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水戸の見て歩き

徳川光圀の酒(2)

2017-01-11 21:19:38 | 水戸

漱石所跡
 逆川緑地にある塩橋湧水地近くに、光圀が寛文5年(1665)に建てた茶亭・漱石所があったそうです。ここではしばしば、酒の入った杯を、くねった川に流して、それが届くまでに歌をよむという、曲水の宴を催したそうです。

 

心越禅師
 明の亡命僧・心越(しんえつ)を江戸小石川の本邸に招いて酒宴をして、心越が盃を口に運んだ時、大砲をならしたものの、平然としていたそうです。後日、水戸へ移った心越の住む寺を訪れた光圀が、茶を飲もうとすると、心越がガーッと大喝したので、驚いて茶碗を落としたそうです。驚く光圀に心越は、禅家の茶飯事だとこたえたそうです。

 

三木高之
 光圀を育ててくれた家臣・三木之次(ゆきつぐ)の子、高之(たかゆき)が大病になり、見舞いをしたとき、懐中から小さな杯を出して、おって肴はつかわせるから、その時にこの盃で少々飲むようにと励ましたそうです。高之は枕を上げてその杯をおしいただいたそうです。

 

御酒部屋
 常陸太田市にある光圀の隠居場・西山荘には、娘の万姫を嫁がせた額田(ぬかだ)の鈴木家が「御前酒」などと呼ばれた酒を届けたそうです。それにも関わらず、西山荘には3畳の書斎、6畳の寝室などのほかに、別棟で土間の御酒部屋というものがあったそうです。

 

勇の盃
 民政の視察に出かけたときによく寄る家があり、そこでは、智・仁・勇の文字がそれぞれに記された三つ重ねの酒杯が用意されていたそうです。光圀は、そのうち、勇の盃で飲むのが習わしだったそうです。

徳川光圀の酒(1)


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