求められるのは「実業者」

2011-06-02 22:42:22 | 専門家のありよう


梅雨に入って、庭の遊水池(とは少し大げさ、雨落溝の雨水を一時的に溜めている小さな池:農業用のFRP製500リットルの水槽)のヒメスイレンの葉の上で、夜が更けてくるとどこからか出てきて鳴き交わすアマガエルのうちの一匹。今は全部で3匹。にぎやかです。
フラッシュにもびくともせず。

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先回、お粗末な「建築家」の思考について書きました。
もちろん、「お粗末」とは、私の感想です。

むしろ、お粗末と思わない方がたの方が、現在の建築界では、多いのかもしれません。
なぜなら、建築設計に係わる方の多くが、皆、一儲けしようと思っているか、あるいは、《アーティスト》でありたいと思っているか、そのどちらかだ、と言っても少しもおかしくないような状況に見えるからです。
つまり、「建物をつくる」という行為が、いったい、どういうことであるのか、皆忘れてしまっているように、あるいは、分ったつもりでただ「やり慣れた」行為をしているように、私には思えるのです。
そうであるならば、先回紹介したような「建築家の発言」が「脚光を浴びる」のも合点がゆくというもの。

建築界がこのようになった最大の要因は、明治の近代化策にあった、というのが私の持論です。
簡単に言うと、明治に始まった「建築教育」、その背後に潜む「思想」にある、ということです。

その「思想」にいわば反旗をひるがえした人がいなかったわけではありません。
「近代化」の教育を受けたにもかかわらず、その問題点を自ら修正すべく動いた人びとです。その一人が滝 大吉 氏です。
滝大吉 氏が重視したのは「実業者(家)」の存在でした。

「実業者(家)」とは、実際に建物づくりに携わる人たち、先回紹介した「現代の代表的建築家」とは異なる人たちです。
滝 大吉 氏は、「実業者(家)」がいなければ建物はつくれないことを実感していたのです。それは、今だって変りはありません。

現在、多くの建築設計者は、「設計図」を描きます。
しかし、多くの場合、その「設計図」では建物はつくれません。どのようにしてつくったらよいか、その図には示されていないのが普通だからです。
言ってみれば、まさに「絵に描いた餅」。つまり、「こんなものにしたい!」という「設計者」の《イメージ》にすぎない。
   何故、「こんなものものにしたい」のかは、多くの場合、不明です
したがって、必ず「施工図」なるものが必要になります。そして、そうするのが「当たり前」にさえなっています。しかし、本人には「施工図」が描けないのが普通。
私は、それでは「設計」図ではない、と考えています。できるかぎり、設計図だけで現場が仕事ができる、そういう図にしたい。そうでなければ「設計」の意味がないのではないか。
   前川國男 氏の(事務所の)設計図は、現在の多くのそれとはまったく違い、本当の設計図になっています。
   あの時代の設計図は、大抵そうなっています。皆、本当の「建築家」だった!

   実は今、心身障碍者施設の設計の追い込みでてんやわんやです。
   できるかぎり、設計図だけで仕事ができるように、いろいろと仕事の手順を考えながら描いています。
   それゆえ、手直しが多い!!


では、現在のような状況に何故なってしまったのか、滝 大吉 氏は何をしたか、当時の「実業者」の仕事はどんなものだったか・・・などについて、以前に書いた一連の記事の一部をを下記にまとめてみました。2006年に書いたものですが、私の考えは何ら変っていません。

日本の「建築」教育・・・・その始まりと現在 どこで間違ったか
まがいもの・模倣・虚偽からの脱却・・・・ベルラーヘの仕事 建物の形体とは何か
「実業家」・・・・「職人」が実業家だった頃 滝大吉著『建築学講義録』について
実体を建造物に藉り...・・・・何をつくるのか  《建築計画学》の残したもの
「実業家」たちの仕事・・・・会津・喜多方の煉瓦造建築-1
「実業家」たちの仕事・・・・会津・喜多方の煉瓦造建築-2
「実業家」たちの仕事・・・・会津・喜多方の煉瓦造建築-拾遺
学問の植民地主義  《権威》の横暴

なお、「実業家たちの仕事」で紹介している喜多方の煉瓦造の図が小さくて読みにくいので、近日中に大きな図版で紹介させていただきます。

 

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