近江八幡・・・・その町並と旧・西川家-2

2007-06-30 23:39:58 | 建物づくり一般

 大文字屋・西川家は、蚊帳や畳表を卸していた豪商。
 この建物に「店」が構えられているが、江戸、京都、大阪に「出店」を構え、商売の主力はそちらに移り、本宅も京都に移ったあとは、ここは問屋的な性格が濃くなり、丁稚の養成を行う場になっていた。しかし、江戸時代を通じて、この家には歴代当主の家族が住み、番頭、手代、丁稚、女中など多数の人びとが働いていた。

 なお、建設時は「杮葺き」だったが、安政年間に瓦葺きに変えられた。今回の復原では、「杮葺き」に戻さず、防火の観点から、瓦葺きとしている。
 また、付属の「土蔵」は主屋よりも古い建築。

 上掲の平面図と内部写真は「重要文化財 西川家修理工事報告書」からの転載(室名、寸法など、加筆)。図面は拡大してご覧ください。
 
 「店土間」と記したところが建物の主出入口。「くぐり戸」の付いた「跳ね上げ戸」になっている。
 「店土間」の両側に「店」を構える。外観写真で見える板の部分は、柱間に上下2枚の「摺り上げ戸」が仕込まれ、写真は戸を下ろしたところ。昼間は、1枚ずつ押上げ、上部に格納する。「揚げ戸」とも言い、いわば江戸時代のシャッター。

 「下店」に続く「板の間」は、商品を置いたり、仕分けをするのに使われたらしい。
 「玄関」は主客の上り口。「中の間」は、今で言うリビング、茶の間的な性格の部屋。「茶室」は、「店」からは遮断されている。
 「寝間」にある階段は「箱階段」。
 「おもて玄関」「次の間」「座敷」は接客用空間。
 「店」の西北隅に「側桁階段」をかけると、2階の「板の間」に通じる。1階の「板の間」の上にあたる2階「板の間」には、「玄関土間」から梯子をかけて登る。ここは使用人が使ったらしい。
 
 
 今回は「断面図」を省いたが、この「玄関土間」のあたりの空間の構成は、ダイナミックでありながら落ち着いていて心地よい。もっとも、「断面図」があっても、その空間の妙は、図面や写真だけからは分らない。現場に立つと、これはうまい、と思わず感嘆の声が出る。おそらく模型をつくれば分るだろう。 

 この建物は、創建以来、何度も改造が行われていて、調査は大変であったらしいが(調査~復原工事:33ヶ月)、この建物の修理工事報告書は、調査者の熱意が行間にこめられていて、おそらく数ある報告書の中でも最高のレベルではないだろうか。特に、付属の「土蔵」や、主屋の各種開口装置についての考察、図面類は、秀逸。大変に参考になる。
 次回に、断面図と建具、特に出入口の「跳ね上げ戸」「店」の「摺り上げ戸」を紹介したい。その次に「土蔵」の予定。

 関西方面に行かれる機会があったら、是非見学を!

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