾートで夏の観光地はどこなのかよく判らないから
 先ずはJRニセコ駅へ お勧めを聞く


   

勧められたダチョウ牧場へ行く
首が長く動き回るダチョウの姿は異様った

 

ミルク牧場でソフトクリームを食べる
さすがにフレッシュで美味しかった

  

夏のスキー場は緑でスキーリフトは外されていた

  

3日目  走行距離=226km

4日目

積丹半島をドライブする
R229は海岸沿いの国道、トンネルが多かったが走りやすかった

  

神威岬 
積丹半島の左側にあり、海に突き出た景勝地
観光客も多かった 昔はこの門から先は女人禁制だった

  

半島の右側 積丹岬は急な坂を登ったのに灯台だけだった

この地で有名は「うに丼」を食べる
   

余市ニッカウィスキー工場見学

 

ガイドさんの案内で製造工程 昔からの建物 リタが住んだ家などを見学する

  

 見学の後は試飲 3種のウィスキーをグラスで味わう
ハンドルキーパーはリンゴジュース お茶が用意されている

夕方小樽着 夜の小樽を観光する 賑やかだった
   

4日目  走行距離=141km 

 

 5日目 

朝、食事前に小樽の街を歩いてみた
ここは昔は北前船、明治大正は北海道開拓で栄えた都市

 戦争での被害を受けてないので石造りの昔の建物がのこる
旧三井、旧三菱、旧第一銀行など

  

これらの大きな建物はホテルなどに建て替えられつつあったが、
堺通り商店街は保存地区で建物保存で観光通りになっていた

  

JR小樽駅は有形文化財 駅構内の天井は高くランプが飾られていた

  

札幌を通り過ぎて、R232を北上、ロングドライブで稚内へ向かう
石狩川を渡る

  

ニシン漁でに賑わった沿岸には、鰊御殿が残る
旧鰊御殿の横に道の駅「おびら鰊番屋」がある 鰊丼で昼食 

  

   

ここからがサロベツ原野を走る ドライブ街道である
海沿いに花咲く原野がある直線道で快適 左手に利尻島が見える
   

ノシャップ岬 

   

稚内港防波堤ドーム
樺太連絡船の時に作られたギリシャ風のドーム 
日本が北方領土と行き来があった当時の隆盛を感じた
  

5日目  走行距離=349km

6日目 

宗谷岬に行く手前に間宮林蔵の樺太出発の記念碑があった

    

宗谷岬先端 遠浅で水鳥が歩いていて驚く 今まで見た岬はどこも絶壁だったから。

  

高台に登り宗谷岬を見下ろす

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多くの記念碑がある
宗谷岬の歌碑 ロシアを監視した海軍の望楼後 太平洋戦争で戦ったアメリカと日本兵の鎮魂碑

   

雨の中をドライブ 自転車で走っている姿もあった

  道の駅「おうむ」(雄武)は立派な展望台を持っていた

 

オホークツ紋別 流氷センターを観光

   

流氷のできる仕組みや展示、クリオネを見る

ここでの必須体験は-20℃の地下室。防寒服着て階段を下りると氷室だった

 

こおりの椅子や氷の標本が展示されていた

  

湧別町で郷土史博物館に行く 立派な建物に驚く
屯田兵入植100年を記念して建てられたという

屯田兵とは北海道に送られたけ北方警護と開墾を目的とする兵隊
その生活と苦労の様子が展示されていた
 

  

サロマ湖の民宿泊
6日目  走行距離=309km

7日目 

サロマ湖の砂嘴は繋がっていなかった
原生花園は車禁止で自転車を借りて一つ目の橋まで行く

  

サロベツ原生花園で車から見た花園の中の道を快適に走る

  

橋の下の水は流れが速い 2個の開口のおかげで汽水湖となりホタテの養殖が盛んになったそうだ

  

旭川に行き 旭山動物園に行く

久しぶりの動物園であった いろんな動物を見て楽しんだ

  

  

三浦綾子記念館へ
20周年を記念してリニューアルされた新しい展示を見ることが出来た

   

 7日目  走行距離=187km

 

8日目 

大雪山を見ながら、美瑛、富良野に向かう

   

西北の丘展望公園からの眺め まだ花は早かった

  

なだらかな丘の農場は手入れされた緑だったが花が咲いているのはジャガイモだけ

  

 四季彩の丘では雨の中をトラクター列車に乗ってまわる
この公園は観光用に花を植えている丘だ

   

  

夕張の道の駅でメロンを宅急便で送る
メロン作りの様子の展示が面白かった
  

8日目  走行距離=222km

 

9日目 

ホテルでゆっくりする
レンタカーにガソリンを満タンにして返却後

昼の便で大阪へ帰着

全走行距離・・・1692km


北陸ドライブ・・敦賀、鯖江、福井、富山、カミオカンデ

2017年08月03日 | 国内ドライブ

北陸ドライブ・・敦賀、鯖江、福井、富山、カミオカンデ(2017.7)

訪問地図

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行程  (全走行距離 1,076km)

1日目・・・名神道→北陸道→敦賀→鯖江→福井泊

2日目・・・福井観光・・芦原温泉泊

3日目・・・北陸道→富山・・富山観光 富山泊

4日目・・・高岡→魚津泊

5日目・・・北陸道→国道41→神岡町 カミヲカンデ見学→高岡泊

6日目・・・北陸道→名神道→帰宅

 

1日目

敦賀

敦賀は飛行機が無かった頃、ヨーロッパに行く最短距離だった
東京新橋から敦賀まで列車が走り、ウラジオストックへ定期航路が開かれ、シベリア鉄道に乗ることが出来た

人道の道「敦賀ムゼウム」を見学
この航路で杉原千畝からパスポートを貰えたユダヤ人が日本に上陸した記念館である
当時の様子や子孫たちの再訪問の記念などを読んで感銘した

  

氣比神社は北陸道の総鎮守社 赤い大鳥居を期待して見に行くが修理中だった
日本三大木造鳥居の一つで重要文化財 (広島厳島神社 奈良春日大社 敦賀氣神宮)

    

氣比の松原も有名 ドライブしてみる 海岸線に松林が続いていた

   

 鯖江

眼鏡で有名な鯖江なので眼鏡ミュージアムに行く
大きなビルだったが展示は一階の博物館だけだった

ロビーには眼鏡のシャンデリアがあり 創業者の増永五左衛門の銅像が立つ

    

博物館の中で眼鏡の歴史や造り方を見る
大村崑が集めた有名人の眼鏡が面白かった

  

 

2日目 

 福井

福井郷土歴史博物館 と 養浩館庭園 

観光案内所で進められて行くがよかった
幕末に活躍した松平春嶽の像が入り口にある

  

隣にある「養浩館庭園」が立派、水に浮かんで見える屋敷だった

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 恐竜博物館 

恐竜博物館は勝山町にある この地から古代の化石が出た所で「勝山ジオパーク」でもある
ドーム型の博物館はB2Fまでおりると、動く恐竜が迎えてくれる

  

恐竜の骨は圧倒される程大きくすごい迫力だった 
歩いて進むと全体が見下ろせたり、地球の歴史や生命発生、進化の過程が展示されてあり
人間とは?を考えてしまう博物館である

  

越前大野大仏

多田清と言う個人が約30年前に作ったお寺で今は廃墟
しかし木材や大理石は本物が使われていて立派だった

    

   

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平泉寺

1300年の歴史ある寺院 越前一向一揆で信長に焼かれたなど
4回の火災で今の大きさになった  杉が高く伸びて苔の美しい所だった

  

 

越前大野市

小京都と言われる区画のある町で、白山からの湧水で潤うところ
その水場をみるが飲んでおいしかった

 


一乗谷朝倉遺跡

朝倉家は応仁の乱頃から栄え、5代約100年続いたが信長に焼かれて廃墟になった
昭和になって発掘されて、戦国大名の当時の城下町の様子が判るので「特別史跡、重要文化財」に指定されている

  

  

 

3日目

富山

北陸道で富山へ 約2時間半かかる

廣貫堂
富山は置き薬売りで有名 先ずはその資料館へ行く
ビデオで歴史を展示で当時の資料をみる 今でも置き薬は続いているそうだ

 

 

富山市ガラス美術館

 webより拝借

建物がユニークでぜひ見たいと思っていくが、目的は市民交流館のようだった
富山銀行、図書館、ガラス展示、ショールームが一緒になっていた
写真は不可だったが、ガラスのアート作品は素晴らしかった

   

富岩運河環水公園

神通川の船溜まりだったのを公園した 広々とした市民公園だったが
歩くには7月は暑すぎた

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越中八尾

風の盆で有名な両側が谷に囲まれた小さな町 街並みは整備されている
5月に曳山、9月に風の盆 祭りのときは多数の観光客が来るそうだ

   

  
 

4日目 

 富山 水墨美術館

特別展「尾張徳川の秘宝」をやっていて、常設で鉄舟や大観の絵を見る

   

 高岡 瑞龍寺 

加賀藩前田利長の菩提寺で江戸初期の建築
仏殿、法堂、山門が国宝指定
特に法堂の内部の木組みが素晴らしかった 

    

   

門前から利長公の墓所に続く立派な歩道があり、武将では最大と言われるお墓があった

  

高岡大仏

鎌倉大仏と同じに戸外に座る大仏 座内は回廊になっている

  

YKKセンターパーク

世界一のファスナー工場の展示場は見ごたえあって時間かけてみたが写真は禁止

  

 

5日目

神岡町・カミオカンデ

今回のドライブはカミオカンデの見学申し込に当選したから計画したもの
小柴氏、梶田氏がノーベル賞を受賞したニュートリノの実験研究所である

私達の見学時間は13:00~17:00
昼前に到着して道の駅「宙ドーム」で展示をみて学習?する

  

地下1,000mの坑道へ直径40mの巨大水槽を作り、
10,000個の光センサーで宇宙から来るニュートリノの姿を捕えようとする施設
模型が展示されていた

 

40名が1グループ ヘルメットをかぶり防寒具を着て懐中電灯を持って2台のバスに分乗

  

1,000m地下と聞いてエレベータかと思ったが山を下って横穴トンネルから入るのだった

昔の神岡鉱山の様子を聞いた後、水槽の60cm上にある東京大学実験室へ入る
水槽内は誰も入ることはできない
純水を作る装置が並び、ここを訪問した著名人のサインボードが並んでいた

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終了後高岡のホテルに向かう 神岡町では宿泊は予約できなかった

6日目

北陸道→名神道で帰宅

全走行 1,076㎞


西九州ドライブ(熊本、天草、雲仙)

2017年07月31日 | 国内ドライブ

西九州ドライブ(熊本、天草、雲仙)  (2017.2)

このドライブ記は今年2月に行ったものです 

行程

1日目・・中国道→九州道→ 熊本へ 観光 熊本泊

2日目・・国道57→天草へ 天草観光→フェリー雲仙へ 雲仙泊

3日目・・雲仙観光→島原→諫早 諫早泊

4日目・・長崎へ 出島館観光→佐賀へ 名護屋城観光→九州道→中国道

 行程地図  全走行1,044km

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1日目

益城町

地震の被害が残る益城町を走る まだ震災の跡が痛ましい

  

道路は整備されたがブルーシートの屋根が見える

  

 

通潤橋

パンフでよく見る水道橋「通潤橋」へ行くがここも地震の被害で修理中
道の駅から眺める

  

資料館で説明を聞く 台地の土地へ水を引く為に作られた橋で今でも現役
放水は中央にたまるゴミを取る必要な作業だそうだ

   

水前寺公園

私は初めての公園で芝生が手入れされている大きな公園だった
アジアの観光客が着物で歩いている

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熊本城 

熊本城の地震の被害は大きかったから、場内は立ち入り禁止
すぐ前の市役所の展望台から見下ろした

天守閣の屋根瓦は落ち、飯田丸櫓の一本足は横から支えてあった

  

熊本のビジネスホテルへ泊まり、夕食は馬刺し店へ 堪能する

    


2日目

天草

雨の中を天草へと向う、天草史郎メモリアルホールへ
展示やビデオを見るが写真は禁止だった

   

松島有料道を通り 天草コレジュ館へ
宣教師を養成する学校が開かれ約6年間ここで西洋文化が開花した
キリシタン大名たちが送った「天正少年使節団」もこの地から出た

  

グーテンベルグの印刷機も伝えられていたとは驚き
ここで作られた印刷本は「天草本」と呼ばれる 日本語のローマ字訳本まであった

   

 天草で有名な「津崎天主堂」左 と 「大江天主堂」右 
どちらも明治になってキリスト教が解禁されてから建てられた 

  


雲仙

島鉄フェリーで島原半島に渡る(熊本県→長崎県)
雲仙温泉に車を置き、雲仙地獄を観光する
湯気と熱湯が噴き出して、地球が生きている感じだった

  

  


3日目

島原

山を越えて島原側に下りて「雲仙岳災害記念館」に行く
雲仙普賢岳の噴火で1991年に報道関係者や火山研究家が火砕流で犠牲になった
その後の復興の様子が展示されている

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島原城

島原城は千鳥破風や唐破風の無い城だが堂々としていた
上から島原の町を眺める

 

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内部は資料展示がされていて、キリシタンのマリア像や
禁教時代の雲仙での拷問の様子の屏風もあった

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雲仙グリーン道路から諫早に向かうが道の両側には野菜畑のビニールハウスが続いていた

  

諫早

グリーンロードからそのまま続いて「諫早湾干拓堤防道路」に入る
両側が土手なので堤防を走る感じがしない
途中の展望所から海を見ることが出来た 海の色は埋め立て側はグレーだった

    

対岸に着いた後、干拓地内を走ってみた 広大な農地が続いていたが稲作ではない
突き当りから堤防が見えるかと思ったが葦原だった

  

ホテルに車を止めて眼鏡橋へ 重要文化財である
諫早水害の被災地は公園になり陶板パネルがあった

 


4日目

長崎出島館へ行く 
昔の絵や資料を基にしてほぼ実物どおりに復元された「出島」は見ごたえがあった
江戸時代 ここは本当に外国との貿易、文化交流の場であったと実感した

 

九州自動車道を多久ICで降りて、国道203で唐津へ
その先の「名護屋城跡」へ行く

ここは秀吉の出兵の時、基地になった所 
当時は陣屋が立ち並び、人口が20万人もあったという
近くに立派な博物館があったが休館だったのが残念

 

昼食はイカの「活け作り」 まだ動く透き通った身を初体験した

   

九州道、中国道で帰宅  全走行距離  1044km


国内ドライブ・・・茨城県ドライブ旅行

2016年08月10日 | 国内ドライブ

国内ドライブ・・・茨城県ドライブ旅行 (2016.7)

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行程

1日目・・・午後発で名神,東名を走る  浜名湖泊

2日目・・・東名を走る→アクアラインで千葉県へ  九十九里泊

3日目・・・犬吠埼→佐原町→鹿島神宮  大洗泊

4日目・・・水戸観光  水戸泊

5日目・・・西山荘→五浦→塩屋岬→牛久大仏  牛久泊

6日目・・・霞ヶ浦→上野美術館 上野泊

7日目・・・新東名、新名神で帰宅 

前回の四国ドライブがマイカーを使い楽だったから(車に馴れているのと荷物が積める)
今回も遠距離ではあるがマイカーを使い交代運転で走った

 

1日目

午後発で名神高速、東名高速を走り 大坂から260kmの奥浜名湖の「かんぽの宿」に泊まる
宿舎の入口には来年の大河ドラマ「井伊直虎」の幟が立っていた

この辺りは東急のリゾート地で別荘が並び 湖は静かに広がる 

   

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2日目

東名高速を走る 途中で富士山が正面にきれいに見えた

富士川SAで休憩 運転を代わり、アクアラインに向かう 関東の複雑な分岐の運転は大変だった

長いトンネルを走り 海ほたるSAに着く 船の形に作られている

東京側を見ると海の向こうにスカイツリーとビルが並ぶ 海の途中に換気塔の「風の塔」も白く見える

  

木更津側は橋でつながり、海の果てまで続くように見える

  

「うみめがね」という名の資料館 この海の道路の建設の様子が展示されていた

  

木更津に向かう道は両側海で快適だった

泊まりは九十九里の国民宿舎 広く立派なのに驚く 
官庁が作る建物はスペースは大きいが、サービスの細やかさは少ない

    

宿舎前の九十九里浜に出てみる 本当に広い 目の前に太平洋が広がり 右も左も砂浜が続く

      

九十九里浜には港が無いので、漁師は船を人力で総がかりで海に押し出し、引き入れたという 
昭和30年代まで行われていた そんな写真が展示されていた


3日目

犬吠埼に向かう  地図で見る九十九里浜のきれいなカーブ
海を見ながら走れるかと思ったが海岸沿いの道は旧街道、普通の田舎道を走る

 

犬吠埼手前の崖が東洋のドーバーと言われるとかで寄ってみるが
沖縄県と千葉県飯岡町の友好記念碑が建っているだけだった 聞いてみたら崖はこの真下だという 覗いても見えない

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「地球の丸く見える丘展望館」へ 屋上展望台から周囲を見る
360度の視界で周辺が見えた 先ほどの屏風ヶ浦も遠くに見えた 犬吠埼灯台もすぐそこにある

   

園内にある記念碑は銚子市とフィリピンのレガスピー市の姉妹都市の記念
レガスピーにある「ルソン富士」に向けて建てられているそうだ 

犬吠埼灯台へ 登録有形文化財で、一等レンズを使用した第一等灯台だそうだ
でも私達は先ほどの展望台で満足、塔には登らなかった 

     

園内にポルトガルのロカ岬との友好記念碑があった
犬吠埼とロカ岬は北緯でほぼ同位地だそうだ
 
ポルトガルの方が北のような気がしたが後日、地図で確認したら同じ北緯だった

利根川沿いに佐原町へ向かう 
佐原町は水郷の町として栄えた所 伊能忠敬の婿養子先の町で記念館がある

立派な記念館だが写真は禁止 忠敬作製の日本地図と現代の地図が重ねあったが殆ど同じ形だった
息子に家督を譲ってから測量を勉強して、日本中を歩いて図って作ったというから凄い
庭にある象限儀のメモリはとても小さかった これで星見て位地を測り 歩数で距離を測った

   

水郷の町は保存されていて、映画のロケに使えそうだった

   

町内の八坂神社の中の山車会館でこの町の山車を見る
毎年 佐原の大祭にこの山車が練り歩くそうだ ボランティアの男性が丁寧に説明してくれた
手前の鯉は麦わら製 稲わらと違い光ってきれい

    

近くの道の駅「水の郷」で昼食 物産所でメロンを買う

利根川を渡り、北浦を渡って 鹿島神宮へ

  

鹿島神宮は常陸の国一の宮で日本建国・武道の神様 立派な神社だった

入口の大鳥居が木製なので不思議に思ったら 
3/11の地震で倒れ 神社内の神森から大木を切って再建したと書いてあった

  

鹿島灘沿いのR51を走るが ここもまた地図のカーブは体験できず海の見えない普通の国道だった
メロン産地の店があちこちにある  鹿島アントラーズのサッカ-場も見えた

泊まりは大洗町 那珂川沿いの「かんぽの宿」でリバービューの部屋

 

 

4日目

水戸市内へ さすが県庁所在地は整備されていた

先ずは偕楽園へ 日本3大庭園だが、ここだけは公園扱いで入場は無料
私達は駐車場側の東門から入る 園内の好文亭は有料 水戸徳川斉昭の時作られた

  

屋敷内を説明付で案内される 二階の「楽寿楼」からの眺めは見事で、多くの賓客が楽しんだと思う

  

    

梅林で有名な偕楽園 沢山の梅の木を抜けて黒門と言われる表門へ

 

すぐ近くの徳川ミュージアムへ 写真はOKだったがほとんど客はいなった
庭に斉昭と水戸黄門の像が椅子に座る 交代で横に座り写真を撮った
黄門さんの葵の御紋の印籠も展示されていた

    

  

続いて 水戸歴史博物館へ ここも立派な展示だったが写真は不可
縄文からの水戸の歴史を見るが 写真がないとすぐ忘れてしまう

   

昼食は車の中で昨日買ったメロンを食べる 甘くておいしい贅沢だった

朝から歩きまわり疲れる 水戸県庁前のビジネスホテルへチェックイン
ロビーで一休みする

すぐ近くの県庁舎の展望台へ行ってみる 水戸の県庁は都庁に次ぐ大きさだそうだ 展望台からの眺めは凄かった

  

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二階までがスロープで登れて屋上公園があり 県警にもつながり 市民の公園にもなっている

  

 

 5日目

西山荘(せいざんそう)へ 徳川光圀が大日本史を編纂した隠居所 常陸大宮市にある
庭の美しい茅葺平屋建て 光圀はここで一領民として小さな田圃を造り年貢を納めていたという
大日本史は水戸徳川家の私的事業として代々当主に受け継がれ、明治維新後に完成した



火災除けに屋根にイチハツが植えてあるのがユニーク

  

R6で五浦に向かい、天心記念五浦美術館へ 
五浦へ集まった日本画家の作品を期待したが 資料館だった

海岸沿いにある五浦美術研究所へいく ここが私が見たかった所

  

3/11の津波で六角堂は流され、研究所の家も床下浸水だったそうだ
六角堂は最近再建された

   

五浦のすぐ北に勿来(なこそ)がある この名に惹かれ「勿来の関」を見に行くが 平安風の建物がある公園だった
勿来の関は実在ではなく 和歌で有名なだけ?

 

今回の最北の目的地「塩屋崎灯台」へ ひばりの「みだれ髪」に歌われている場所
途中の道は津波の復興工事の最中 それでも「塩谷崎」の案内はしっかりあったので訪ねる人が多いからだろう

   

津波は灯台までは届かなかったが、ひばりの碑は壊されて再建された
だから新しくきれいだった 近づくと歌も聞こえる

   

今夜の泊りは牛久(うしく)に予約してあるから 高速常磐道で南下する
予定より早く明るいうちに着いたので大仏を見に行くが5時閉館で入れず外から拝む

浄土真宗東本願寺により建てられた 高さ120mのブロンズ像
さすが大きい!!

  

牛久駅前のビジネスホテル泊

6日目

朝食なしのホテルなので7時にチェックアウト 土浦から霞ヶ浦に向かうが朝早くてどこも開いていない
朝食はコンビニで買って車内で食べる

蓮田が続くR354を走り、霞ヶ浦大橋を渡る 湖は大きかったが水はきれいでなかった

   

 霞が浦ふれあいランドには、虹の塔、水の科学館の施設があるが10時会場

  

ここから今夜のホテルに駐車場を聞いたら12:00から先着順と言う
急遽東京に向かうことにする 変更自由は個人旅行だからこそできる

常磐道から首都高に入ってホテルまでの道が大変だったが何とか駐車場に止めれた

   

ここから、私は上野公園で美術館めぐり 彼は友人との会食へと別れる

上野では国立西洋美術館が展示替えの為、臨時閉館が残念だった
このあと 世界遺産に指定されたのだから・・

国立博物館で「ほほえみの御仏」展 伊東マンショの肖像を見る

御仏展は日本と韓国の国宝である半跏思惟像、広い会場に2体のみの展示
どちらの仏様も右手を頬に当て微笑みながら考えていた

伊東マンショの肖像は以前の宮崎旅行で
島津家に滅ぼされた伊東家の子息と知っていたので感慨深かった

上野の森美術館で「ブータン展」
民族衣装を正装と指定して手織りの文化の維持をしている
手織りの複雑な柄の布が沢山展示されていた

 

7日目

 ややこしい都市高速を通って、新東名高速で帰路へ

途中からものすごい雨 今まで降られずにドライブ出来た事に感謝しながら走る
新東名のトンネルは広くて快適 土砂降りの雨のトンネル通過はほっとする

駿河湾沼津SA、岡崎SAで休憩 名古屋湾岸道、新名神を通り帰宅

   

全走行距離は1,733㎞だった 
おわり


国内ドライブ・・四国ドライブ旅行

2016年06月25日 | 国内ドライブ

四国ドライブ旅行 (2016.3)

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行程

1日目・・・柳井港からフェリーで松山へ  宇和島→龍串→足摺泊

2日目・・・足摺岬→ジョン万次郎館→四万十川、沈下橋→高知泊

3日目・・・安芸市→室戸岬→祖谷渓かずら橋→新居浜泊

4日目・・・ 別子銅山→屋島→四国村→高松泊

5日目・・・徳島→鳴門→淡路島→帰宅

1日目

柳井港から「防予フェリー」が1日10~13本の運行 大きなフェリーだった
柳井は金魚がシンボル 軒先に吊るされていた

   

三津浜港に着くが、松山は割愛して、R56で宇和島に向かう
宇和島は徳川時代から伊達藩が支配した土地

伊達博物館で雛祭り展示を見る
歴代の正室のお輿入れで持ってきた雛人形が展示されていた
特に雛の御道具に感動する 日々の生活道具がミニテュアで作られていた 写真禁止

  

宇和島城に登る こじんまりしたお城だった 伊予湾が見渡せる

 

龍串海岸は私が見たかった所 海岸の岩が凄かった
雨が降り濡れて周囲を回れなかったのが残念

  

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足摺岬で泊まる 海の幸の夕食を頂く

 



2日目

翌日も雨だった 足摺岬灯台に行く 
ジョン万次郎が海に向かって立つ場所から、海に小道が続き白い灯台が立っていた
小道の周辺に弘法大師ゆかりの足摺七不思議がある

  

 

 

ジョン万次郎資料館にに行く 漁師たちの像が海に向かって立つ
ここの浜から出た万次郎達を乗せた小舟が嵐に流され 助けらてハワイへ

船長に気に入られアメリカで教育を受けた この知識が開国の日本が必要とした人となる
努力して勉学をし、日本に貢献した人だったと改めて知る

  

四万十川に向かう 雨でクルーズ船は休み 川沿いを登って 沈下橋を見る
平らな道だけの橋だった 渡ることも出来たが怖くてやめる

  

高松に行き 坂本竜馬館へ ハンサムな竜馬の像が握手の手を差し伸べていた

  

夕方の桂浜を見て市内の旅館に泊まる

  


3日目

土佐湾沿いに太平洋を見ながら安芸に向かう

 

安芸市は三菱財閥の創業者 岩崎弥太郎の出身地
観光センターに弥太郎の展示があった

  

弥太郎の生家に行く 大きな銅像が手を広げていた

  

野良時計は今でも時を知らせているそうだ
童謡作家の弘田龍太郎の出身地にちなんで、童謡の碑があちこちにある

   

南国の平地ではビニールハウスが広がっていた

室戸岬には中岡新太郎の像が建つ 海岸は岩場が多く遊歩道がある
灯台は海岸先ではなく山の上だった

 

山の上には四国八十八ヵ寺の「最御岬寺」があり、灯台は境内の端にあった

  

「最御岬寺」は三門も本堂も堂々とした立派なお寺だった

 

この室戸周辺は八十八ヵ寺めぐりの寺が三つ集まっているのでお遍路さんの姿を見る

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大歩危小歩危の祖谷渓へ 山の中の道は思ったより時間かかった

  

かずら橋は谷に掛り 下が見えてゆらゆら不安定でスリル

   

松山自動車道へ出て 新居浜のビジネスホテルに泊まる


4日目

別子銅山記念館へ  写真は禁止だったが
銅山の歴史、坑内の模型、鉱員達の生活の写真など充実していた

道の駅マイントピア別子に行きここからバスで東洋のマテュピツと言われる東平(とうなる)ゾーンを観光する

  

バスは細い折り曲り登って、レンガ作りの鉱山跡に着く

 

最盛期にはこの山で一万人を超える人が生活していたという
社宅跡、小学校跡 グランド跡、店屋などが山を削って作られていた
高い山の上での生活で 下の村に下りることは殆どなかったそうだ
必要物資は鉱石を下した帰りのケーブルで運ばれたという

  

屋島に向かう途中の昼食は道の駅で「讃岐うどん」

源平合戦の屋島 湾内の近さに、与一の扇の的がこれなら出来たと納得

    

四国村を観光
四国の古民家を移築した観光地 園内はかなり広く見ごたえがあった

 

珍しい円形作りの小屋 牛が回ってサトウキビを絞る
日本にこんなモンゴルの様な小屋があるとは初めて知る

  

この地は石灰石が多く漆喰の入手は楽だった

 

高松市内で宿泊

5日目

第九の里 ドイツ館へ行く
当時ドイツの捕虜が暮らした木造の建物は観光物産とレストランになっていて
資料は新築のドイツ館に充実展示されていた

ドイツ人達との交流でこの徳島の人たちは沢山の西洋文化を習っていた
写真不可は残念

 

ベートーベンの銅像 毎年第九合唱が行われるという

  

鳴門のうずを見ようナビをセットしたが、ナビは橋の上で「目的地に着きました」・・・
車を止める事は出来ず そのまま淡路島に渡ってしまう

もう一度と徳島に引き返したが、もう潮時は終わっていた

  

  

あまりに悔しいので、後日潮時を調べてもう一度渦潮を見に行った

今度はしっかり渦巻いた海を見ることが出来た

  

終わり


国内ドライブ・・・新潟&佐渡ドライブ

2015年12月01日 | 国内ドライブ

新潟&佐渡ドライブ旅行(2015/10)

佐渡に行きたいの案が新潟県に代わり
雑誌を見て行く所を決めて宿泊、レンタカーを手配した個人旅行
事前勉強をしたので充実して楽しめた

関西からは北陸道経由案が多いが 我々は便数の多い東京経由を選ぶ

旅 程 

 1日目・東京経由で新潟へ 新潟観光 新潟泊

 2日目・レンタカーで村上、燕三条、寺泊泊

 3日目・信濃川分水、西山、上越 松山温泉泊

 4日目・トリアンナーレ、魚沼、雲蝶彫刻、長岡、新潟泊

 5日目・フェリーで佐渡へ レンタカー 佐渡奉行所 相川泊

 6日目・佐渡金山、トキの森 両津泊

 7日目・日蓮、根本寺 フェリーで新潟へ トキ→ひかり→帰宅

 

1日目

 新幹線から富士山が見えた 東京から新潟行きの「トキ」に乗る 車体にトキの絵

   

新潟駅前は立派だった 今夜泊まるビジネスホテルに荷物を預ける
レンタサイクルがあることを知り、自転車で市内観光へ
新潟駅ビルは広告がいっぱい 銀杏が色づいていた

  

万代橋は信濃川にかかる石つくりのアーチ橋で重要文化財  目立つビルは新潟日報社

    

信濃川沿いの自転車道を気持ちよく走り、新潟歴史博物館へ ここ新潟の事を知る

  

同じ敷地に旧新潟税関庁舎を保存

   

小澤家住宅を探して行く 北前船からの商家で明時代の家が残る

  

自転車を返却して 駅ビルの中にある「酒ミュージアム」で新潟の日本酒を試飲する
コインを買って ずらりと並ぶ試飲酒を少しづつ試す

 

そのままほろ酔い気分でレストランで夕食

 

2日目

 駅レンタカーで予約しておいた車を借りて 村上市へ向かう 道路は立派だった
車のナビが初めての土地でも案内してくれるから楽である

 

一般道を1時間半で村上市のおしゃぎり会館に到着
おしゃぎりとは村上大祭の山車のこと 

  

若林住宅は武家屋敷で国指定の文化財  名物の塩じゃけが吊ってあった 

   

イヨボヤ会館  イヨボヤとは鮭の事 三面川に上がる鮭は村上藩の重要な産業だった

  

予定変更で燕三条を通過して弥彦神社に向かう
紅葉と菊祭りで賑わっていた
弥彦神社は1500年以上前の創建 いろんなパワースポットがあり、山頂の展望は絶景らしい 

 

 

漁港寺泊で海鮮カニ料理の夕食 新米のコシヒカリがおいしかった

   

 

3日目

 新潟歴史博物館で見た新潟の歴史 常に洪水を起こして湿地だった土地をバイパスを作り豊かな土地にした
その大河津分水資料館へ行く 日本のパナマ運河と言われる大工事だったそうだ

  

昨日通過した 燕産業館へ  武士の内職だった和釘の金属加工技術が今日の食器生産に繋がったと知る

  

高速で西山市へ 田中角栄の生誕地 日中国交回復記念の中国庭園と記念館があった
レストランで角さんが好んだ「のっぺ汁定食」で昼食

  

高速で上越市へ 上杉謙信のものがたり館のみの観光 

  

今夜の泊りはTVでやっていた「松之山温泉」 地道を走り谷あいの温泉街に着いた
日本3大薬湯温泉とか こんな山中なのに 塩味がした

   

 

4日目

十日町市は3年に一度の、越後妻有アートトリアンナーリ2015を開催(7/26~9/13)
時期は過ぎたが残りの作品を探す

 

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南魚沼に着くが るるぶのブックでは情報がないので、市役所の観光課へ
若い職員が熱心に教えてくれた
牧之通りは塩沢宿を新しく整備した観光地 昔は2~3mの豪雪 今は融雪設備

 

魚沼の田んぼはさすがに休耕田は無かった 新米の売り場があちこちにある

  

ここ魚沼で見たかったのは東洋のミケランジェロと言われる石川雲蝶の作品
以前、雑誌で見てチャンスがあれば是非にと思っていた 
その西福寺へ 普通の寺だったが内部は凄かった 写真禁止なので下記でどうぞ

http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_of3_sa&p=%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E9%9B%B2%E8%9D%B6+%E8%A5%BF%E7%A6%8F%E5%AF%BA 

   

凄い迫力に圧倒されたが 本堂の床の節穴隠しに小槌や菖蒲の埋め込みまでの繊細さ

 

もう一つの永林寺 天女の姿は写し絵のようだった これもWebでどうぞ

http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E9%9B%B2%E8%9D%B6+%E6%B0%B8%E6%9E%97%E5%AF%BA&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

 

この辺りの積雪は凄まじいらしく雪つりは縄ではなく、枝を縛った状態で竹で囲んでいた

  

長岡市によって花火ミュージアムをみる 観客は私達だけだったのにビデオを見せてもらった
長岡市長選挙中だった

  

 新潟へ戻り ガソリン満タンにしてレンタカー返却

5日目

駅前からバスでへりー乗り場へ行き ジェットフェリーに乗る
80kmの走行で指定席でシートベルト 1時間で両津港へ到着

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レンタカー小型を借りる 明日は雨の予定で北へ内海府のドライブを開始
海岸線のドライブだったが、山は荒れていて過疎化が判る

弾崎(はじきざき)灯台に着く
昔の映画「灯台守」モデルになった場所 ひっそりと像があった
夏はオートキャンプ場として賑わうらしい

  

島の先端にある「大野亀」は裾がなだらかで家族での山登りが楽しめそうな山

外海府のドライブは岩礁群の眺め
途中に「車田植え」の立札に止まる 神事として3人早乙女がの稲を輪に植えるそうだ
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_of3_sa&p=%E8%BB%8A%E7%94%B0%E6%A4%8D%E3%81%88

  

相川に着いて「史跡佐渡奉行所跡」 熱心なガイドが詳しく説明してくれた
徳川は直轄天領として奉行を置き、奉行は江戸奉行同じ位の高さだったという

  

体験館でどうやって金を取るかの設備をみる 
鉱石を磨り潰して、重さで別け、銅を加えて灰吹き法で金銀を採るそうだ

   

明治以降の官営化の近代設備は産業遺産として残る
これの資源の枯渇で平成元年に閉山

  

6日目

昨夕から雨、落ち葉の散る道を 史跡佐渡金山へ  佐渡観光の目玉
4コースがある中の「道遊コース」と「宋太夫コース」を見る

  

「道遊コース」は明治の官営で使われた行動を歩く トンネルと線路で近代化が判る
割れ山は露天の金鉱を掘り進んだ跡で佐渡金山の象徴

 

「宋大夫コース」は江戸時代の様子を人形で表す
暗い穴の中で大変な作業だったと思う

   

 資料館には掘り上げた鉱石から金を取り出す作業がミニチュア人形で説明されていた

   

見物後の出口は紅葉が真っ赤で美しかった

   

佐渡歴史伝導館はロボット人形が佐渡へ流された流人の歴史を説明
お土産コーナーに拉致被害者曽我ひとみさんの夫ジェンキンズさんがいた

  

次は「トキの森公園」 佐渡と言えが金山とトキだから外す訳にはいかない
入口から入ると資料展示室があり、日本最後のトキははく製になっていた

   

その奥に飼われているケージを見る 「脅かさないように」注意書きある

ふれあいプラザでは自然な状態をトキには気づかせず暗室から見れる
近くで見てトキはペリカンの仲間を納得 地元でも見れる鷺達ほどカッコ良くない

今夜は加茂湖沿いのホテル ここでもカニ料理だった

 

 7日目

 フェリーまでの時間を周辺ドライブ  日蓮上人ゆかりの根本寺に行く
予想して以上に大きく立派な寺だった 手入れが大変だろうと思う

   

レンタカーを返してフェリー乗り場へ

新潟(トキ)→東京(ひかり)→京都 →帰宅

新潟をほとんど知らなかった私だがこの旅行で沢山知ることが出来た
残念なのは 関西からのツアーは北陸新幹線で直江津から小木港のコースとなる
その小木、宿根木を観光できなかったことが心残りである

おわり


国内ドライブ・・函館&青森ドライブ旅行

2015年07月08日 | 国内ドライブ

梅雨の6月に函館、青森を旅行した 青函トンネルと青函フェリーに乗り、青森の二つの半島をドライブ楽しんだ

行程

1日目・・東京発8:20 はやぶさ5号 → 新青森着11:19 新青森発11:30 スーパー白鳥5号 → 函館着 13:42 函館観光後 湯の川温泉泊

2日目・・五稜郭など観光後 青函フェリーで青森へ  駅前泊

3日目・・レンタカーで下北半島へ 六ヶ所村、恐山をみて大間へ 民宿泊

4日目・・仏が浦を観光後、むつ湾フェリーで蟹田へ 竜飛岬へドライブ  金木市、五所川原市を経て、大鰐温泉泊

5日目・・弘前を観光、三内丸山遺跡、田んぼアートを見て 浅虫温泉泊

6日目・・八甲田遭難記念館、青森郷土資料館 レンタカー返却 盛岡へ  駅前泊

7日目・・雨になったので予定を変更して帰途へ  盛岡発8:04(はやて114)→東京着10:56 → 11:03(ひかり) 京都着13:47

 

1日目

東京駅のホームにはJR東海の「のぞみ」とJR東北の「はやぶさ」が並んで停まっていた

新青森で「スーパー白鳥」に乗り換える 
座席の前に青函トンネルの説明図がある 来年開通の青函新幹線の線路が並行して出来ていた

      

トンネルの通過時間は約26分 北海道最初の駅は「木古内」 海と共に函館山が見えた

函館駅前は広く立派だった コインロッカーに荷物を預けて バスで函館山へ
展望台からパンフレット通りの景色を見下ろす

外人観光客に人気で、夜景はいっぱいの人だそうだが、昼はゆったりと眺められた

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ロープウェーで下り、元町へ 函館開港の地で古い建物が残る
旧公民館は立派な木造建築  八幡坂はサンフランシスコの坂に似てるそうだ

  

    

港は初期の波止場、北海道第一歩地碑 ここから新島襄が密航した像がある

   

私たちは「日本初のコンクリートの電柱」を探す 今も現役に電線を張っていた がっしりした電柱に驚く

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豪商「金森」の残した倉庫群へ パンフで見る風景があった
中に入って展示物や構造を見る 

   

   

閉館間近の夕方、連絡船博物館「洞爺丸」に入って、 当時の幹線だった様子を見る 

   

駅前から市電で湯の川温泉へ行き、宿泊

 

2日目 

 市電で五稜郭へ タワーに上り五角形の形を見下ろす 展望台には函館戦争の歴史が展示され、土方の座像があった
この後、バスで団体さんが来ていっぱいになる

  

橋を渡り五稜郭へ 函館奉行所は建て替えられて新しかったが、以前の作り方で再現したそうだ

  

 昨日見れなかった「高田嘉兵衛記念館」へ 淡路島生まれの豪商
北前船で北海道の品を運んだ、ロシアとの民会外交にも功績を残した人物

  

函館朝市で海鮮丼の昼食 

駅前からシャトルバスで青函フェリーへ
船は立派だったがトラックや車が中心、車なしの乗客は数人だった
船室は畳敷き ごろ寝で3時間を過ごす

   

夕方、青森港着 駅前ホテルへチェックインした後、近くの「ねぶた館」に行く
去年の優秀作品が展示、作り方の説明もあって面白かった

   

    

 

3日目

 予約してあったレンタカーに乗って、下北半島へドライブ

六ヶ所村の原燃PRセンターに着く
立派な建物と展示だったが、ほとんど人はいなかった 

 

  

周囲には沢山の発電風車と広大なソーラーパネルが広がっていた

 

R338をドライブして 恐山へ
地獄めぐりはあちこち硫黄が噴き出す 小石が積み上げられているのが荒涼と異様な感じがする

  

 

  

R279で半島の先 大間岬へ 本州最北端、マグロ一本釣りで有名
啄木の歌碑、天童よしみの歌碑 一本釣りのモニュメントがあった

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民宿の夕食は海鮮尽くし マグロ、生うにを食べる トロは200g¥5,000だそうだ

    


4日目 

仏ケ浦に向かうR338は海岸沿いなのに峠越えの曲がり道がつづく
やっと着いたが、海岸は、はるか下にあり、急な階段を下ってたどり着く
  

30mを越えるという岩は壮観だったが、帰りの階段登りはしんどかった
 ツアーの観光は遊覧船で楽に来るそうだ

   

これで下北半島は終了、脇野沢から「むつ湾フェリー」で津軽半島の蟹田に渡る
脇野沢港は整っていて、観光バスが乗り降りする観光ルートだった

  

  

蟹田に到着後 竜飛岬に向かう 途中青函新幹線の高架や新駅が出来ていた

  

青函トンネル記念館に寄る エレベーターで坑道まで下りて見学も出来るが時間なくてパスする

    

竜飛岬へ到着  「津軽海峡冬景色」の歌が流れていた

  

ここに全国唯一の階段国道がある R339は下の港で途切れて、丘の上からスタート
人だけが歩いて登れる国道
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R339を南下して、金木へ 太宰治の生家「斜陽館」をみる
立派な豪農の家だった この息子だからあの様な生き方が出来た

  

   

五所川原市で「 立佞武多」をみる 青森のねぶたと違い高さが22m 吹き抜け3階のビルの中に立っていた
祭りの当日はビルの扉があいて、街中を練るそうだ

      

    対面車線の高速道を通る 雪よけの施設とリンゴ園が続いていた

   

大鰐温泉に泊まる


5日目

 弘前駅に行き 帰りの切符を購入 観光案内で聞いて弘前城へ行く
城は石垣を工事中だった

  

周辺には旧図書館など古い建物があり ミニチュアで保存されていた

   

  

田舎館村の田んぼアートを探してたどり着く
道路沿で見ると色違いの苗が植えてあるだけだが、役場の天守閣の展望から見たら絵になっていた

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三内丸山遺跡は五千年前の縄文文化の栄えた所、今でも発掘が続いている

発掘品の展示を見た後、野外の再現場に行く 小学生や中学生がガイドの説明で勉強していた

  

  

   

棟方志功記念館に行くが展示品は少なかった
有名な作家の作品は地元の記念館よりも都市の企画展の方が沢山見れるのだ

  

今夜の泊りは浅虫温泉

6日目

旅行中はほとんど降られなかったが、夜中からの土砂降りの雨 この地方では待っていた雨と言うが私たちは困った

八甲田遭難資料館へ行く 私は浅田次郎の本は読んでいないが、1泊行程の軍事訓練で210名中生存は7名とは
無謀な訓練だったと思う

  

    

まだ雨が止まず 青森郷土資料館へ
時間たっぷりとあり、青森の歴史や縄文文化をゆっくり読んだ

   

   

ガソリンを満タンにしてレンタカーを返却する 事故なしで走れた
新幹線で盛岡へ 駅前で宿泊

なぜ盛岡なのか? この日の青森はどこも満室でだった
高校バレーボールの東北大会がこの週末、青森で開催されるとは知らなかった
昨夜の浅虫温泉で「高校生たちが帰る前にお風呂に入ってください」と言われて納得した

6日目も雨の予報に指定席を変更して朝の便で帰ることにする
この自由さが個人旅行の良い所だ

おわり