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水戸藩士・居合新田宮流始祖・和田平助のゆかり

2017-08-10 20:39:08 | 地域紹介

 和田平助正勝は、寛永2年(1625)に生まれ、天和3年(1683)に59歳で自刃した水戸藩士です。居合で新田宮流(しんたみやりゅう)を創始した平助は、徳川頼房、光圀2代に仕え、とくに光圀の寵愛をうけたそうです。大番頭(おおばんがしら)300石取りになったそうですが、後継でもある長男の死亡をきっかけに行動に異常が目立つようになったそうです。その後、光圀から追放処分を受けたそうですが、その技を惜しんで処分取消の使者がつかわされたものの、そのときにはすでに、中根寺で自刃していたということです。
 立撃という居合の技をつくりあげたのが平助だそうです。立撃とは、いわゆる立ち居の技で、歩行しながら抜刀して斬りつけることだそうです。和田平助は居合抜刀術の師範で、門弟3,000名ともいわれたそうです。
 藩主の前で、ふすまごしに平伏したところ、襖の裏に隠れていた家臣がそれを急にしめたそうですが、敷居の上には平助の鉄扇がのっていてはさまれることはなかったなどという話がいくつも伝わっているそうです。また、死後、花柳街で人気が出て、商売繁盛の神としてあがめられたそうです。

 

和田平助堂(摩利支天)(中根寺 加倉井町595)
 自刃のとき、守り本尊の摩利支天などを残し、お堂ではそれを祀っているそうです。境内には大きな墓碑もあります。

 

墓所(神応寺元山町1-2-64)
 堂内には、花柳界の俗信で削られたらしい古い墓と、新しい墓が並んで立っています。

 

和田平助碑(神応寺 元山町1-2-64)
 初代東武館館長・小沢一郎が書いたものだそうで、平助を顕彰するとともに、その流れが東武館に流れていることなどが表裏に刻されているそうです。

 

速刀神社(吉田神社 開江町499)
 平助を祀る神社だそうです。影響した範囲の広かったことがうかがわれます。

 

とげぬき散(神応寺和田平助墓所前鳥居裏側 元山町1-2-64)
 和田平助先生秘伝とあります。このようなものもあったようです。

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