日本の建築技術の展開-23・・・・桂離宮-2:「書割り」による空間

2007-05-18 01:58:58 | 日本の建築技術の展開

 上掲の梁桁伏図を見ると、「古書院」と「中書院」とでは架構が異なることが分る。
 全体に、統一された考えが見えず、何となく雑然としているのは、おそらく、その場その場の考えで、増築していったからなのだろう。屋根にも、相当無理があることが鳥瞰写真で分る(地上からでは見えないから分らない)。
 
 「古書院」「中書院」ともに「桔木」が使われているように見えるが、「古書院」で「桔木」に見える材は、「桔木」にはなっていないことが断面図を見ると分る。なお、断面図も、修理後の断面図である。 

 「桔木」は小屋裏側で端部を押えなければ意味がないのだが(梃子の理屈)、「古書院」では、断面図で分るように、その押さえがなく、むしろ「登り梁」と呼ぶ方がよいだろう。
 その点、「中書院」の場合は押さえがあり、「桔木」になっている。ただ、「桔木」の間隔が粗い(普通の配置は、3月25日記事参照、「大仙院」や「孤篷庵」なども普通のやり方)。ここではかなり簡略化されている。
 いずれにしろ、見えがかり部分に比べると、小屋裏の手の掛け方は簡易。なんとなく、見えがかりを重視する《現代建築》を思わせる。

 また、軸部では、開口上部は鴨居だけで「付長押」がなく、「内法貫」も見当たらない。おそらく、あったにしても、薄くならざるを得ないだろう。鴨居と小屋梁の間には、辛うじて小壁があるだけである(しかし、梁まではなく、天井面で終っている)。このあたりは、いわゆる「在来工法」の住宅に共通するところがある。

  註 すでに紹介した「光浄院」「大仙院」「孤篷庵」などと比較すると
    違いが分る。

 明治の初めには、今にも倒れそうで、見るも無残な姿になっていたというが、この架構をみると、納得がゆく。
 おそらく、山荘・別荘として、当面の用に供することができればよく、永く生き永らえる建物をつくろうという意図はなかったのだと思われる。
 だからこそ、舞台の「書割り」のようなつくり方で空間を構成したのではなかろうか。


 ところで、伏図の各所にある「火打ち」や、断面図の小屋裏にある「たすきがけ筋かい」は、いわば脆弱な架構を補強すべく、今回の修理工事にあたって入れられたと思われるが、小屋だけが固められすぎて、軸部の柔らかさとアンバランス。
 床下はもともと貫で固められていたわけだから、柱間がほとんど開口装置になっている「柔らかい」軸部が、上下を「固い部分」で挟まれる恰好となり、かえって危なくなったように思える。

  註 この補強は、現在の《木造耐震専門家》の意見によるものだろう。
    普通の建物ならば、空間構成の必要性:使い勝手は無視され、
    軸部のあちこちに「筋かい」や壁を入れることになるのだが、
    重要文化財のため、それができず、小屋だけが補強されることに
    なったのだろうと思われる。
    補強法として、このやり方しかなかったのだろうか?

  註 「唐招提寺金堂」(目下解体修理工事中)は、明治の修理に際して、
    母屋(身舎)の小屋だけ、トラス組に変えられた。
    その部分の頑強さが、下屋(庇)部分や母屋軸部の柔らかさと
    アンバランスで、建物全体に歪みが生じる原因になったらしい。
    「修理工事報告書」が待たれるところである。

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