ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の桝形(2)

2017-06-15 20:21:02 | 地域紹介


 城と城下町防備のためにつくられた桝形ですが、それほど役に立ったのかと何となく疑問に思います。もっとも、水戸藩では幕末の内乱で、城をとりあう攻防戦が何度も行われましたが、攻める側も城の構造を知っていたにもかかわらず、すべてしりぞけられたそうで、案外桝形もそれに多少は寄与していたのかもしれません。
 写真中で①、②のあるのは天保時代の地図(まだ弘道館はできていません)、③、④は幕末の地図、銷魂橋は明治35年の地図です。

 

①杉山門の桝形
 那珂川に沿った杉山通りから、旧二の丸へのぼった所に復元された杉山門がありますが、向きが西を向いています。ここが枡形になっていたようです。

 

②柵町坂下門の桝形
 国道51号線から水郡線に沿って二の丸に上る途中に復元された柵町坂下門がありますが、これは写真の地図で見ると東を向いていたようにみえます。

 

 

③金町の桝形
 末広町の桝形を過ぎてつぎにある桝形です。紀州堀を渡って田見小路(現・北見町あたり)に向かうと桝形があったようです。このあたりは、かなり地形が変わってしまっているようです。

 

④南町広小路の桝形
 大工町の桝形をぬけて、南町から泉町に入る紀州堀のところに、また桝形があったようです。門の入口あたりを広小路と呼んでいたようです。

 

銷魂橋
 水戸街道で、水戸の城下町に入る備前堀を渡る銷魂橋の先が、桝形状になっています。写真地図の「ユ」のところは、水道樋、「シ」のところが街道で銷魂橋です。たぶん城内のように石垣が積み上げられたような形ではなかったでしょうが、桝形の役割が考えられていたのでしょう。ちなみに、「ユ」は郵便箱、「シ」は消防器械置場のことだそうです。

水戸の桝形(1)

『茨城県』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 水戸のハート(葉っぱ編)(1) | トップ | 水戸の川ベを散歩する-備前堀 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL